前王の失踪(2)

 お菓子作りの初日は、シュークリーム。前王はエミリーに、いきなりこんな問題を。

「エミリー。シュークリームで大事なポイントは何?」

「シュー皮でしょう?」

「正解!」

「基本はカスタードだけど、いろんなクリームを使う方法があるってレシピには書いてあるけど、カスタードと生クリームが気になって作ってみたいの、ダメ?」

「それは構わないが。よし、わかった。材料を準備しなさい」

「はい!」


 エミリーは、この3日でこの料理研究室にある物の全ての位置を把握している。実は、スケジュール作成をしながらその合間に、レシピ本を片手に食材や材料を確認したり、置き場所を把握し、この日に備えていた。流石、記憶力がずば抜けている。


 大理石の調理台の上には、カスタードクリームの材料となる、卵黄、グラニュー糖、牛乳、コーンスターチ、薄力粉、バニラビーンズ、無塩発酵バターが用意され。これらの材料を鍋に入れて混ぜ、弱火で混ぜるのだが。前王はかまどに火を点けず、調理台の下の扉を開け。何やら黒い四角い物を取り出し、その上に鍋を置いた。レシピ本には弱火で混ぜると書いてある。この調理道具のことは載っていない。これは、かまどと同じ役目をする、IH調理器というもの。これなら簡単に弱火の設定と温度設定が一目でわかる。


 エミリーは、この光景に驚くのは驚くのだが、やはりこの世の中は果てしなく私の知らないことばかり。無知な私と思い。

 この後、できたカスタードクリームの粗熱を取る為に保冷剤を使うのだが。それを使わずに、調理台の下にある引き戸を開け。メアリー特製の急速粗熱取り機で粗熱を取り。カスタードクリームの見本ができあがり。エミリーは味見をすると。バニラの甘い香りとなめらかな食感で甘くて美味しい。


 エミリーは、カスタードクリームの見本と比べながら、2回目で前王と同じレベルに仕上がり。呑み込みが早すぎる。泡立て器を右手持ち、子供とは思えない手さばきで生クリーム混ぜていく。かき混ぜ方もさまになり、生クリームを泡立てうまくでき。

 その後、シュー皮作りに少し時間がかかったが、焼き上がりも前王と同じくらいなっていた。あとは、クリームを絞り袋に入れ、シュー生地に絞り込み、2種類のシュークリームができあがった。2人は試食してみると、なかなか美味しくできている。


「お祖父ちゃん。私、思っただけど。カスタードと生クリームを1個ずつ食べたいんだけど、2個食べるとちょっとねーって思って。これって、シュー皮の生地を半分にして、2つをくっつけて焼いて。片一方はカスタード、もう片一方は生クリームを入れたどうかなって思っただけど、どう思う?」

「エミリー、作ってみなさい」

「はい」


 エミリーは、そのアイディア通り作ってみた。この時、前王は何かを確信し。

「エミリー、今の気持ちを忘れるな。それが、工夫するということだ」

「えっ!? これが工夫っていうことなの?」 

「そうだ。今、エミリーは作る側ではなく、食べる側になって考えた。それが相手の立場になって考えるということ。この世界には、沢山の人が暮らしている。甘いものが好きな人もいれば、そうでない人もいる。だったら、甘さ控えめにすればいい。そうやって工夫していけば、食べられなかった人も食べられるようになる。もし、工夫しても食べてもらえなければ、更なる工夫をすればいいだけのこと。それが工夫するということだ」

「……何となくわかったような気もするけど……」

「それでいい。まずは、自分が美味しいと思うものを作りなさい。料理人がいて、それを食べてくれる人がいる。思うようにいかないこともある。そんな時、周りを良く見なさい、そこに工夫のヒントがある場合がある。それを忘れるな」

「わかった」


 この時、前王は思った。やはり、思っていた通り見込みがある。料理を教えるつもりだったが、エミリーなら世界に通用するパティシエになれる。前王には何か想いがあるようだった。

 それから、エミリーは1日も休まず、毎日が楽しく、料理研究室へ通い。あっというまに3ヶ月経ち。一通りのお菓子作りの基本を覚え。エミリーの部屋では、旅支度を終えた前王が来ていた。

「そういえば、エミリーに言ってなかったことがあったな」

「何?」

「まだ、ちょっと教えるのは早いかもしれないが言っておく。人間の舌は一定でないってことだ」

「どういうこと? 言っている意味がわかんない?」

「そうだな、例えば、最初は美味しいと思って食べていても、それを食べ続けると段々と美味しく感じなくなることがある。少し話がそれるが、そんなこともあるから、新しい味を求めるのかもしれないな。それと、体調がいい時とそうでない時、あとは、温度や湿度が舌に影響をしたりする場合がある。難しいかもしれないが覚えておきなさい。あとは、工夫を重ねることを忘れないように」

「わかった。お祖父ちゃん、今度はいつ帰って来るの?」

「1ヶ月後には帰って来る。帰って来たらいろいろと忙しくなるな。あっ、そうだ。帰ってきたら新しいお菓子を食べさせてくれないか?」

「わかった。とびっきり美味しいお菓子を作ってあげるね」

「それは楽しみだな。じゃあ、そろそろ行かないと」

「気をつけてね」

「わかった。じゃ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

「いってきます」


 前王は1人で食材探しの旅に出かけ。エミリーは、窓の外から前王の後姿に手を振り。いつものように前王は、後ろを振り返りエミリーに手を振り。前王は城を後にした。

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