第42話 パンとコーヒー

 素直に美味しいと言うクリスの笑顔を見ると、ついシュウもにやけてしまう。

 一瞬は何を大袈裟に――などともシュウは一瞬考えるのだが、その屈託のない笑顔には何も変な意図が含まれていないことを感じてしまう。


 だが、ところ変われば料理法も変わる。

 日本の卵焼きやだし巻き、フランスのオムレツ、スペインのトルティーヤといった感じで、同じ卵料理でも味付けや仕上がりは全て違うのだ。

 ましてはクリスのいたのは異世界なのだから、料理としては全く違うものが作られているのかも知れないことを思いだした。


「ああ、すまん。この世界でも地方によって焼き方が違うんだ。これはフランスっていう国だとオムレツと呼ばれている料理で、パンと一緒に食べることが多いんだ」


 シュウはクリスにオムレツのことを説明した。

 特に具の入っていないプレーンオムレツなのだが、存外にもクリスが気に入ってくれたようでシュウはホッと胸を撫で下ろしていた。だが、シュウの説明はこれだけでは終わらない。


「日本だと炊いた米――ごはんを食べるから、卵焼きとかだし巻きといったくるくると巻いて焼いたものが多いんだけど。クリスのところだとどのような卵料理が多いんだい?」


 意外に世界共通なのでは食べ物の話が話題にしやすいということである。

 特にクリスのことをよく知りたいと思っているシュウにとっては、クリスの国の食生活もとても気になるところだ。

 すると、口の中でオムレツの食感と風味を楽しんだクリスがごくりと飲み込んで返事をする。


「卵料理なら、ジャガイモとタマネギを炒めてたくさんの卵で焼き固めた食べ物が一般的かな……あとは、ニンニクをたっぷり効かせたオリーブオイルでつくる目玉焼きかしら……」

「へぇ、これは驚いた……スペイン地方の料理に近いんだな」


 ジャガイモとタマネギを炒めて卵で固めた料理といえば、スペイン風オムレツとも言われるスペインの名物料理の一つ、トルティーヤである。クリスの説明はほぼ、トルティーヤの作り方を指していた。また、目玉焼きもスペインではたっぷりのニンニクとオリーブオイルで揚げるようにして作る料理であり、そこも似ているといえる。


「へぇ、そうなんだね。でも、スペインっていう国はどんな国なの?」


 似ていると言われると気になるのか、クリスはスペインという国について強く興味を惹かれたようだ。

 だが、その興味は目の前にあるパンを見て一時的に霧散する。


「あれ? この四角いのがパンなの?」

「ああそうだ。型に入れて焼くとこうして四角く焼けるんだよ。それをスライスして、両面を焼いて食べる。日本に多い食パンというパンなんだ。

 手で裂いて、その上にオムレツを乗せて、ソーセー……腸詰めを齧った後に食べるといい」


 シュウは実際にその食べ方をやってみせる。

 ソーセージには粒マスタードを塗ってあり、酸味と辛味がソーセージの脂を流してくれて食べやすい。


「へぇ、やってみるね。うわっ、中は真っ白なんだね。とてもふわりと柔らかくて美味しそうだわ。」


 クリスはシュウに言われたとおり、フォークを片手にソーセージを突き刺すと半分くらいをかじり取って、持ち替えたスプーンでオムレツを掬って口に入れると、指で割いた食パンを口に入れた。


 ソーセージの薫製香が口の中に広がったところで、粒マスタードの香りや酢の香りが広がり、次にオムレツのバターの香りが広がって、最後に小麦の香ばしい香りが口の中に広がって抜けていく。

 ソーセージの味は塩気が強く油の味が濃い。控えめなオムレツの味付けを補完して、更にオムレツを美味しく感じさせると、そこに表面はカリッとして中はもちもちの食パンが口の中に入ってくる。三者三様の食感が楽しく、口の中に広がった旨味を食パンが吸い込んで噛めばまたじわりと舌の上に旨味を広げてくれる。


「おいしいわぁ……」


 ほっぺが落ちないようにしているのか、片手で頬を押さえてクリスは虚空を眺める。


「もう少し野菜か何かがあればよかったんだがなぁ……」


 シュウは皿の上に野菜が一切ないことに気づき、申し訳無さそうに頭を垂れる。

 レタスやトマト、新玉ねぎを使ったサラダや、ポテトサラダなども用意するにも普段は寝るためと洗濯をするための家だったのだから仕方がない。

 コンビニで売っているカット野菜だけでも買っておけばよかったとシュウは反省していた。


「ううん、気にしないで。野菜はそんなに好きじゃないし……」


 ごくりと噛んでいたパンを飲み込んでクリスが返事をした。

 そもそもクリスのいた世界では根菜類を用いた煮物が多く、基本的に火を通して食べる。葉野菜もよく洗ってから煮て食べてしまう。そのため、春は花野菜や豆類、夏と初秋は実野菜、晩秋と冬は実野菜と根菜というのが一般的だった。

 そのため、クリスが想像したのはこの時期に出てくる菜の花のような野菜である。


「そうなのか? 身体のためにも野菜はしっかり食べたほうがいい。まぁ、店を始めるとめしは基本的に店で食べることが多くなるから、そこでちゃんと食べてくれ」


 シュウの営む小さな料理屋は基本的に旬を大切にした料理を出すように心がけていて、当然野菜もしっかりと扱っている。その残り物などを使った賄いが朝昼晩の食事に鳴ることが多いので、自然と野菜も摂ることになるということだ。


「うん、わかったわ。ところで、このコーヒーというのはそのまま飲むものなの?」


 クリスはマグカップの中で湯気を立てているコーヒーを覗き込んでいる。

 基本的にシュウはブラック派なのだが、たまの来客がないわけではないので、スティックシュガー程度なら常備していた。また、今朝はオムレツを作るために生クリームも買ってあったので、それを出すことを思いつく。


「そのままだと、苦いかもしれないな。飲み慣れれば、苦味や酸味なんかの違いがわかるようになるんだが……とりあえず、砂糖やフレッシュを使って甘くしたりして飲むといい」


 完全に失念していたと思いながらシュウは立ち上がると、キッチンの引き出しからティースプーンとスティックシュガーを取り出し、冷蔵庫からは生クリームを持って戻ってくる。


「えっと、この紙の筒みたいなのに入っているのが精製された砂糖。こっちに入ってるのが生クリームな。それをこのティースプーンで混ぜて飲むんだが……」


 そのとき、シュウの視界に入ったのはクリスの不思議そうな顔だ。

 顎に人差し指をあてて、こてんと首を傾げている。


「フレッシュってなぁに? 生クリームは? あ、ティースプーンはこれなんでしょう?」


 クリスが続けて質問すると、右手でティースプーンを持ってそれだけは理解したとアピールし、スティックシュガーの端を指で千切るとマグカップの中にザッと入れて、ティースプーンで中身を混ぜ始めた。

 だが、シュウは右手で顔を覆って、どう説明すべきか苦慮していた。


 まず、フレッシュというのは「コーヒーフレッシュ」という名で大阪を中心に販売されていたポーション型の植物性油脂のことで生クリームの代用品である。多くの喫茶店や家庭で愛されていたものだからつい大阪人はつい「フレッシュ」と呼んでしまうのだ。

 そして、生クリームなのだが、元々は一晩置いておけば分離して浮かんでくる乳脂肪分をだけを取り出したものである。ただ、いい言葉が思い浮かばない。

 そこで、遠回しな説明を始めた。


「説明が難しいな……牛乳の脂肪分だけを集めたのが生クリーム。このクリームというのはイギリスという国の言葉なんだ。その脂肪分を植物から作ったのがフレッシュだな」

「へぇ、それで入れると味が柔らかくなるの?」


 なんとか生クリームとフレッシュの説明をして伝えることができたと、シュウは胸をなでおろすと、続けて出たクリスの質問に返事した。


「ああ、脂肪分が苦味や渋味、酸味を和らげてくれるはずだ」


 クリスが不思議そうに紙パックに入った生クリームを眺めている。どう入れればいいのかわからないようだ。

 その様子を見て、先ほどオムレツを作る際に開いた部分をシュウが手で開いて見せる。

 その折りたたみ構造に関心したのか、クリスは目を瞠ってその様子を見ていたが、やがて少しだけコーヒーの中に流し込むと、ティースプーンで混ぜ始める。


「昨日、ケーキを食べただろう? あの白い部分もこの生クリームでつくるんだ」

「そうなの? いろんなケーキがあって、すごく悩んだけどシュウさんの視線を見てあれにしたの。美味しかったわ。これがあんなに甘くて、ふんわりとした食べ物になるのね……」


 クリスはシュウの説明を聞いて、昨日食べた苺ショートケーキを思い出すように視線を宙に向けると、その唇にマグカップを当ててコーヒーを静かに飲む。

 焙煎された豆の香りがふわりと漂うと、シュウの言うように渋みや苦味、酸味といったコーヒー本来の味と、砂糖の甘味を生クリームの乳脂がつなぎ合わせる。

 特に何か特出して感じられるわけではないのだが、コーヒーの味というものをクリスは感じ、その温かさに「ほぅ」と小さく息を吐いた。


「うーん、もう少し甘くてもいいかしら……」


 などと独り言をいいながらクリスはスティックシュガーを一つ開け、半分ほどマグカップに入れてかき混ぜた。

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