第29話 ムジクロ再び

 シュウはもう一度ムジクロに寄ろうと思っていた。下着がオーダーで今夜着替えるものがないからだ。それに、部屋着になる服やスリッパなども必要である。

 また、本屋にも立ち寄っておきたい。クリスが日本の文字を覚えるのにひらがなドリルや図鑑はとても役に立つ。


 本屋は道具屋筋の近くに行くとして、ムジクロはこのデパート裏にある駅の地下街にあるところが大きい。そこから本屋へと戻るのも難しくないので、そのルートで店を回ることにする。


 デパート横のエスカレーターで地下一階に降りれば昔は待ち合わせスポットとして有名だった広場に出る。そこにはもうアイスクリームショップもシンボルのロケットも無くなっているが、それでも人通りはまだ多い。

 女性用のブランド服の店が多く並び、その先には雑貨店も目に入る。


「ああ、そういやヘアブラシが要るよな?」

「え、ええ……ドライヤーだっけ? あれを使うときに櫛のようなものがあるといいなって思ってたわ」


 ちょうど目の前にあるのは安価なコスメや雑貨、お菓子などを扱うお店だ。


「よし、入ろう」

「うん……」


 クリスはシュウに手を引かれて店に入る。

 デパートの化粧品売り場にあるものとはまた違った商品が並んでいて、見ていてとても楽しくなる。

 ヘアカラーやウィッグもあるし、可愛いキャラクターものの文具なども並んでいる。そしてその近くにヘアブラシが数種類と、ヘアバンドが並んでいた。


「この髪を留める布、いいわね。お化粧を落とす時とかにたぶん便利だわ」

「ああ、そうだな。そういう細かいことはオレも気づかないから、欲しいものがあったら都度教えてくれるかい?」

「ええ、わかったわ」


 この店で売っているヘアバンドはせいぜい千円ほどのものである。特に気にするものでもない。

 ただ、二人はたくさんの種類が並ぶブラシに言葉を失っていた。


 肋骨のようなスケルトンタイプ、ゴムで弾力を持たせ先の丸い棒を差し込んだデンマン、豚毛や鹿毛のブラシなどがあり、櫛やロールブラシもある。


「こりゃどれがいいのかわからないな……」

「そうね……」


 シュウはまたスマホを取り出して調べる。数秒で目的のサイトに到達したのか、シュウが中身を読み上げる。


「フワッと量感を増やすならスケルトン、減らすならデンマンや獣毛のブラシ。あと、艶を出したいなら櫛がいいって書いてあるぞ?」

「じゃ、櫛が欲しいかな? でもこちらのシャンプーやコンディショナーなんかを使うのなら、髪の感じも変わっちゃうのかな?」


 これまで異世界にいたクリスの髪の手入れとは大きく変わるので、クリスはどう変化するかもわからない。その変化によって道具も違うのかもしれないと心配になる。


「じゃ、面倒だから三つとも買ってしまおう。そんなに高くないしね」

「うん、ありがとう」


 シュウはヘアバンドとブラシ二種、櫛一本をカゴに入れるとまたカードで精算を済ませた。







 店を出て地下を歩くと、階段の先に「動く歩道」がある。


「あ、今度は道が動いてるわ」

「ああ、この先に店があるから乗っていくぞ」


 シュウはクリスの手を引いて躊躇無く「動く歩道」に乗って歩き出す。


「ねぇ、どうして運んでもらえるのに歩いているの?」


 クリスが不思議そうに尋ねるのだが、そう言われるとシュウも何故だかわからない。たぶん、梅田阪急に日本で最初に設置されたときからみんなが歩いていたからだろう。

 だが、そんな時代のことはシュウも知らない。


「ん? なんでだろうな? まあ、いいじゃないか?」


 そんな会話をしているうちに「動く階段」の終点に出ると、左側にムジクロが見えた。








 無地の服を中心に扱い、安価で独自のカジュアル路線の世界を開いたのがムジクロである。

 それまでの世界のファッションは生地屋が流行させたい生地を作り、それを元に服屋がデザインし、商品にする。それを、ファッション誌が取り上げて市場を牽引するという構図があった。

 だが、このムジクロはペットボトルのリサイクル素材を使ってそれまでの構図をぶっ壊し、独自で流行を作り出した。また、羽毛製品を発表したときは全世界の羽毛市場で低品質で安価な羽毛がムジクロに流れたため、羽毛布団業界まで大混乱に陥れたということを考えても、恐ろしいほどの影響力を持つ会社に育っている。


 いま、シュウとクリスはそのムジクロの店舗にやってきていた。

 壁にはモデルがムジクロの製品を着込んだ超特大の写真が貼られていて、店内にはカラフルだが無地の製品がずらりと並んでいる。


「そういえば、今朝も来たんだったな……」


 シュウは開店してすぐの店に飛び込んで「とりあえずの一式」を買ったことを思い出した。

 だが、下着がオーダーメイドになってしまったので、そのオーダーメイド品が出来上がるまでは今着ているブラトップとショーツを買い揃えるしか無いと思っている。また、普段はパンツ一丁で部屋の中を彷徨くことが多いのだが、団体客用の六畳程度の和室があるとはいえ、風呂もないところにクリスを泊めるわけにはいかないので、クリスを泊めるとなればシュウにも何か部屋着が必要だ。


「シュウさん、あのね……」


 クリスが左手をくいくいと引いた。

 なにか話しにくいことでもあるのだろうかとシュウが少しかがむと、クリスは少し恥ずかしそうに小声で話しだした。


「あの……さっき下着のサイズを見てもらったじゃない? そうして考えるとここの下着も大きさが全然合わないの。どうしたらいい?」

「どう合わないんだ?」

「もうブカブカで、カップっていう部分が小さいの……」

「え?」


 シュウはクリスの言葉を聞いてサイズ表を確認する。

 確かに一番小さなサイズではアンダーは六五センチと書いてあり、デパートの店員の話では五センチほどあまりができていることになる。それでいて、XSではカップサイズはDまで使えるはずである。


「カップが小さい……」


 一瞬混乱したシュウは、呟くように復唱した。

 シュウがクリスに買い与えたブラトップのサイズはSなのでCカップまでは使用できるはずである。だがそれで足りないということは、相当な大きさということになる。

 いずれにしても、Sサイズではアンダーが六〇センチのクリスには合わず、ブカブカになるのは通理である。


「じゃ、もう少ししっかりと調べて、考えようか……」

「うん……」


 クリスは俯いてしまうが、無いものは無いのである。

 だが、ネットを見ればそれなりに何か見つかるかも知れないし、他の人で同様に悩んでいる人たちの意見など聞けるかも知れない。


「家に帰ってから調べるとして、あとは部屋着と靴下くらいかな? 気になるものがあったら言ってくれるかい?」

「ええ、わかったわ」


 ふたりはショーツを数枚だけ買い物かごに入れ、靴下を選びに売り場を移動した。


「この長いものは何かしら?」

「ああ、レギンスとかタイツっていうものなんだが……クリスの買った服で必要になりそうなものはないと思うんだが……肌を露出する服を着るときに、素肌を隠したりするためのものかな?

 あとは、長いシャツを着てワンピース代わりにするときなんかに使うみたいだな」

「へぇ……」


 クリスは不思議そうに吊られたレギンスを触っていた。

 彼女がいた世界にはない伸縮性に飛んだ素材なのだから、引っ張って伸ばしたりして楽しんでいるようだ。


「スカートを履くなら、パンティストッキングというのも必要だけど、今は要らないだろう?」


 念の為といった感じでシュウが確認すると、クリスが興味深そうに聞き返す。


「それはどういうものなの?」

「女性の脚をきれいに魅せるもの……あとは日焼け止めだったりするんだが、オレは男だからそういうのよくわからないんだ。ただ、スカートや短めのワンピースなら必要だろうって思っただけだよ。あとでまたそれも調べようか」

「そうね、調べましょう!」


 クリスは下着についてはサイズ的にかなり困ったことになっているが、ファッションのことについてはかなり興味があるようで、積極的な返事をする。

 化粧についてはひと通り教わったのだから、次はファッションについても知りたいと言ったところだろう。


 靴下は今日購入した服のことを考えて、ショートソックスを何足かカゴに放り込んだ。

 あとは、部屋着売り場へと移動する。


 これから暑くなる季節でもあるし、部屋着で厚手のものはあまり着たくない。

 そこでシュウはそこに飾られている服からひとつワンピースを取り出した。


「これとかどうだ? はっきりいって似合うぞ?」

「え? そ、そう?」


 薄めのスウェット地で、紺色のワンピースである。

 色白で髪も白く、瞳も青いクリスには無難に合う色である。


 クリスは鏡の前で合わせて確認すると、嬉しそうな顔でそのままカゴの中に入れた。


「家の中で着るものだし、寝間着のようなものだからさ……着ていて楽そうなものを選ぶといいよ」

「ありがとう、そうするね」


 上下セパレートタイプで脚はショートパンツになっているもの、ズボンのように長いものなどいろいろと合わせながら、クリスもいろいろと考えているようだ。

 一五分ほど考えて、結論が出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る