序章 『神に喰われた子』 その2


 何時間、何十時間それを続けたことだろうか……夜が来て、朝になった……空から降る雪は終わったが、強い風により雪煙の波が立つ。バルトゥの意識は終わりに近づき、またその腕の中にいる赤子の命も終わろうとしている。


 ……食料も尽きた。乳飲み子の命も限界だろう。『力』の呪術で命を削り与え続けて来たが、魔力だけでは腹はふくれない。母親の乳が必要だが、彼女は、もう冥府の住人である。バルドゥ自身の手で、名前もつけられていない森の奥に、葬った……。


 ……このまま、終わるとするのなら。せめて、光神を呪って死のうと思ったが、バルトゥの凍りついた唇は、何も放つことはできなかった。


 ……おのれ。おのれ……っ。


 くそったれだ。


 オレも、この世界も……っ。


 これほどに世界が無慈悲なら、どうして生まれてこなければならなかった。


 オレも、皇子殿下もだ……ッ。


 歩きが止まる。限界が来てしまっていた。体力も魔力も使い切った。何もない。あとは、ただこの白い世界に沈むだけ。あるいは立ったまま樹氷の一種と化けるだけか。


 せめて。自分よりもあとに、皇子殿下が死んで欲しい。凍りついた口から、弱々しい願いを帯びた息を吐いたとき、バルトゥの耳は獣の声を聞いたのだ。


『アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンッッッ!!!』


 ……白い世界に、白い獣がいた。目だけは金色に輝く、巨大な狼。それが、雪の海原を歩いて来る。バルトゥは、すぐにそれが野生の獣でないことに気がついていた。それは、『聖隷獣』……魔力で使役される、戦士の獣だ。


 敵か?……剣を、抜くことも出来ない。体は凍りついていた。だが、戦う必要はなかった。狼はバルトゥの目の前で立ち止まり、その金色の瞳をバルトゥに向けて来る。


『……お前、光神の慈悲を求めて、来た者だな?』


 狼は白い息と共に、言葉を吐いた。


『答えよ。しゃべれるはずだ。私は、『炎』にも愛されている……』


 バルトゥは、その言葉と共に体に温もりが戻っているのを感じる……動けそうだ。


「……オレは、カイナスの騎士だ……」


『……魔王の騎士かッ』


 狼は険しい顔をしたが、バルトゥはその威嚇に怯えることはない。告げることは決めていたからだ。


「オレは、どうなってもいい。オレなど、どうでもいい……オレは、あまりにも罪深い」


『そうか。それならば、どうしてこの聖地を求めた?』


「頼む、偉大な魔術師の聖隷獣よ……この、罪無き子を……助けてくれ」


『……子?……たしかに……若い命の臭いがする。お前……その腕に……赤子を抱えているのか!?だが……何だ、『コレ』は!?……祝福の気配が八色の全てにおいて存在しないだと?』


「……闇神に、捧げたのだ……」


『貴様がか!?……な、なんということを!?』


「どうでもいい。誰が、何のためだろうが、どうでもいい」


『ふざけるな、極悪人めッ!!聖地への冒涜は、許さんぞ!!我が牙が、貴様の悪しき罪をその命ごと砕いてやろうか!?』


「それでもいい。だから、大事なことを、聞けよ。狼……罪など、この子には、無いだろう?」


『……ッ!!……貴様……この光神の聖地に、闇神の生け贄とされた呪われ子を持ち込んでおいて…………そんなことを……言うのかよ……?』


 大いなる力を秘めた聖隷は、どこか自信を失った子供のような口調になる。バルトゥは狼に近づく。脚が動く。命を狼が分け与えたからだ。動けるのならば、伝えるべきだ。弁護しなければならない。そのための口は、ただ一つだけなのだから。


「そうだ……他のことなど、どうでもいい。オレの命が欲しければ、くれてやろう。だがな、狼……この子は、罪など無いだろう?違うか?この弱く、凍えて死にそうな命が……母の乳さえももらえなかった哀れな魂が……どこに、罪などあるのだ」


『…………オレは、この聖地を守るべき聖隷なんだぞ?』


「だから、どうした。最も由緒ある聖隷なればこそ、真に正しいことを、するべきだろ?……違うのか、聖地の守護者よ。光神の戦士よ……」


『…………そう、だな……その子は、たとえ光神の子らに祝福されなかったとしても、この浄化の聖地にまで来たのだ……ならば、オレは、認めるべきだ。たしかに、罪などない。その意志もまだ心のなかに形作られてはいない魂が……死ぬべきではないのだ』


「……そうだ。当然のことだ……オレの皇子殿下は……アルテさまは……生きるべきなのだ……」


 金色の瞳を閉じて、狼はうなずく。聖隷のくせに、まるでヒトのように感情が豊かだ。


『…………うむ。来るがいい……大鹿を呼んでやる。それに乗り……シュラードまで行こう。シュラードの大集落なら、その子を受け入れてくれるはずだ』


「……そうであるべきだ。この子こそが、何よりも無実な子なのだから……」


『……ヒトの子の口から、そのような言葉を聞くとはな…………さあ、行こう。その子のために、聖地の一角をくれてやろう』


「……ああ。そうしてくれ、ありがとう。狼」


『よせ。礼など不要だ……オレは、もしかしたら、禁を破る悪獣なのかもしれない』


「罪などない。オレはともかく、慈悲深いお前にはな」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る