第一話 『バルトゥとアルテ』 その6


 ……キルガは老修行僧に別れを告げて、アルテを追いかけた。アルテにとって、この休憩は有益であったようだ。先ほどよりも足は軽そうだ。普段よりもペースが早く、疲れてはいたのだ。


『……じいさん。お前が疲れていたのを知っていたようだな』


「……そうかも。じいさんは、達人ってヤツらしーから」


『学べたな。ちょっとは、強くなれた』


「……そうかもしれないけど。ちょっと、時間を食っちまったよ」


 アルテは立ち止まる。目の前には崖があった。コルトア山の頂きへの近道ではあるが、錆びついた鎖が一本、垂らされているだけの険しい絶壁だ。


『こっちの道か』


「険しい道を通れば早い!」


『……いつもの鍛錬のコースになってる』


「いいさ。慣れた道のが、早い!」


 鎖に指を絡めながらアルテは断言した。そのまま背中の力を使いながら、鎖を登り始める。身軽なものだ。まるで、猿のようである。急ぐはずなのに、鍛錬の癖は体を支配していた。脚を使うことなく、握力と腕と背筋力だけで登っていく。


 剣と弓を背負ってのそれは、かなりキツい運動になるはずだが、アルテはものともしない。剣をより強く振り回すためには、このトレーニングは有効であると、バルトゥから教わっていた。


 脚を使えばより早く登れることに気づかないほど、鍛錬は機能する。アルテが強さを求めているからであると、キルガは気づいていた。


『強さを目指す癖がついている…………いいことだ』


 アルテは足下で何事かを小さな声でつぶやいた白狼に顔を向けていた。


「なにか言ったかー?聞き取れなかったぞー、キルガ?」


『フフフ。こちらのことだ。気にせずに、登れ。オレは、向こう側の道を使う』


「わかった!競走だ!」


『はあ?ズルいぞ?』


「術を使ってもいい!……負けないぞ」


『……ああ。分かったよ』


 魔術にも呪術にも、負けたくないのか。負けず嫌いであることはいいことだからな。キルガは全力を使った。体力だけでなく、魔力も使う。四つの脚に呪術をかけた。『天鳥クレインバルド』の『時』の呪術……加速を司る力が白狼の脚に宿る。


『ハハハ!!勝負事には、負けねえぞッッッ!!!』


 心の底から楽しそうに、キルガは笑い、そう宣言していた。風のような速さに化けた白狼は、そのままコルトア山の山道へと消え去っていく。


「……キルガのヤツ、相変わらずクソ速え……ッ。呪術も使いやがったのか。でも、負けるかよッ」


 アルテは鎖を引っ張るようにしながら、崖を上に向かって上って行く。鉄の臭いを嗅ぐ。この鎖はかなり古くなっている。


 修行者が毎日のように使い込んでいるから、その痛みも早い……錆びた鉄と、修行者の手の皮が破れたついた血の臭いを鼻に受けながら、アルテは一心不乱となって崖を登り続けた。


 崖の上に辿り着いた頃には―――キルガはすでに回り込んでいた。ドヤ顔狼は大きく口を開き、鋭い牙の列を見せつける。


『オレの勝ちだ』


「……ちくしょー!……勝てなかったか」


『まだまだ、甘いな。だが、悪くない。毎日のように、ここを登る時間は短くなっているぞ』


「負けちゃ意味がない」


『そうか?いい修行になっている』


「……ふう。でも、いい。今日は、試験だからな!」


『……ああ、それか―――」


 ―――バルトゥと『顔隠し』は、もう出かけちまっているだろうがな。口を閉ざしたまま、白狼は東を見つめていた。


 街道に出る魔物……大集落の魔術師どもが、わざわざ『顔隠し』を使って命じるほどのことか。緊急事態?……だが、オレの元・一族たちは歌を放っていないな……?


「キルガ、どうかしたか?」


『ん。何でもない』


「……隠し事か?」


『いいや。そうじゃないよ。魔物の侵入に対して、オレの……いいや、聖狼たちが騒いでいないってのも、ちょっとおかしいなと思ってな』


「そーか。まあ、あとでオレと一緒に、バルトゥについていけばいい。現場に行けば、理由も分かるんじゃないか?」


『お前が夕方までに戻れるとでも?』


「戻ってやる。帰り道は、崖を連続して降りていけばいい……間に合うよ」


『ちゃんと計算しているんだな』


「当たり前だ。オレは、数学が得意なんだからな」


『んん?……そうだっけ?』


 数学よりも歴史を好むのが、この黒髪の少年であった気がする。キルガはそう思うが、あえて追求することは避けた。


 今夜は、きっとアルテは腹を立てる。ふてくされて、晩ゴハンも食べないかもな……騙しちまうんだもんな。あまり、いじめてやるもんじゃないか。


 身の安全のためだ。魔物退治の現場などに、アルテを間違っても連れて行けるハズもないのだ。アルテは騙されたまま、この試験を受けている。


「行くぞ!」


 アルテは駆け足になっていた。山道を走ればすぐにバテてしまうが……すぐに山頂だ。スタミナ配分を計算してのことである。


 数学が本当に得意であるかはともかく、肉体を駆使することに関しては、天才的な才能と、未熟ながらにも経験があった。


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