序章 『神に喰われた子』 その3


『……そうかな?……だが……魔術師どものルールは、そう甘くもないからな……だが、かまわん。もしも、この行いが悪などと言うのであれば、この行いで罰せられるのであれば、オレは……誇りをもって、その罰を与えられるさ』


「……聖地も、クソッタレなところがあるわけか」


『おい。冒涜は厳禁だぞ。口は慎め、お前と、何よりその子のためにだ……その子、かなり特別だな……光神の子らの祝福無しで、生き延びるなんて……』


「特別なのは当然だ……』


『皇子といったな?カイナスの、ということは……』


 狼は何かを考え、答えを得たようだ。だが、その雪に馴染む白い色をしている大きな頭をブンブンと振った。


『……いや。いい。答えるな。嘘をついてもいいぞ。守れ。その子は、たしかに誰よりも罪の無い子なのだから』


「……世界の秘密でも知っているような口ぶりだな」


『聖隷だからな。オレは……さあ、乗れよ。あの大鹿に』


 ……雪原の果てから、毛深く巨大な曲がった角を持つ大鹿が現れていた。大鹿は魔術に操られているのか、あるいはこれもまた光神の聖隷なのか、騎士バルトゥ・ルディアの前にひざまずいた。


「すまないな……」


 大鹿の背にまたがりながらの言葉は……雪原に捨てた愛馬のためにも使われている。どこか浮気めいた感情になった。それは確実に後ろめたさだった。だが、それでもバルトゥの瞳には強い輝きが踊る。


 カイナスの騎士としては、愛馬と共に果てるべきだったかもしれないが―――この、小さな子がいる。救わなければならない命だ……自分の、残りの全てを何もかも捧げたとしても。足りなければ、誰かから奪ったとしても……みじめな命乞いさえしたとしても。


「……守ります。オレの命の続く限り、貴方を守りましょう、我が主君……アルテさま」


 罪深き者のはずだった。


 それを狼は理解している。それでも……その死にかけの騎士が、何故だか古来の英雄たちとも同列に見えた。理由は、狼にだって分かるまい。だとしても、問題は無い。


『聖域に訪れた者には、他国の者は干渉できない……生きる権利がある。さあ、行こう。オレが……お前たちと共にいてやる。頼りになるぞ、オレは』


「そうか。オレはともかく……この子を、守ってくれ……八大神の加護が無くとも、生き抜く力がある子なのだ」


『……ああ。そうしよう。オレの名は、キルガ。光神の霊廟を守るための聖なる狼の一匹だ』


「オレの名は、バルトゥ・ルディア……かつてはカイナスの騎士。これより先は、全てをアルテさまに捧げて、死ぬ男だ」


『……うん。わかった。そうしろ。さてと……行くぜ』


 聖なる狼キルガは雪原を軽やかに走り始め、バルトゥと赤子を乗せた大鹿はキルガのあとを追いかけて走った。風のように、それらの獣たちは速く……バルトゥと幼き子を聖なるシュラードの大集落まで導いたのだ。


 光神の加護は与えられたのかもしれない。


 バルトゥとアルテは生き抜くことになる。八大大国の追っ手も、この聖なる土地には軍を派遣することは叶わない。幼子の命を刈り取るために、この土地に入ることなどもっての他だとシュラードの四大長老の一人は主張する。


 ……だが、歓迎はされなかった。光神アミシュラを殺した、闇神への生け贄を、悪しき存在だと考える長老もいた。罪はない。赤子に罪はなかったとしても、さまざまな問題を呼び寄せる、厄介者であることには変わりはないのだ。


 聖地シュラードに、これほどまでの穢れが紛れ込むことはなかった……幼き赤子アルテは、大集落に住むことは許されず、雪深い山での暮らしを強いられることになるのだ。聖なる狼キルガは、その裁定をどこか予想はしていたが、実際に目の当たりにしたとき絶望を隠せなかった。


 幼き命に苦しみを与える魔術師たちのことを、心の底から軽蔑し、キルガは一族からも離れることになる。キルガは聖地の者たちから軽蔑をその身に受ける落人となるが、かまわないと感じた。それが罰なら、喜んで背負うと決めていたからだ。


 騎士バルトゥは、キルガの加護を受けながら、山奥に小屋を建てた。キルガは牝鹿を魔術で呼び寄せては、その乳を赤子に与えた。


 過酷な聖地の冬を、八大聖神の加護なき赤子は生き抜いてみせる。1年が経ち、2年が経ち、3年が経ち……月日が経つにつれて、黒髪の子供は成長していった。魔王の髪の色を持ち、姫の面影を残す顔立ちだとバルトゥは喜んだ。


 ……だが。


 生き抜く力を与えてやらなければならない。呪われた子として集落にも近寄れず、魔術も呪術もアルテは使うことができないのだ。神々からの祝福を受けていない者には、それらを扱えない。


 舌っ足らずの言葉を使う頃には、魔術か呪術の才も芽吹くというのに……不憫で、みじめなことだ。


 強さを与えてやらねばならない。聖なる土地でさえ、誰もがアルテを受け入れることはないのだ。ならば、私が与えねばならない。万象を操る魔術も、己が肉体を強化する呪術も使うことなく……この雪深く、獣が巣食う土地でも難なく狩りをこなせるように。


 ……いや。


 この子の父上や母上のように、乱世の波に巻き込まれても、世界をねじ伏せて己の幸福を求められるように……雄々しく戦うことこそが、魔王と戦姫の息子に相応しいではないか。


 口周りのヒゲに白いものが混じり始めていたとしても、バルトゥは騎士としての気概を忘れることはなかった。聖地に暮らし、光神への信仰を口にする罪の無い日々を過ごしつつも……力を重んじることは忘れない。


 魔術も呪術も使えないならば。


 武術と戦術を教え込もう。


 ほぼほぼ無力なものに過ぎないが、戦場では使い用があるものだ。敵を殺し、獲物を狩るための力を与えよう―――それしか、この力と祝福を奪われた子には、己を守る牙はないのだから。


 狼との出会いから5年が経つ頃、木刀を持たした。6年が経つ頃、なけなしの金を使い馬を買い与えた。7年が経つ頃、毎日、槍と共に踊ることを課した。8年が経つ頃、弓で鳥を射ることで命など儚いことを教えた。


 魔術についても、呪術についても、教えなかった。才が無いなら、その必要はない。聖神たちの加護を持たぬ下等な獣のように、ただその血肉が宿した力のみを頼ることを教えた。


 9才のとき、イノシシを射殺させた。大きな獲物ではないが、殺して奪うことで食料と毛皮を得ることを教えた。行商人のように、その毛皮を売るため聖地の外れまでソリを引いた。商売をすれば、銀貨を得られることを教えた。


 数字に強ければ、交渉の話術が巧みであれば、ヒトはより多くを得られることを教えた。商人相手に飲み明かし、ついつい稼いだはずの銀貨を使い尽くすという失態も教えてしまう。狼には呆れられたが……酒で失敗した英雄も多いと説けたことは幸いだ。


 ヒトは賢かろうが優れていようが間違いを犯す本能を持つことを伝えられたので、あの失敗は糧となったとバルトゥは本気で考えてもいる。達人も凡人も、同じ確率で騙せるという現実を教えられたことは大きいと。


 策を用いれば、強さも消せるのだ。少しばかり卑怯な知恵を使うだけでいい。

 技術を極めれば、枝と石と鉄の欠片から、十分な質の矢を作れることも教えた。職人に敬意を払い、その仕事を常に模倣しろと教えた。


 ……バルトゥは、多くを教えて、鍛えようと必死だった。いずれ思い知らされる日が来ると理解していた。世界の誰しもが使える聖神たちの術を、加護を持たぬアルテは永遠に使いこなせいという事実と触れて、おそらく底無しの劣等感に苦しむことになると……。


 だからこそ。


 バルトゥは大集落の長老たちから聖地に流れ込んで来た厄介者の始末を依頼されることを好んだ。光神の涙と血、あるいは祝福の歌の残滓を求めて聖地に這い寄る魔物らを、バルトゥは剣のみで退治した。


 魔術も呪術も使うことなく。死にかけながらも、剣と弓と罠だけでもそれが成せることを示してみせたのだ。神々の祝福がなかったとしても、ヒトは強くなれるのだと示すことで、アルテの劣等感を克服しようとした。


 口だけでなく、その身と荒行をもって示すことで。


 ……そんなバルトゥとアルテの聖地での日々は、12年が過ぎようとしていた……。


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