第一話 『バルトゥとアルテ』 その5


 肉を食べ終わったアルテは、よし!と言いながら頬を叩く。未熟な精神の切り替えには、そういう『儀式』がいるものだ。一流の戦士は、あくびをしながらだって戦いの準備を住ませることが出来るのだが……幼い殺し屋は、楽しい昼食の時間から戦士に戻るためにキッカケを必要としていた。


「行くぜ」


『……おーう』


 アルテは早足で山登りを再開する。あれは子供の特権かなと、白狼は考えながらその後ろを追いかける。大人の戦士は、もっと食後はノロノロとしているのだがな―――幼さは、ある意味では可能性に満ちている。


 成長しようとしている体は、無限に食べ物と経験値を求めている。肉を喰らい、その体はより頑強なものへと変わっていく……成長を見守るという行為は面白い。聖なる狼の一族は、2年足らずで大人になり、それから70年ぐらいは生きるものだが。


 人間は20年近くはかかって、より強い戦士へと組み上がっていく。じつに、面白いものだ。どうして、種族によって、こうも完成に至るまでの時間が違っているのか。興味深い。


 幼い人間を観察しながら、白狼はその後ろ姿を追いかけた。


 コルトア山には、何人かの山ごもり中の修行者たちがいる。アルテはバルトゥの言いつけで、彼らに差し入れを持っていくこともあった……膝のあたりまでヒゲが伸びた年寄り修行者から声をかけられたのは、そういった縁があったからだ。


「どうした、小僧っ子。今日は、チーズの差し入れはないんかいな?」


「ないよ、じっさま。修行は?」


「しているぞー……この三日、踵を地に着けずに歩いておる。今もな」


 痩せた脚ではあるが、それでも老いた修行者は自身が語ったとおりにつま先のみであるいている。もちろん、彼は裸足であった……ボロボロの服を着ているのも、聖地の修行者たちの特徴ではある。


 高名な魔術師や……剣術家もいる。この老人は、かつてそのどちらでもある。ただ術や技を極めるために、光神の聖地へ訪れ、黙々と鍛錬と修行を続けている。それはある意味では価値の無い行動ではあった。


 だが、客観がどうあろうとも、修行者たちの主観によれば、ぼろ切れをまとって修行を続けることは有意義な人生の消費方法である。


「ほら、見てみ?」


「今、急いでんの……」


「なら、一瞬だ」


 老修行者は、素早い足取りでアルテの行く道を走り、振り返る。ニヤリと笑い……彼は腰に差していた長い刀を一瞬で抜いていた……アルテには、その抜刀の速さが完全には見切れなかった。ぽかんと口を開けて、その場に立ち止まる。


「……すげっ。前より、ちょっと速いってのは、分かる……抜きながら、後ろ脚に体重かけて、腰、回したんか」


「フォフォフォ。それが分かるあたり……やはり、お前は面白いガキじゃなー」


『術を使っていないな』


「うん。ワシ、修行中じゃからな……」


「でもさ……術も使えば、もっと速く抜けるだろ?そうすりゃいいじゃん」


「術に頼ると、つまらんでな」


「術才があるヤツの言葉だ。オレ、ヨユーぶって全力出さないヤツは、嫌いだぞ」


「うんうん。そうじゃがな……お前は、まだ術才が見つからんのかえ?」


「元々ないんだよ」


「そうか?……誰にでも一つはあるものなのだがな。まあ、なくとも、それだけ目が良ければ、いつかバルトゥ殿のようになれるだろう」


「クマみたいなマッチョに?」


「……さあて。それは、両親の血じゃろうなあ。だいたい、親御に似る」


「実の親は、優男の美男と、綺麗で細身なくせに巨乳な美女だったらしいな。オレって、だから美形だし」


『……自分で言うのか』


「ハハハ!たしかに、そんな顔しとるわ……さっきの技な。コツは抜くと同時に手首をちょっとばかし、ひねることだ」


「あー。そっか」


「分かったか?」


「何となくな」


「そんで、降り始めには、胸の筋肉に力を入れて、脇を閉める。そうすれは、より速く剣が抜ける」


「……試せって、言ってる?オレ、時間がないんだけど」


「好都合。一発勝負だ。覚えれば、ちょびっとだけ強くなれる」


「……使いドコロの限られそうな技だけどなー」


「ハハハ。そこまで分かるか。ならば、ますます覚えておくといい……剣を抜くのが速くなれば―――いきなり斬りつけられても、生き抜くこともある。魔術も呪術も無いのならなぁ、相手に先制して叩っ切るしかねえぞ」


「……まあな」


 アルテは背中のベルトから剣をサヤごと引き抜いて、左手で握りしめる。老人が楽しみに顔を歪める前で、アルテは自分のなかにあるイメージとアドバイスで修正しながら、剣を抜き放った。


 サヤから飛び出る剣は、銀色に閃いた。それが、12才の子供の太刀筋とは思えないほどに冴えて、速い。


「ハハハハー!やりおったわー。ワシの技、また一つ、モノにされてしもうたわ!!」


「……たしかに、使えるときには使えるかもな」


「んん。技なんてものは、そんなものじゃ。万能な技などがあれば、剣術だけで百の流派が生まれることなどもない。技を積み重ねて、隙を無くしていく。その作業の繰り返しをしているうちに、ジジイになって死ぬんじゃよ」


「……それって、カッコいい人生?」


「ワシからすればな。だが、他人サマはどう思うかは知らんよ……まあ、今日は後輩に技を伝えられた」


「……ありがと。いつか、使える時があったら使う。チーズ、今度は持ってくるよ!じゃあな、じいさん」


 アルテは剣をサヤに入れて背負い直すと、早足で坂道を登り始めた。修行者は老いた手を振り上げて、それをゆっくりと動かしながら叫んでいた。


「そうしてくれー。願掛けしているから、山から下りられんが……乳製品が欲しくなる。酒ものー、あればくれー!!」


『おい。酒は止めとけ。霊鳥は、酒を嫌うぞ。ヤツらにケンカ売りたくない……だろ?』


「んー……死ぬ前には、無礼を承知で戦いたくもあるが……いいや、今のナシ。聞かんかったことにしてくれ」


『まあ、いいけどな。その代わり、アルテにまた剣を教えてやれ。強くなりたいらしいからな』


「ああ、いいとも。チーズを持って来てくれたらなあ……それに、良い腕だあ……ワシの孫に産まれておったらなあ……うちの家系は、『天鳥クレインバルド』さまに愛されとる……あの剣才に、『時』の呪術の守護があれば……おそろっしく、強くなったろうになあ」


『八大神の守護なんてなくたって、アルテは強くなるさ。じいさんの想像を、はるかに超えてな』


「……そうかものう。技だけで、術に勝る……見てみたいもんじゃ」


『オレは、見せてもらうつもりだぜ……もっと先の未来でな』


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