第30話 本屋にて
結果的にクリスが選んだのは伸縮性の高い上下のセットを二つとワンピースを一着、また別の上下セットを一つである。
紺や黒などの濃い色が中心になっているところをみると、クリスは自分の肌が映える色をよく知っている。
また、それに合わせてシュウも自分の部屋着をまとめて購入した。
基本的に支払いはカードと決めているようで、今回も現金を使うことなくクレジットカードで済ませてしまった。
「ねぇ、この国のお金ってどうなってるの? シュウさん、お金のようなものを出しているのを見てないんだけど……」
とても不思議そうな顔をして、クリスが尋ねる。
「うん、お金のこともあとで話すよ。いっぱい話すことがあって忘れそうだけど、なんとかなるだろ。それよりも、文字を覚えるための本を探しに行こうか。この近くに大きな本屋さんがあるんだ」
「ええ、文字が読めないのは不便だわ……言葉は同じなのに、文字が違うというのはどういうことなのかしらね」
シュウが返事をすると、今度は文字を覚えることも重要であることをクリスは思い出す。
優先度がはっきりせず、目に入ったことや思いついたことに先に反応してしまうのはクリスの悪い癖のようだ。
そして、クリスは何かを思いついたようで、また急に立ち止まるとシュウに話しかける。
「試練のことだけど、言葉が通じればなんとかなるということなのかしら?」
クリスの仮説は確かに変なことは言っていない。言葉も文字も通じない世界に繋がっていれば、それこそ無理ゲーである。
シュウもそのへんは理解したようで、同意の返事をしたいところだが、それだけで話を済ます訳にはいかない。
「恐らくだが……こちらの文字を覚えて帰れってことじゃないだろう。だが、どれだけの期間になるかは知らないが、こちらにいる以上は文字も通貨も覚えないと独りでこの街に出るなんて絶対に無理だぞ?」
「そうね、文字や通貨を覚えるというのは大切よ。
だけどなんか引っかかるのよ……そもそも試練の意図みたいなものがあると思うの」
だがここで立ち止まって考えていても、答えはみつからない。
「うん、意図はあるのかも知れない。だが、情報が少なすぎるんだ。その少ない情報でそれを考えても、オレには助言するのが難しい。
いまはその情報を得るための準備をしているところだ。先にそちらを済ませよう」
「ええ、そうね……」
クリスも情報が足りないことは理解しているので、少し釈然としない表情だが本屋に向かって歩き出した。
ムジクロに向かった道を戻ると、動く歩道の先に下りのエスカレーターが見える。
そういえば、地下二階には大手の書店が店を持っていたとシュウは思い出し、その書店に入ることにする。
「わぁ!」
クリスは書店の書棚にずらりと並んだ本を見て感嘆の声を上げる。
彼女がいた世界では、本は手書きで書き写すものなので、一冊の本でもそれはとても貴重なものであった。
だが、この世界では同じ本が何冊も積み重ねるように並べられていて、それ以外の本は書棚にずらりと整列している。その数は見ただけでも数万はあるだろうと思ってしまうほどの量なのだ。声が出てしまうのも仕方がない。
「これが全部本……」
クリスが呟く。何せ、装丁こそ凝っていないもののフルカラーの写真が表紙になっているのは当たり前といわんばかりに雑誌が並び、美味しそうな料理が表紙になったレシピ本、国内外の旅行に関する情報を集めたトラベルガイドなどが並んでいるのだ。
活版印刷さえ発達していない世界の人間にとっては信じがたい技術である。
「ああ、写真とかもまたちゃんと説明しなきゃな……」
シュウは説明することがまた増えたと思うと、少し疲れた顔になる。
書店はとても広く、どこに何が売られているかなかなか判りにくい。特にこの店のフロア形状は少し変わっている。
シュウはクリスの手を引いて歩き、ようやく目指すものが売られている児童書の売り場に到着した。
だが、絵本選びとなると何が一番適切なのかわかりにくい。
流石に、本当の子どもたちが読むようなヒーローが出てくる絵本はクリスの年齢的にもどうかとなるので、シュウは不朽の名作と呼べるようなものを探して歩く。先ず、「ながぐつをはいたねこ」を手に取ると、「アラジンと魔法のランプ」、「白雪姫」、「シンデレラ」などのディズニー系が目に入る。次に、「桃太郎」や「金太郎」、「浦島太郎」などの日本の昔話なども目に入るとうむむと難しい顔をする。
「クリス、この日本の国の昔話と、日本以外の国のお話だとどちらがいい?」
「そうねぇ……日本のことを先に知りたいわ」
「わかった。じゃ、これと、この三つにするかな」
「竹取物語」が入っていないが、某電話会社の三太郎のCMもこれなら楽しめるだろうとシュウは考えながらその三つを選び、あわせて「ながぐつをはいたねこ」を取った。
あとは目に入ったので、幼児向けの「ひらがなドリル」と「カタカナドリル」を選び、「こども大図鑑」を一つ選んだ。
特に「ひらがなドリル」と「カタカナドリル」は文字を読むだけでなく書けるようになるための練習に必要だろうと選んだのだ。
そして、シュウがパラパラと図鑑のページを見ると、いろんな動物が描かれていた。
「なあクリス、これ何かわかるか?」
シュウは図鑑の中から牛を指すと、クリスに尋ねる。クリスのいた世界にいた動物に違いがあるのかとふと気になったのだ。
その図鑑を覗き込んだクリスは少し不思議そうに首を傾げる。
「えーと、似た動物なら『牛』だね。角の生え方と向きが違うの。あと『牛』は耳がもっとピンッと尖ってるかも」
「そうなのか! じゃ、これは?」
シュウは豚を指す。一般的に飼育されている豚だ。
するとクリスはまた不思議そうに首を傾げると、今度はなかなか名前が出てこない。
「ここでは豚という名前なんだが、似た動物はいないのかい?」
「似ているといえば『猪』かなぁ……でもそれならこっちの絵にある方が似ているし……。それでも違いがあるのよねぇ……なんかもっと鼻が長くて垂れてるのよ。あと、もっと牙が大きくて額に角が生えてるわ」
「ああ、猪に近くて鼻が垂れてる感じなんだな……」
クリスの説明を聞いて、象と猪の中間みたいな生き物のことを思い浮かべるシュウだが、それなら見た目は「バク」に近いのかも知れない。
シュウは慌てて「バク」を探して見せる。
「こっちに近いか?」
「うーん、こんなに脚が長くないわ。さっきの豚っていうの? 体型は豚で鼻はコレみたいな感じかな?」
「豚は、猪を飼いならしたものだから似たようなものなんだろうな……この図鑑は楽しめそうだな」
ニカッと白い歯を見せると、シュウはクリスの手を引いて会計レジへと向かおうとする。だが、クリスは少し気になる雑誌があるようで、そちらへと手を引く。
「ねぇ、シュウさん。この世界の女性の服とか、小物とかにも興味があるの。なんかいい本はない?」
「ああ、ファッション誌かぁ……あるにはあるんだが、世代別に分かれているらしくてオレはあまり詳しくないんだ。どうしようか……」
一瞬また愛奈に連絡することも考えたが、そういえば明後日に店に来るとか言っていたのをシュウは思い出す。
「明後日、愛奈が店に来るらしいから、そのときにでも聞いてみよう」
「う、うん……わかった」
少し残念そうにクリスは俯くのだが、クリス自身も世代別に分かれているとか、文字がまだ読めないことを考えるとそれ以上は言いづらいようで、その後は黙ってシュウに従った。
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