第15話 北の方、琴を様々に弾き、その禄として尚侍となる

 そのうちに夜も更け、それに連れて琴の音も冴えたものとなって行く。

 北の方は胡茄こかの手の中でも興のある曲を弾き始める。すっかり彼女はそれに夢中になっていた。

 一方、それを間近で聴く帝の方は、苦しい程に彼女に惹かれて行く自分に気が付く。

 昔から「俊蔭の娘」の噂を聞いて、興味は抱いていた。入内を勧めたこともあったのだ。その時の感情が、今ここで膨れ上がっていく様だった。


 ああこのひとの音だけを聞いていたら、きっと自分は。


 帝は命ずる。


「涼、仲忠。そなた達はこの曲を知っているだろう。良い所で拍子を回すがいい。行正は今めいた歌を入れておくれ」


 仲忠と、事情を薄々気付いている涼は顔を見合わせ、うなづきあう。

 行正は、誰か判らないが素晴らしい琴の音を曇らせる様なことになってはいけない、とやや緊張する。そしてその一方で、ここに仲頼が居てくれたら、と一瞬考える。

 帝は琴の譜を取り出すと、それを眺めながら、北の方の弾く旋律から曲の見当をつけて、解説を入れる。

 彼女はその場にある譜の曲は全て弾き、今ではそこには無い珍しい手まで、心を尽くして弾き続けている。

 そのうちの一つに、帝は特に心惹かれる。


「『胡婦行このめくたち』という曲だな」


 北の方に聞かせる様に、ゆっくりと静かに語り出す。


「これはその昔、唐の国の皇帝が戦に負けそうになった時、胡の国の将軍が来て敵軍を平定してくれたことがあった。皇帝は喜びのあまり、自分の七人の妃の中から望みの一人を与えようと約束した。

 その中に一人、非常に美しい人が居た。七人の中で、皇帝もその一人を最も寵愛していたので、妃自身『自分が与えられる様なことは無いだろう』と信頼していた。ところが」


 そこで一度言葉を切った。


「他の六人は絶対に行きたくない、とばかりに絵師に千両の黄金を与え、自分を醜く描かせた。

 美しい妃は皇帝を信頼して、絵師には何も与えなかった。絵を見た胡の将軍は、迷わず彼女を指名したのだ」


 それが名高い「王昭君」だ、と帝は言う。


「皇帝は彼女を離したくはなかったが、『天子は空言せず』という道理があるゆえ、拒むこともできなかった。

 王昭君は大層嘆いた。

 その彼女の気持ちに、胡の国の笛がずいぶんと哀しく届いた。

 それは胡人が喜んで吹いたものかもしれない。彼女の心境を察して悲しんで吹いたものかもしれない。

 いずれにせよ、彼女の心にはそう届いたのだ。そして彼女を乗せた馬もまた、悲しく嘶いたのだ。

 それを曲にしたのが、この『胡婦行』なのだ。やがて後にこの曲を聞いた皇帝は『もし自分が今ここに手綱を持っていたなら彼女を取り戻しに行くのに』と思ったという……」


 やがて曲は「胡原このはら」へと変わる。

 帝はそれを聞くうちに、一つの記憶が呼び覚まされるのを感じる。


「昔、私はこの曲を聞いたことがあるぞ。そう、あれは故俊蔭朝臣のものだ。そなたの手は、朝臣のものと同じだ」


 音は帝の中にも、幾つもの思いを呼び起こさせるかの様だった。


「仲忠の琴の手は、聴く者を魅了して、全てのことを忘れさせてしまう」


 神泉苑での出来事は、帝にとっても衝撃だった。あの時、自分は何を見たのだろう。あれは本当に現実に起こったことなのだろうか。


「だがそなたの音は違う。やはり素晴らしいが、あれの持つものとは何処か違う。そう、そなたの音は、気持ちの深い所へと入り込む。そしてかの故人のことを思い出させたり…… 自分では感じることのできない思いを引き出させるものだ。『いっそ忘れてしまえばそれまでなのに、葦原に鳴く音を聴いては恋しさ侘びしさが増すばかりだ』と言いたくなるな。ついでに、昔覚えた手も弾いてはくれまいか」


 帝はそう言って、琴の調子を変える。

 北の方はそれにも戸惑うことはなく、従来あった手はそれに加えて弾き、誰も弾いたことの無いものは、細かい所まで巧みに弾きこなす。

 「胡原」を弾き始めた時には、仲忠や涼が詩を誦し、行正が唱歌を口にした。

 現在の優れた奏者と、過去の優れた俊蔭の手が曲の中で溶け込む。

 古いものと新しいものが一つになる。


「『胡原』の哀れさは勿論、この音が心凄いまでに聞こえるのは当然であろう。

 この手こそは、あの胡の国へと行った王昭君が、胡国と自分の国との境で嘆き悲しんだ調べなのだ。

 皇帝に最も寵愛された妃であったのに、辺境の武士のものとされることになってしまった心地はどんなものであっただろう……」


 その様に、と帝は北の方に呼びかける。


「そんな思いに勝る悲しみを込めて、そなたが弾く様子も、また非常に美しい」


 困ることを言い出した、と北の方は微妙に集中を削がれる。


「どうしてそなたには、関守が居るのかな。『胡原』に勝る悲しみの声を上げたくなるよ。そなたは国境を越えた妃に関を通って戻るのを許さない皇帝を、そなたは軽蔑するだろうな」


 兼雅が居る今、自分への思いは叶わないのだ、と帝は訴える。

 冗談だろう。冗談にしてしまいたい、と彼女は考える。


「どんな関守も、帝を拒む訳には参りません」

「近衛に居るではないか。固い守りが」


 北の方はそれからは黙って弾き続ける。

 帝の側でこの音を聴く全ての人々は、男女を問わず、皆残らず涙を流さずにはいられない。



「さて」


 北の方が自分の手を全て出し終わった時、帝は口を開いた。


「何を今夜の禄にしたものかな。この手にはどんな禄も足りないと思うが」


 ちら、と彼女の息子と涼が並んでいる方に視線をやる。


「そう、涼と仲忠への以前の琴への禄もまだやっていなかったな。八月になったら、左大将に催促するがいい。もういい加減、その時期だろう」


 ああ、と北の方は思う。息子に女一宮を降嫁させるという話は彼女も聞いていた。

 だが様々なことが次々に重なり、なかなかそれは形にならずにここまでやってきてしまった。

 それがとうとう。

 母としては嬉しい限りだった。


「そなたには本当に、何を贈ろう…… そうだな、私なぞどうだろう? そなたの息子は禄として私の娘を得たのだから」


 ご冗談を、と口の中だけでその言葉を転がす。

 帝はやがて、御座所の御前にある日給ひだまいの簡――― 殿上の札を取り、さらさらと何やら書き付ける。


「そなたを尚侍に致そう」


 北の方は驚く。

 帝は彼女のその様子には構わず、その旨を記し、上に歌を詠む。


「―――目の前の枝から起こる風/琴の音は実に上達したものだな―――

 この琴の音が非常に素晴らしかったので」


 帝は上達部の方に、署名する様に、とそれを渡す。

 まず左大臣がそれを見て首を傾げる。


「一体誰だろう。まるで私には判らない」


 だが帝の手であることは間違いない。彼は「左大臣従二位源朝臣季明」と署名すると、その傍らにこう書き付けた。


「―――風/琴の音は皆さんと同様に誠にあわれと思いましたが、どなたの筋でしょうか―――

 どうも合点のいかない宣旨でございますな」


 そして右大臣に回す。彼もまた首を傾げる。


「不思議だな。こんな素晴らしい音を出して尚侍になる様なひとはここしばらく絶えて無かったが…… もしや琴を弾くあの清原の一族のあのひとだろうか」


 そう推測して「右大臣二位藤原朝臣忠雅」と書き付け、歌を詠む。


「―――武隈のはなわの松の親子を並べて秋風が吹く様に、北の方/親も仲忠/子も揃って琴を弾いてくれればいいのだが―――」


 左大将が次に受け取る。

 正頼が見ている所を皆のぞき込み、これはどうしたことだ、と右大臣に問いかける。


「いや、私にも判らないのだが、或いは仲忠の母君ではないかと思いついたので。皆はそう思わないか?」

「成る程、それは考えつかなかったですな。それにしてもよく思いつきになりましたな」


 そう行って正頼は「大納言正三位兼行左近衛大将陸奥出羽按察使源朝臣正頼」と書き付けて歌を詠む。


「―――はなわの松風が寒ので、成る程それで小松の蔭が涼しいのですね。母君のお陰で彼も上手なのでしょう―――」


 次は右大将――― 兼雅だった。

 それを見た彼は非常に複雑な気分になった。


「一体ぜんたい、何があったというのだ…… 全くもって私にはわからん……」


 すると中から何処か浮かれた帝の声がする。


「判らなくとも良いぞ。署名を早く」


 仕方なく兼雅は「従三位守大納言兼行右近衛大将春宮大夫藤原朝臣兼雅」と書き付け、やはり歌を詠む。


「―――段々強くなる松風のために、後から後からうち寄せる波の様に涙がこぼれることよ」


 兼雅は首を傾げつつも民部卿へと回す。彼はすぐに「従三位権大納言兼民部卿源朝臣実正」と書き、歌を詠む。


「―――年を重ねても枝さえ変わらない高砂の松の風は、隣の松風にもまさるだろう」


 簡は民部卿から左衛門督、平中納言、宮のかみへと回され、その都度歌が詠まれる。


 そうしているうちに、新しい尚侍となった北の方は自分の持つ胡茄の手の調べを全て弾き終わった。

 帝はこれで終わるのは惜しいと思い、手を止めた新尚侍を制す。


「胡茄の手は覚えていないと言ったが、兎にも角にも弾き終わったのだ。少し調子を変えて、もう一度、今度はこの節会のための曲を弾いてはくれまいか」


 すると尚侍は琴を「なんかく」の調子に合わせ、ゆっくりと弾きだした。

 その音を味わいながら、帝は尚侍に向かって言う。


「過去のことは後悔しても仕方が無い。せめて今からでも、立派な節会が一回ある毎に一手ずつ弾いて欲しい。いや、節会でなくとも、春や秋の、花々や草木が盛りとなり、趣がある夕暮れなどに、面白い手を弾いて聴かせて欲しい」


 尚侍はそれには答えず、ゆったりと弾き続ける。


「いや、千年も経つ間、次々とある節会の度に弾いたとしても、そなたの手は尽きることがあるまい。人生は短い。限りのあるものだ。私とて同じだ。そなたの手を全て聞かぬうちに尽きてしまうだろう。それは何と心残りなことだろう。そなたにも私にも万年もの寿命があるものなら……

 ―――千年も寿命のある松から出る風の音/琴を誰が永遠に聴こうとするだろう。そなたの琴の音を理解するのは私だけだ―――」 


 尚侍は弾く手を止めることは無く、歌を返す。


「―――声が絶えずに吹く風には、松の齢よりも久しい君がお涼みになることでしょう―――

 君とは他でもない、帝のことでございます」

「そなたのその言葉は嬉しいが、人生には定めが無いから悲しいのだ」


 そう、と帝はつぶやく。


「もしそなたが来世で草木となることがあっても、そなたであれば、この琴の音を草木なりに出すことができるだろうから、私はそれを聴こう。私がもし木になるならば、鳥の声に、草となるならば、そこで啼く虫の音に、山となれば、風の音に、海川となれば、高い波の音の中にでもそれを聴こう」


 大げさな、と思いながらも尚侍はその言葉には悪い気がしなかった。

 これはここだけの言葉。琴の音に誘われて発せられた、ここだけの誓い。

 だからこそどんな大きな約束であれ、彼女は驚くことなく受け止めることができる。


「そなたも知っているであろう、長恨歌において、楊貴妃が皇帝と七月七日に長生殿で来世を誓った様に、そなたとは今夜、この仁寿殿で約束しよう」


 かの漢の玄宗皇帝が、寵姫であった楊貴妃と誓った約束。天にあらば比翼の鳥となり、地にあらば連理の枝となろう、という来世の誓い。


「これが決して長生殿の約束に劣るとは思わないで欲しい。

 ―――生い立ちの違う姫松それぞれの、千年も続く寿命は別々であるが、同じ川辺の水となって流れるだろう―――

 そう思って欲しい。私も勿論のこと」

「『言出しは……』ということがありますが、お言葉ではありますが、お信じ申すことは出来ませんわ。

 ―――淵が瀬になったり瀬が淵になったりする様に変わったりすることはあるまいと思いますが、飛鳥川の例もありますので、そちらの水が中淀み/途中でお心変わりすることでしょう―――

 そればかりが心配でございます。私としてはひたすら『深き心を』とのみ念じております」


 尚侍はさらりと受け流すが、その中でも古歌が二つ引かれている。

 言葉を尽くして迫る自分に対するとっさの返事にも冷静な彼女に、帝はますます心を惹かれる。


「よし。それでは私の心が浅いかどうか試してみるがいい。

 ―――白川の水の様に一緒に暮らして見ましょう。果たしてどちらの水が余計に湧くかどうか―――」


 ふふ、と帝はそう言って笑う。

 やがて内膳部から、帝と尚侍の双方に御膳部が出された。

 浅香せんこうの木で作られた折敷おしきが四十。その台も敷物も二つと無い程のものである。御器が立派なのは言うまでもない。

 そこに盛った果物や乾した食物――― それ自体はありふれたものではあったが、非常に結構なものであった。

 帝は左近中将の実頼や兵衛督などに命ずる。


「今夜ここで琴を弾いてくれたのは、非常に素晴らしいひとだ。そなた達、内膳司に行って、少し趣のあるものをすぐさま調理させるがよい」


 それから大変だったのは、内膳司である。

 世の中のあらゆる方法を尽くして、経験もあり、老練な殿上人が手づからまな板に向かって料理を始めた。

 その道に通じた者達が、三四十人集まって作った料理は、ことに素晴らしいものとなった。



 新尚侍が弾く曲が無くなる頃には、既に暁が近くなっていた。

 その間にも、兼雅の三条の北の方が新しい尚侍になったという知らせは宮中の女官の間をあっと言う間に駆け巡っていた。

 彼女達、内侍や髫髮うないは慌てた。新しい自分達の上司に挨拶をしなくては。

 あちこちの局は勿論、楽や舞を教える内教坊ないきょうぼうに至るまで、正装し、髪上げをして、総勢四十人が仁寿殿へやって来る。尚侍のもとに折敷を差し上げるためである。

 その一方で典侍も賄いをするためにやって来る。

 ちなみにこの典侍は決して身分の低い者ではない。親王の娘で、源氏を賜っている女性である。

 彼女は尚侍のお供の大人や童達への御馳走の采配を奮う。



 さてその頃。

 新尚侍の夫である兼雅は、この時ようやく、話題の中心が自分の妻であることに気付いた。

 簡が回されている間もおかしいとはずっと感じていた。

 だが妻の琴を聴いたことが無い彼には決め手が無かった。

 仕方なく彼は様子を伺っていたが、自分の家の者に典侍が賄いをしている様子や、人々の言葉からようやく確信が持てた。


 一体いつの間に参内したのか?

 仲忠は何を知らない振りをしていたのか?


 様々に考えることはある。

 だがそれはそれとして、彼は思う。


 後宮の素晴らしい大勢の女の間に立ち混じっても、妻は決して見劣りしない。いや、それ以上かもしれない。

 そう、自分はこんな素晴らしい女を妻にしているのだ―――


 そう思うと、彼は妻に対し、ますます愛おしさと誇らしさを感じるのだった。

 一方、新尚侍を目にした后宮をはじめとする女御達も思う。


 成る程、あの兼雅どのはこのひとを妻に持ったからこそ、他の女に目を移さなくなったのか―――


 彼女達は納得する。尚侍は素晴らしい女性だ。

 容姿は勿論、あの琴の才は何ということだろう。

 それだけではない。女として、妻として、母として。

 そう、息子はあの仲忠だ。あの様な青年をこの世に生み出すことができた女性。それはもう、この世のものとは思われない……

 女性達までもがうっとりする妻の様子に、兼雅は何となく自分までが面目を施した様で嬉しくなる。

 だがその一方で不安にもなる。


 もしかして帝の手がつきはしないか?


 そう、彼は知っている。「俊蔭の娘」だった自分の妻を、帝が昔から心に掛けていたことを。

 ああどうしようどうしよう、と気になって仕方がない。

 だがいつまでもそわそわしていても始まらない。

 北の方を送ってきた者の中から、兼雅は政所別当である左京大夫橘元行を召し出した。


「どうなさいましたか?」


 あー、と兼雅は少しばかり視線を宙に巡らせ、言葉に迷う。


「……そなた、……その、送ってきただろう」

「北の方さまですか? はあ。仲忠さまの仰せで。……それが?」


 やはり仲忠か、と兼雅は思う。


「その、だな。今日にわかに、尚侍の宣旨を受けたのでな」

「へ? 北の方さまがですか?」

「そうだ」

「一体それは、また」

「細かいことまで聞くな……」

「はあ」

「それですぐそなた、三条へ戻り、尚侍就任の祝いの宴の準備を頼む」

「は、はい」

「必ず見送って沢山の客人が来るはずだからな、そっちの方も」

「客人の方でしたら、相撲でこちらが勝った時のために、と既に用意はできております。御馳走のことなど、今度は前々から心を入れて準備致しましたから、その辺りは何も御心配なさることは無いと存じます」


 そうか、と一端安心した兼雅だが、すぐにいやいや、と首を横に振る。


「だが元行、それは相撲に勝った時の準備なのだろう?」

「まあ、そうですが」

「今度は何と言うか、急なのだが、尊い宣旨なのだから、女大饗その他のことは、特別に立派にしたいのだ」

「ああ……」


 元行は承知した、という様に表情を和らげた。


「そうそう、御馳走のことは殊に、殊に! 念には念を入れてくれ」

「はい」

「ただでさえ現在の女官達の中には、身分の高い典侍もおいでになるのだ。あれのためにも、ちゃんとした用意をしなくては」

「承りました」

「おおそう言えば、準備のために、仲忠が退出しようとするかもしれないな。だがあれには母が退出する時に居なくては都合が悪いだろう。ああ仲忠め。あとでゆっくり事の次第を聞いてやらなくては」

「はい。それでは」


 元行は主人の慌てぶりに微笑ましい思いをしながらも三条堀河へと向かう。



 一方、帝は帝で、この新尚侍への贈り物を充分立派なものにしたいと考え、左大臣に向かって命ずる。


「この尚侍が退出する時には、何かしら気の利いた贈り物をしたい。だが今回は、あまりにも急なことだったなので、格別の用意もしていない」


 確かに、と左大臣はうなづく。


「そこでそなた、蔵人所や内蔵寮へ行き、少し今風で、それでいて由緒のある贈り物を見繕ってはくれまいか? 仲忠母子は物のあわれをよく解する一族の者だ。そしてまた当人達も気の利いた者達だ。特別に気をつけて取り計らってくれ」


 了承した左大臣は早速、とばかりに立ち上がる。后宮や仁寿殿女御なども、尚侍に何かしらの贈り物をしよう、と動き始めている様子だった。

 そんな人々の動きを横目に見ながら、退出するまで、とばかりに帝はしきりに尚侍に話しかける。

 その中で、ふと帝は思い出した様に彼女に告げる。


「そう言えば、今夜そなたの供をしてきた女房の中に、内侍として宮仕えできる様な者は居らぬか?」

「内侍――― ですか?」

「この頃、清涼殿の内侍が一人足りないのだ。そなたが知る中で、物を多少良く知っていて気が利く者が居るならば、そなた付の殿上の女房になさい。そなたが参内する時に、そなたの世話をさせるといい。―――そう、全て女官のことは何でもそなたの自由なのだ」


 そう言ってから、帝はふと遠い目になる。


「昔からその様にしていたなら、今はそなたも国母にもなっていただろうに。仲忠ほどの優れた親王が生まれていたかもしれない。そう思うと―――」


 尚侍をそれを聞くと、軽く目を伏せる。

 悔やんでいる訳ではない。それは無理だろう、と彼女は閉じた目の下で考えている。

 仲忠は確かに素晴らしい子だ。自分には勿体無いくらいの子だ。

 だが、もし仲忠が兼雅との間ではなく、帝との間に、親王として生まれていたならば?

 きっとあの様には育たなかっただろう、と彼女は思う。全ては自分が至らなかったからなのだ、と。

 時間は巻き戻せない。今ここにあるものが全てなのだ。

 だが彼女はそれを帝に言うことはしない。帝は帝でそう信じているし、わざわざそれを自分の口で否定することも無いのだ。

 帝は続ける。


「そうだな。公には無理でも、私の心の中ではそなたは私の后と思っていよう。これからも度々参内なさい。その時には、そなたが望むなら清涼殿をも明け渡そう。自分は軒下に住んでも、そなたの望みは遂げさせたい」

「おそれ多いことでございます」

「そなたが私の側に居ても、誰も悪いとは言うまい。気兼ねなしに参内なさい。そう、右大将は咎めるかもしれないな。そう思うとちょっと情けなくて寂しいものだが――― それにも従わなくともいい。そなたが私の側に来たからと言って悪いことは無いのだ。兼雅が嫉妬することもあるまい」


 さてどうだろう、と彼女はくす、と笑う。

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