第3話 過去の文比べ、弓比べで男達は遊び、やがて相撲の力士もやってくる。

「さて、この文を見せ合うに際して、何を賭けましょう」


 文箱を横に置いた兼雅がまずこう言った。


「そうだな何を賭けよう。そう、わしは娘を一人賭けよう。あなたは何を賭けなさる」

「私はちょうどここに居るから、仲忠を」


 思わず仲忠はそれを聞いて口を歪め、身をのけぞらせる。まあまあ酒の上のことだよ、と正頼の子息達は彼をなだめる。


「それでは」

「それでは」


 兼雅は非常に見事な銀の透箱に、これまた美しい敷物をしたものに文を入れていた。

 一方正頼は、虫ばんだ浅香の木目を削りだし、唐草や鳥を透かし彫りにした箱に入れている。

 その箱をそれぞれ交換し、中から文を取り出す。

 正頼は開いて見て、ほう、と声を立てる。


「あれはまた、可愛らしいことをしておるな。わしの言う承香殿は、後世に名を残すべき名君である嵯峨院の御時の評判の女御。何と、あれもその女御に劣らぬ手跡じゃないか」


 そうでしょうそうでしょう、と兼雅は軽く目を細める。


「しかしどうして、あの娘は私の所にはこんな素晴らしい手では書いて来ないのかね」


 それには答えずに兼雅は言葉を継ぐ。


「当世風なところは仁寿殿女御の方が素晴らしいでしょう。と言う訳で、あいこですね」


 いやどちらかというと、仁寿殿女御のことばかり誉めているのではないか、とそのきょうだい達は内心突っ込むが、それはさすがに口にはしない。


「それでは賭物もお互いに」

「私の仲忠はそちらに。そちらのまだ婿取りなさっていない姫を一人こちらに」


 はははは、と笑い合う父達を横目に見ている仲忠の表情は、ただ呆れているだけだった。


「と言う訳で、仲忠一曲弾きなさい」


 はいはい、としぶしぶ仲忠は箏を持ち出させた。


「いややはり仲忠の演奏は素晴らしいものだなあ」


 聞き終えた皆は満足そうに口々に感想を述べる。


「全くだ。先日も涼どのが居たからとか言うし」

「いつもこうやって素直に弾いてくれればいいものを」


 仲忠は薄く笑って、それには答えない。


「そう言えば先宴では、仲忠は藤壺の方と合わせて素晴らしい演奏をしたね」


 兼雅の言葉に、仲忠はそれにも笑って答えない。


「父にも滅多に聞かせないのに、相も変わらずあの方のためには何でもすることだ」


 やれやれ、と兼雅は肩をすくめる。


「ああ、そう言えば、あの時そなた、懐から薄様の文をのぞかせていなかったかな」


 にやり、と正頼は笑う。


「さて誰からのものやら。先ほどの文比べにあれを加えたいものだね」

「あれは何でもないものですよ」


 仲忠はあっさりと答える。


「あれは宴の少し前、家の方から届いたものだから、と使いの者が持ってきたものですよ」

「またそんなことを。家の方からで、あの様に気の利いた文が来るなどと。見え透いた嘘はつきなさるな。宮中の誰かからだろう?」


 仲忠はそれにも同じ笑みを見せるだけだった。


「紙だけはまあ、それなりに趣はあった様ですけど。でもうちにはああいう紙は置いてありますから。誰か家の気の利いた者が宴の席だからとばかりに使ったのでしょう。僕は生まれてからこのかた、嘘を言ったことはありませんし」

「全く強情なことだ。これを手始めにこれから嘘に嘘を重ねられるのだろうな」


 正頼は苦笑する。

 その時の文、それがあて宮からだ、と疑っている訳ではない。

 正頼は仲忠があて宮付きの女房である孫王の君と、ある程度の仲であることくらいは知っている。懸想人の一群に彼が入っている時の取り次ぎ役が彼女だったのだ。

 彼女に関しては、もし仲忠が通うのだったらそれはそれでいいと思っている。その上で女一宮を降嫁させても構わないと。

 孫王の君は信用できる女房だったし、彼女とつながりを持っておくこと、仲忠とのつながりを深めることとなって都合が良い。

 とは言え、結局仲忠がそのあたりを決してはっきりさせないのだから、正頼もただ考え込むしか無いのだが。


 ところで、正頼は今日の土産にと、馬の用意をさせていたのだが。


「……だがただのお土産というだけではつまらないな」


 文比べに仲忠との会話、何かしら正頼はこの日、右大将親子にはぐらかされた様な気がする。

 何となく簡単に土産を持たせてやるのもしゃくな気もする。


「弓と矢を用意しろ」

「おや、射芸ですか」


 兼雅は問いかける。


「そうです。ほら、あの池の中の島に五葉の松があるでしょう。そこにほら」


 そこにはちょうど、池から三寸ほどの鮒を獲ってくわえて飛び立ったみさごが留まっていた。


「あれを上手く射抜いた方に、この西の厩に居る馬を十頭差し上げましょう」

「それは太っ腹ですな」


 よし、と兼雅は立ち上がる。


「皆やろうじゃないか。私はやるぞ」

「いやいや、ちょっと待って下さい」


 正頼は兼雅を止める。


「鳥が感づいたらそれでお終いです。飛び立ってしまったらそれこそ興ざめというもの。射芸に通じた兵衛尉ひょうえのじょうがやってみようか」


 そう言うと、左大将である正頼自身が立ち上がった。


「五尺の鹿毛と、それよりちょっと小さいけど良い黒毛の馬が居ます。私はそれを賭けましょう」

「では私は鷹を二羽賭けましょう」

「おお、評判の」

「そちらに対抗するにはその位必要でしょう」


 ははは、と兼雅は笑った。

 では、と正頼は矢を放つ。

 もっとも彼は当てるつもりは毛頭なかった。元々土産を渡すための口実である。

 鳥に当たらぬ様、当たらぬ様と願いながら放った矢は、思い通りに綺麗に離れて飛んで行った。


「では私が」


 兼雅は自信ありげにゆったりと矢を放った。


「おおっ」


 矢は見事に、鳥のくわえた魚ごと射抜いていた。

 馬のこと、射的のことから話が弾み、その晩は正頼邸でいつまでも神楽歌の中でも馬にちなんだ歌「その駒」を皆で歌い騒いだ。



 明け方頃になってようやく兼雅親子は帰ることとなった。

 正頼は被物かづきものとして、女装束を一式と、白張を一襲、袷の袴を一具づつ送った。

 兼雅はその時、矢比べの時に言い放った鷹を正頼の元へと置いて行こうとしたが、正頼は受け取らなかった。


「この鷹は、もう一度ここへおいでいただいて、もう一つのみさごを私が射落とした時に頂戴致しましょう」


 いやいや、と兼雅は手を振る。


「あなたが中島を外して矢を放たれたおかげで、私は鳥を射ることができたのです。だから当然この鷹はあなたがお取りになるべきです」

「そうまでおっしゃるのなら」


 正頼はそう言って苦笑すると、鷹飼いの者に高麗こま楽をさせて、歌舞をしながら受け取った。

 そして兼雅の鷹飼いに、祐純が酒を勧めて御馳走した。兼雅宛てに細長を添えた女装束を一具添えて帰させた。

 兼雅は戻った鷹飼いからもてなしの話を聞き、贈り物を受け取ると、感心したものだという。

 そして一日中楽しかったことを、北の方に向かってまた楽しそうに語ったという。


   *


 その様に過ごした日から少し経つと、正頼の左大将側にも、遠方から相撲人達が次第にやって来た。 

 正頼は簀子に椅子を立てて彼らに言い渡した。


「今年は右大将どのも、例年より気合いを入れて準備をするそうだ。我々もそのつもりでこの行事を大切に考えて準備する様に」


 控えている相撲人等、関係者達は畏まってそれを聞いている。


「なみのりは、この様に上京してきたからには、例年よりはやってくれるだろうな。右大将どのも、そなたが来る、となかなか恐れていたぞ」


 なみのりは更に恐縮する。


「向こうの伊予の最手で、以前そなたと対戦した『ゆきつね』が今年は来ない、とは言っていたが…… まあ今は来ていないが、きっと来ることだろう」


 そのつもりで、と正頼はなみのりには釘をさしておく。


「ともかくいつものことだが、左方右方と分かれているからついつい張り合ってしまうのだが、まあ従来通り、最初の勝負には童、最後に最手が出る様にすれば良いだろう」


 左側がその様に計画しているのとおなじく、右側も何かと部下に指示を出していた。

 そしてまた、北の方にも内々の頼みをしていた。


「言うまでもなく、今年の相撲も勝った方が中少将以下の人々に御馳走することになるだろうから、そういうつもりでいてくれ」


 はい、と北の方は素直にうなづく。


「とはいえ準備しても、負けた時には人は来ない。それでも恥じることは無いんだ。それより、勝ったからと言って急ごしらえで手落ちがあった時の方が怖いよ。そのあたりはあなたを信頼しているから、ぜひお願いするよ。今から充分心して用意してくれ。被物も充分用意してね」


 判りました、と北の方は今度は大きく深くうなづいた。

 当日、彼女は実際に相撲を見られる訳ではない。

 だが自分が采配を取らなくてはならない還饗を思うと、心がやや浮き立つ思いがする。

 兼雅は政所の方にも同じように注意し、机や内敷などの品々を充分に用意させた。


「右近の中将達にも、向こうに負けない程の音楽をさせたいな。被け物などは、遊人や相撲人達をそれぞれ選んで決めよう」


 そんな風に、両大将達は様々な面において、相手に負けまいと必死で準備をするのであった。

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