第65話 星の話
シュウが暮らしている部屋は五階にある。ベランダの向こうには小さな家がたくさん並んで見えて、視界を遮るような大きな建物があまりない。
クリスは、ベランダの向こうに見える歪な形をした建物を眺め、シュウに尋ねる。
「シュウさん、あのピカピカと光っている骨みたいな建物はなに?」
「ん、通天閣のことかな?」
丁度食べ終えたアイスの残骸をさっと水で洗ってゴミ箱に捨て、スプーンを洗っていたシュウは、ピカピカと光るというキーワードだけではとても黄色地に赤文字の派手な電飾を使ったスーパーの看板を指しているのかと思ったのだが、骨みたいという追加の言葉を加えた結果を推測して答えた。
「元々はあそこに遊園地というのがあったんだけど、戦争で焼け野原になってしまったんだ。そして、あの展望台だけが再建されたらしい」
「遊園地? 展望台?」
シュウは洗い終えたスプーンをキュッキュッと布巾で拭いて引き出しの中に仕舞うと、クリスがいるソファに向かってやってくる。
「線路の上を猛スピードで走るジェットコースターという乗り物だとか、水族館のところにあった観覧車、あとは機械の馬に乗ってぐるぐるまわるメリーゴーラウンド――そんな乗り物が用意されている娯楽施設が遊園地だな。
展望台は高い所に登って、景色を楽しむ場所といえばいいかな」
「へぇ、そんなところがあるんだね」
「通天閣の向こうにも高い建物があるだろう? そこの最上階も展望台になってるらしい。今のところ日本で一番高いところにある展望台なんじゃないかな」
「わぁ、日本で一番高いってすごいじゃない」
隣にやってきてゆっくりをソファに腰を下ろしたシュウに、クリスはキラキラと瞳を輝かせて見つめる。
明らかに連れて行って欲しいという顔だ。
「今のところは……だぞ? 高さ競争するように日本のあちこちで新しい建物が作られているからな。あと数年で東京にもっと高い建物ができるはずだ」
「そうなの? このテレビっていう機械によくでてくる場所でしょ?」
クリスはソファの向こう側に置いてある大きなテレビ画面を指して尋ねた。
「うん、そのとおり。わかりやすく言うと、日本の王族が暮らしていて、国の議会、最高裁判所、各役所の本部があるし、多くの企業が本社を置くところだよ。人口は約一二〇〇万人かな」
「ええっ?!」
クリスは目を丸くして驚く。
クリスが暮らしていたマルゲリットの街では地方都市なので八万人程度――戸籍制度がないので正確ではないが――しか住んでいない。以前、シュウが大阪の人口を説明してその多さにクリスは驚いていたが、更にその四倍以上の人が住んでいるとは想像もしていなかった。
「そんなに人が集まって生活できるものなの?」
「うーん、一応できているんじゃないか? 物流網は発達しているし」
「すごいわ。そんなに人が集まってるなんて……」
クリスはまだ人口のことで頭がいっぱいで興奮している。企業だとか本社とかという概念もクリスがいた
「人が増えれば、どこも狭くなるから建物を高くして床面積を増やそうとする。だから高い建物が増えているんだ」
尤もらしい理由をつけてシュウが説明する。
それも一つの理由ではあるが、全てではない。地震大国で高層建築物を作る技術力は、同様に高層建築物を建てたいと考えている他国へのアピールにもなる。一つひとつの建築物が広告の役割も担っているといえる。
「ふぅん……そうなんだ。確かにデパートの向こうにも高い建物があったわね」
「そうそう、宿泊施設やオフィスビル――事務所用の建物といえばいいかな。そういう建物がほとんどだけど、この部屋のように住むための建物もあるよ」
「へぇ、そうなんだ。高いところから見える景色ってどんな感じなんだろう……」
クリスには高いところから景色を楽しむ機会がこれまでになかった。マルゲリットの街全体が丘の上に作られていて、旧王城はその中でも一番高いところにあるので、旧王城から見える景色がクリスにとって一番高いところから見える景色なのだ。また、マルゲリットで生まれ育ち、現在は王都の魔法学園に在籍しているが、マルゲリットと王都間に景色を見渡すことができるような高い場所もなかったのである。
「そうだなぁ……あの建物からなら、海やその向こうにある島なんかも見えるんじゃないか?
それに、夜になると自動車のライトや、そこら中にある建物の窓から漏れる明かりが暗い中に浮かび上がって、まるで宝石箱をひっくり返したように見えるだろうな」
「宝石かぁ……いい表現ね」
「六甲山という山から見える神戸の景色は昔から宝石に例えられて、百万ドルの夜景って言われてたからな。
でも、逆に夜空に星が見えないだろう?」
シュウの言葉にクリスは今になって気がつく。
地上が明るすぎて、星がほとんど見えない。
「あ、本当だ……」
「月は見えてるね」
南向きの窓からは上弦の月と満月の中間くらいの形をした月が春の霞んだ空気でぼんやりと浮かんでいるのが見えた。
「月……あ、あの歪に光ってる白い星?」
「ああ、地球の周りを回っている――衛星だね」
「
「へぇ……」
シュウはぼんやりと浮かぶ月を見ながら、
クリスの話では双子星のように互いに引かれ合いながら回転して公転しているわけでもないということだ。
だが、大きさのイメージが湧かないので最後は諦めた。
「ねぇ、あの月の横にある星は?」
「時期にもよるんだけど、木星かな?
太陽から近い順に水星、金星、そしてここ――地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の八つの惑星が太陽を周回してるんだ」
「すごい……そんなことまで日本ではわかっているのね……」
クリスはまたぼんやりと視線を漂わせると、どこか悲しさや寂しさを含む声で呟く。
「ねぇ、シュウさん。わたしがいた
シュウとクリスが見ているのは南の空で、ソファから見える範囲も限られている。当然、北側で瞬く北極星などは見えるはずもないし、季節の関係で見えない星もある。
南半球でしか見えない星もある。
そして、見えていいる星のほぼ全部が恒星。クリスが暮らしていた
だが、クリスが求めているのはそんな回答ではない。
「そうだなぁ、やっぱり急がば回れってことだろうな。
明日には大家の奥村さんと話ができる。また一歩、試練を見つけるために進むことができる。最短経路はわからないけど、一歩ずつ進んで、着実に帰ることができる方法を見つけよう」
シュウは無意識のうちにクリスの頭を撫でていた。
ドライヤーで乾かした白い髪は細くてサラサラとしていて、すぐにまたシャンプーやコンディショナーの甘い匂いが立ち上る。
「そうね、見えなくても絶対に帰れる方法はあるはずだもの……」
クリスはシュウの方に振り返ると、ふわりと柔らかく笑顔をつくる。
その瞳は特に潤んでいるわけでもなく、頬に涙が流れた跡もない。
シュウはクリスの顔を見ると、ふっと顔から力が抜けて自然に頬を緩めた。
「さて、歯磨いて寝る用意しなきゃな」
「あ、うん。お肌のお手入れもしなきゃ……」
シュウが立ち上がって洗面台のある脱衣場に向かって行くと、クリスも慌ててその後ろについて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます