第一話 『バルトゥとアルテ』 その2


 アルテは山道を狼と同じ速度で上れる……『サンドリオン』の『顔隠し』こと、メルネイは少年の細いが強靭さを秘めた脚を見つつ、『顔隠し』の布の下ではニコニコしている。


「……ウフフ」


『変な声で笑うなよ……っ』


「だって。素晴らしい脚……もとい、獣と同じような速さで、この斜面を登れる素晴らしい脚をしているのですから。見ていて、本当に胸が踊りますわ!」


「姉ちゃんは見えるのか?」


「ええ。『顔隠し』は瞳に魔術を施しているから、大丈夫なのよ。夜道でも、見えます。強い魔術師になれば、千里の果てまでも」


「……はー。魔術か……やっぱ、便利そうでいーな」


『……代償もある。『氷女神サンドリオン』は嫉妬深い。強い魔力と才能を持って生まれて魔女の血筋には、顔を隠すことを戒律で定めるんだよ。名字も削り取られ、森の奥で暮らすことになる』


「姉ちゃんも、オレと似たところがあるんだな」


「ええ。そうなのよ、アルテくん。そういうところ、大切に!……とっても大切にしていきましょうね!」


『……貪欲にうちの子との絆を求めてんじゃねえよ』


 白狼キルガはアルテに対して熱烈な感情を抱いている魔女、細めた瞳で見つめていた。


「誤解してますわ、聖狼さま」


『そうだといいんだがな……っと。バカなこと言ってるあいだに、到着だ』


「おーい!!バルトゥー!!」


 養父を見つけたアルテは山道を駆け上がる……バルトゥは長斧を使い、輪切りにしていた大木を叩き割っている最中であった。薪を作っている。


「……大集落から雇われる腕利きの魔狩りが、この山深い場所で木こりの真似事ですか」


『もっといい暮らしが出来るかもな。お前が大好きなアルテを捨て去れば』


「ウフフ。私にください」


『……やらん。それに、バルトゥはアルテを捨てられん』


「……そうですわね!」


 少年は養父に近づくと、挨拶代わりというように飛びかかる。蹴りを放つのだ。バルトゥは悠然とした動きで、獣の毛皮で作られたブーツを受け止めた。そのまま足首をつかむと、バルトゥはアルテを乱暴に地面へと向けて投げる。


 アルテは地面に叩きつけられたが、そのままくるりを身を躍らせるように回転して衝撃を殺していた。メルネイは一瞬だけ心配していたが、すぐにその大きな胸をなで下ろす。


 猿のように身軽なアルテは、すぐさまに立ち上がると、体についた泥を振り払うように身を揺らした。キルガが教えてしまった悪癖だ。狼がする身震いを、アルテはマネしてしまう。獣の動きを求めたアルテの癖であった……。


「あーあ。今日も当たらねえ。集落のガキには……当たるのになッ!!」


「……ケンカか」


「売ってきた。だから、買った。オレは間違っていない」


「そうだな。その考え方は間違いではない。だが、お前から挑発しなかったと断言することは出来るのか?」


「……それは…………」


「愚か者め。無闇と敵を作るものではない……お前は、光神の聖地で暮らすのだ。私が年老いて死んだ後にも、ずっとな……」


「信頼できるヤツを作れ?……そんなの、無理。シュラードの大集落のヤツらは、オレのこと嫌ってる。呪われ子だってな」


 その言葉を聞くと、バルトゥ・ルディアは顔をしかめてしまう。聖地で過ごした苦境がバルトゥの心を、およそどのようなことにも耐えるように鍛錬していたが……アルテに与えられた運命の過酷さを知る度に、苦しみを覚えた。


 ……人間に対する絶望をバルトゥは抱きつつもある。聖地シュラードの民たちでさえ、アルテを最終的には受け入れてくれないのだ。


 大集落に入ることも許されず、この山奥で獣のような暮らしをさせるしかない……環境に慣れてしまってはいるが、本来はカイナスの皇子として、何不自由なく暮らせたはずなのだ。自分が手作りした、どこか不格好なアルテの靴を見つめながら、バルトゥは瞳を閉じた。


 ……だが、追放されてはいない。


 カイナスの皇子であることを、長老たちも知っているのに……他国に売り渡すことも、殺すこともない。アルテが生きて行くことは、この聖地でなら可能となる……孤独でなければ、良いのだが―――。


『―――バルトゥよ』


「……分かっている。客人だな。たしか……」


「メルネイでございます、バルトゥさま」


 『サンドリオン』の『顔隠し』は、ゆっくりとお辞儀をする。バルトゥは、彼女のもとに近寄っていった。


「……依頼ですかな」


「はい。街道に、魔物が蔓延りましたので」


「魔物……頻度が増えているな」


「……外界では、『神下ろし』が流行っていますので」


「……フン。我々がそれを行った時は、禁忌に触れたと責め立てておいて、自分たちはそれを利用するのか」


「悲しいコトですわ」


「……なあ。どういうことだ?」


「子供には関係ないことだ」


「ズルい!……ケチ!」


「うるさい。キルガと遊んでいなさい」


『……おい、アルテ。行こう』


「ヤダ!……今度の魔物退治には、オレもついて行く!!」


『はあ?何を言っているんだ?』


「そうよ、アルテくん。危険なのよ、危ないコトしちゃ、ダメよ」


「バルトゥは?危ないコトするんだろ」


「それは……」


『バルトゥは慣れてる。手練れだ。心配ない。オレも行く』


「ズルい!!力を示して、名誉を得る!!……得たい!!オレは、英雄みたいになりたいんだ!!」


「……まあ」


 アルテの必死な言葉に、メルネイの心はときめいてしまう。背伸びする男の子は彼女の性癖を直撃していたからでもあるし―――魔王の息子の気概に、惹かれたからでもある。


 メルネイが子供の頃、大陸全土に覇を唱えたルドアン6世……恐怖と、その力に敬意を表明されてもいた、軍事的な英雄……その子供が、幼いながらに力への渇望を持っていることに対して、メルネイは興奮を覚えてしまう。


 異端者ゆえの共感なのかしらね。そんな自己分析を『顔隠し』はしていた。


 性的な趣向も大いに影響しているものの、アルテが指摘した通り、自分もアルテと同じ社会からのつまはじき者ではある……世界を旅していても、一定の安全と自由は確保されているが、社会集団の内側に入ることは子供の頃から無縁であった。


「なあ。バルトゥ!オレも、強くなった!ガキじゃない!剣も、弓も使える!!オレも魔物退治に連れてってくれよ!!」


「……まだ早い」


「力が足りないってコト?」


「そうだ」


「じゃあ、証明するためのチャンスをくれよ」


「チャンスだと?」


「そうだ。試せ、バルトゥ。値しないと分かれば、オレだって納得するぞ」


「……ふむ」


 何事かを考え始めたバルトゥを見て、キルガはイヤな予感がしていた。人間たちの修正なのか、年を取る度にバルトゥはどこかムダに思慮深くなる。まだ12才だぞ?……クマを狩れたからといって、知れた力しかない……そもそも、魔物退治など、子供のすべきことではない。


『……バルトゥ。子供のたわ言に付き合うな』


「いいや。アルテは愚かなトコロも、賢いトコロもある子だ。納得させなければ、我々を出し抜いてついて来るかもしれない」


『ぬ。それは、そうかもな』


「修行にもなる。アルテ、コルトア山に行き、霊鳥の羽根を拾って来い。夕日が山に沈むよりも早くに戻れれば、お前の力を少しは認めてやろう」


「へへへ。そんなの、簡単じゃないか」


「ただし、馬は使えない」


「おい。そんなの、ズルいぞ!?」


「ズルくはない。試験とは、制約を超えることで力を示す。知恵でも体力でも何でもいいから、成し遂げろ」


「……わかった。弓と剣を持ったら、すぐにコルトアに向かう!!」


 アルテは鼻息荒くそう言うと、バルトゥが建てた小屋へと目掛けて風のような速さで駆けていた。バルトゥは、静かな瞳を白狼に向けて来る。


「キルガ。すまないが……」


『……お守りはするぜ』


「……頼んだ」

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