第31話 メイド服

 時計を見ると、一六時前。

 普段のシュウであれば店の仕入れを終える時間帯であるが、今日は休業日である。そして、勢いで愛奈に向かって言ってしまったが、明日は臨時休業にすることになってしまった。

 別に営業してしまっても愛奈が来なければ問題ないのだが、クリスに話しておくこと、教えないといけないことが山のようにあることを考えると、臨時休業すること自体は悪くはない。

 そして何よりも明日、店を営業するための仕入れや仕込みを一切していないし、その時間もないのだ。


「なあ、クリス。悪いが一度店に戻ることにするよ。臨時休業のお知らせを入り口に貼らないといけないからさ」

「うん、何のことかよくわからないけどいいよ」


 ムジクロで買った衣服がかなり大荷物になっているが、それでもシュウはクリスに荷物を持たせるようなことはせず、左手はクリスの手を握っている。

 恐らく、クリスはスプーンやナイフ以外に重たいものなど持ったこともないようなお嬢様であるし、とても美人なので男たちが集まってくることが考えられる。また、地上に上がれば昼間から酒を飲める店が並ぶ狭い通りを抜けることになるので、逸れることがないようにしたいのだ。


 シュウは地上へと出るエスカレーターに乗り、クリスを連れて歩いた。

 出口は少し複雑な場所にあり、ぐるりと南側に出て日本橋にっぽんばし電器屋街への入り口に出る。

 信号が青に変わるのを待って、歩道を進んでいくと反対側の歩道には何人かのメイド衣装を着た女の子たちがビラ配りに勤しんでいた。


「ねぇ、シュウさん。あの人たちのお洋服って可愛らしいわ。どういう服なの?」


 シュウは立ち止まると、クリスの視線に点線を引いて誰を見ているのかを確認する。

 一時期と比べると減ったとはいえ、メイド喫茶はまだまだ日本橋の電器屋街には多く、街角に立ってビラを配っているメイド服姿の少女を見かけることが多い。

 どうやらその衣装にクリスは興味を持ってしまったようである。


「あれはメイド喫茶といわれるお店で働く女の子たちだ。喫茶というのはお茶や軽食を楽しむ店のことなんだが、メイドっていうのは侍女のことと言えばいいのかな?」


 確か執事喫茶というところもあると聞いたので、それの女性版という意味では「侍女」で合ってるはずだと思いながらシュウは説明を続ける。


「お客さんを主人に見立てて丁寧な接客をしてくれる店なんだが……」


 シュウがそこまで話をすると、クリスは少し遠いせいか、目を凝らすようにしてメイド服を着た少女たちの姿を見つめる。


「侍女の服があんなにも豪華なんて、家主は相当裕福な方なのね。わたしの家でもあんな侍女はいないもの……。侍女というのは黒いワンピースに付け襟と付け袖、飾り気のないエプロンをしているもの……」

「まぁ、そうかも知れないな。だが、あれはその衣装が流行によって変化し、過剰になってきた結果だからオレにはなんとも言えないが……」


 シュウはクリスの世界の衣装もたいがい派手だと思っている。

 クリスが現れたときはワイヤーの入ったパニエを履いていたのだから、構造はメイド服と似たようなものだ。ただ、クリスの服は手縫いのロココ調のワンピースで非常に上質な生地に豪華な刺繍が施されている。その価値はメイド服など比べ物にならない。


「シュウさん、あの服を近くで見てみたいんだけど……ダメかしら?」


 いま二人が立っている場所は信号がある交差点である。渡って見てくるだけなら問題ないのだが、メイド喫茶の店員が許してくれるかはわからない。

 だが、珍しいメイド服を見て興奮した外国人女子だと思われてしまえば多目に見てもらえるだろう。


「あまりジロジロ見ないようにな。あと、店には入らないからな?」

「うん、わかった。ちょっとだけ、ちょっとだけね」


 クリスは右手の中指と親指で隙間の開いた輪をつくって見せる。

 異世界でも使うジェスチャーは同じなんだな――などとシュウが考えていると、その指の隙間が結構開いている。

 シュウが呆れた顔をすると同時くらいに信号が青に変わり、クリスは駆け出していく。


「おい、クリス!」

「だいじょうぶー」


 シュウが今朝教えたとおり、大阪では赤信号は「注意して進め」だと言われるほど信号無視が多い。信号が変わった途端に急発進して右左折する車もいる。それに、この信号を越えたあたりからはかなりサブカルチャーに傾倒した人々が殺到する街であり、ムジクロの服を着た普通の少女に見えても住む世界が違うと思わせるほどの美人なのだから、無防備に出ていくのは危険である。


 だが、シュウが声を掛けたときにはもう遅く、すぐに横断歩道を渡ったクリスがメイド服姿の女の子のそばに駆け寄っていった。


 メイド服の女の子は、毎日のように同じ場所で呼び込みのチラシを配っていた。なので、男性中心にビラを配るのは慣れているのだが、目の前に真っ白の長い髪に青い目をした美少女がやってきたのだから慌てて声を失いそうになる。

 それでも「こ、こんにちわ」と声をかけてクリスにチラシを渡す。


「メイド喫茶コッコCoccoです。メ、メイド喫茶いかがですか?」


 顔を引き攣らせながらメイドの女の子はクリスに話し掛けると、慌てて言葉を英語に変える。


「ハッ、ハロー」

「日本語で大丈夫。この服、どこで買えるの?」


 メイド服を着た少女は一瞬膝をカクリと折って転けそうなフリをする。

 さすがは古元興業のお膝元だ。

 ただ、「日本語いけるんかーい」と声を上げてツッコミを入れるということまではしないようだ。


 一方、クリスからはメイド服を着た女の子は同い歳くらいに見えているのだろうが、実際は二十歳前後だろう。

 その女の子は視覚情報として入ってくるクリスの容姿に反する日本語での質問にパニックになりそうになっているが、大きくひと息つくと「平常心、平常心……」と数回念仏のようなものを唱えてからクリスに返事をした。


「あ、これは制服で貸し出されているものなのでわからないです」

「ふぅん……そうなんだねー」


 意外にも誠実に返事してくれる女の子なのだが、クリスは少し残念そうだ。だが、すぐに前後左右からその姿を見ては「へぇ、こうなってるんだ」とか「なるほどねー」とか感心したように言葉を続けている。


「あああ、すみません。ご迷惑おかけしました――さ、行くぞ」


 大量の荷物を持ったシュウが慌ててやってきてメイド服姿の女の子に頭を下げる。そして、クリスの左手を取って渡ってきたばかりの信号を戻っていった。

 メイド服姿の女の子はとても緊張していたようでまた溜息を吐くと、いったい何だったんだろうなどと思いながらまたビラ配りを始めた。







 シュウとクリスは店に戻り、とりあえず荷物を置いて椅子に腰掛けた。

 そしてシュウはさっきの出来事を注意する。


「なあ、クリス……知らない人にあまり声を掛けないようにした方がいい」

「どうして? メイド服っていろいろな色があって、刺繍が施されていたり、透けるくらいに編み込まれた生地を使っていたりしてとても綺麗だったわ。あと、わざと肩のところを丸くしたり、絞ってみたり、何重にも重ねてみたりしてあって、とてもかわいいじゃない」


 論点が違うことに少しめまいを覚えたシュウは、先ずは立ち上がってコップに水を一杯入れると、一気に飲み干した。

 それなりに温かい四月の終わりに、たくさんの荷物を持って歩いてきたからというのもあるが、なぜか喉が乾いていたのだ。


「うん、メイド服がかわいいのは理解しているつもりだ。だけど、あのチラシを配っていた女の子は仕事をしていたんだ。そういう意味では、彼女の仕事を邪魔したことになる」


 シュウのこの言葉でクリスはハッと気がついたように目を開く。


「それに、クリスは本当に綺麗だ。美しい顔立ちに、雪のように白く長い髪、宝石のような瞳……数え上げたらキリがないほど、クリスは綺麗な女性だ。

 そんな女性に興味を持つ人、好意を持つ人は必ずいると思う。

 ではそんな感情を持った人はどうすると思う?」


 クリスは視線を宙に泳がせて考えるのだが、いい答えが思い浮かばない。


「わからないわ……」


 その原因は彼女に恋愛経験がほとんどないというのもあるだろう。また、彼女は暮らした城の外の人間との接触が少なかったのもあるかも知れない。


「まず、身元を調べる。名前は? 住所は? 年齢は? そして、クリスの場合は日本人とは違う顔立ちをしているから必ず出身地を調べるだろう。そして、この地球という星でクリスティーヌ・F・アスカという人が生まれていないことがわかったら……」


 シュウはクリスに向かって座り直すと、目線をまっすぐクリスの瞳に向けた。

 すると途端にクリスの目に心配の色が浮かぶ。とても不安げなその目は、今朝もシュウが見たパニックになっているときとほとんど変わらない。


「わかったらどうなるの?」


 クリスが尋ねた。

 だが、シュウにも本当のところはどうなるかなんて判らない。ただ、日本の法律に基づいて対応することになると思っている。


「最悪の場合は役人が来て、拘置所に入れられる。そして裁判を受けて、国外退去。といっても、クリスの場合は戻れないからどうなるかわからない。でも、そのせいで試練を受けることもできなくなるだろうな……。つまり、元の世界には戻れないということだ」


 クリスは俯く。俯いて、震えだすと大きな声で喚く。


「嫌よ! そんなの嫌に決まってるじゃない! ついこの間、お母さまが亡くなったばかりなのに、今度は家族みんなを失うなんて嫌よ! 絶対に嫌っ!」


 ぽとりぽとりとまた涙が滴り、クリスの履いているデニムパンツの上に落ちて染み込んでいく。


 シュウは両手を伸ばし、クリスの手を優しく包み込むように持つと落ち着いた声で話し掛ける。


「だから、気軽に他人に声を掛けるのは止めて欲しい。人が多くなれば悪意を持つ者もそのぶんだけ増えるもんだ。

 でも、オレは騎士なんて大層なもんじゃないが、それでもクリスを守ると誓っただろう? だから、戻れるようになるまではオレから離れないように……な?」


 クリスは俯いたまま、こくりこくりと首を縦に振った。

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