第25話 化粧品の選び方

 化粧品売場というのは、高級ブランドの品と同じようにデパートの一階に集中している事が多い。

 実際にこの大阪難波にあるデパートも一階は化粧品売り場と高級ブランド品、宝飾品がずらりと並ぶレイアウトになっていて、シュウは化粧品売り場に行くのはいいが、ブランド品や宝飾品の売り場には行かないようにしようと思っていた。

 だが、非常に残念なことにデパートの正面にあるエスカレーターで一階に降りた場合、そこは宝飾品売り場を通らなければ化粧品売場に到着できない。

 違うエスカレーターもあるのだが、そのうちのひとつは高級ブランドの店の前に降りてくるし、もう一つは乗り場の横に高級ブランドが待ち構えている。

 でも、クリスのような王家レベルの子女であれば宝飾品など捨てるほど持っているであろうし、昨今の日本で売っているような小さなアクセサリーレベルでは興味を持たないだろうとシュウは考えていたのだが、念の為にクリスに釘を刺しておく。


「なあクリス……この先は宝飾品売り場があって、その先に化粧品売り場がある。オレたちの目標は化粧品だから、宝飾品売り場は通り抜けるだけだからな」

「まぁ、宝飾品もあるのに通り抜けるだけ?」


 本人は無意識でやっているのだろうが、左手の人さし指を下顎に押し当てた姿勢をし、上目遣いでクリスが聞き返す。そのキラキラした瞳で見つめられると、駄目だとは言いづらくなるのだが、シュウは必死で耐える。ここで買い物をすればいくらお金があっても足りない。


「ああ、日本の耳飾りはピアスといって、耳朶に穴を空け、そこに刺して使うものが多いんだ。元の世界に耳に穴を開けて帰ったら、親族は何ていうと思う?」

「そうね……妹は真似したがるでしょうね。耳飾りって殿方と踊るとかすると落ちちゃうじゃない? それがなくなるなら、貴族の人たちは喜ぶだろうし、新しい産業として売り出せるからお父さまも大喜びじゃないかしら? どんな感じのものなのかすっごく気になるわ」


 シュウの説明を聞いて、クリスはうっとりとした目でシュウを見つめ返すとシュウの想定外の言葉を並べた。「やはり両親からいただいた大切な身体ですし、傷つけるなんてことはできないですね」などという、少し古風な返事がもらえると思っていたのだ。

 だが、クリスは思った以上にサバサバとしていて、「もらった以上はどうしようと自分の勝手」と考えているようである。まあ、たぶん限度はあるのだろうが……。


「そ、そうか……気になるならまた今度、ゆっくり見に来よう。優先度は化粧品の方が高いからな」

「え? どうして化粧品の方が優先度が高いの?」


 クリスは不思議そうに首をこてんと傾ける。

 素材としてのクリスは既に化粧なんて必要ないくらいの美人であるが、母親が身につけていた装身具などはやはり興味があったようで、宝飾品への興味が強い。逆に化粧そのものは何度も重ねて塗りたくった伯爵夫人などの相手をしていると興味が薄れてしまうのだ。

 だが、現代日本の知識では話が違う。肌の手入れは大切だし、これからゴールデンウィーク本番になると紫外線が一年の間でもっとも強い時期となるのだ。


「ずっと日差しにあたっていると日焼けするだろう? 適度に日差しにあたるのは大切なんだが、シミやシワの原因になるんだ。つまり、いつまでもきれいでいたいなら、日々の手入れが大切ってこと。そのための化粧品なんだ」

「ふぅん……」


 くる病という病気がある。

 日照時間の短い地域で日差しに当たらないことで体内でビタミンDの生成ができなくなり、骨格の形成に異常をきたす病気だ。一定年齢を超えた人の場合は骨軟化症と呼ばれる。

 だから、適度に陽光を浴びることは大切なのだが、紫外線が真皮にまで届いて痛めてしまえば将来的にシワの原因になるし、表皮のメラノサイトを刺激しすぎればシミやソバカスの原因になってしまう。


 これを説明しても、肌の断面図を見たことがないクリスには信じてもらえないだろう。

 とにかく、化粧品売り場のお姉さんにそれを教えてもらい、化粧品の大切さを説いてもらうのが一番であるとシュウは判断し、クリスの手を引いて化粧品売り場に向かって一直線に進む。

 途中、スワロフスキーの専門店などがあって、クリスはそのショーケースに目を釘付けにするのだが「また今度」と言われているので我慢してついて行った。





 化粧品売り場は広大である。

 若い女性向けの店から、三十代以上をターゲットにした高級化粧品店もある。

 実際のところ、原価はあまりかからない「儲かる商売だ」とシュウは聞いているのだが、個々のブランドに数名の店員がいて、人件費はかかるビジネスなんだろうなと独り納得する。


 一方のクリスはその種類の大きさに目を瞠り、どの売り場の化粧品が自分に合うのかこれから見て回ると思うとそれだけでワクワクしてしまう。ただ、どの売り場を見ても店員と視線が合うのが不思議だった。

 店員たちからすれば、とてつもない素材が目の前に現れたのだから、自分の技量では持て余すのではないかと不安に思う者や、日本人らしくはないクリスの顔つきに自社製品なら間違いなくマッチするだろうと思いこんでいる者、化粧のテクニックなら誰にも負けないと制服なのに腕まくりを始めそうなほどの気合を見せている者などいろいろといるわけで、それぞれの思いをもってクリスを見ているのである。


「で、肝心の店の方なんだが……」


 シュウは言葉に詰まる。自分自身は化粧などしないのだから、どのブランドがいいとか、世代的にこのブランドが合うんじゃないかというようなアドバイスは用意していなかったのだ。


 ただ、そのあたりは店にいる客層である程度わかってくるものだ。


「モデルのポスターを見て自分に合いそうか考えてみたり、他のお客さんの年齢層を見ればある程度そこの化粧品のことがわかるんじゃないか?」

「そうね、シュウさんは化粧品のことわかってないみたいだし……」

「あ、そうだ……」


 シュウは突然、スマホを取り出すと連絡先から一人の女の子の名前を選んで電話を掛ける。


『プップップップ……トゥルルルルルルッ……トゥルルルルルルッ……トゥルルルルルルッ……』


 四回ほどコール音がすると、シュウにとっては聞き慣れた、でも久しぶりに聞く声が向こうから聞こえてくる。


『シュウお兄ちゃん? どうしたの急に……ライン教えてあるよね? この時代で電話とかないわー』

「ああ、すまない。愛奈は元気にしてたか?」


 相手はシュウを育ててくれた叔父の娘である。名前は生田愛奈まなで神戸の女子大に通う女子大生だ。


『この声聞いたら判るやん? 元気やよ。オヤジはますます薄くなっていく一方やけど……』


 ケタケタという声がスマホから漏れるほど大きな声で笑っていながら『増してるんか、減ってるんかよーわからんし』とか言っている。


『おかーちゃんも元気にしとーし、なーんも心配いらんよ。で、どうしたん?』

「ああ、相談があって電話したんだけどさ……一七歳くらいの女子が使う化粧品ってどこのブランドがおすすめ?」

『ええ? シュウお兄ちゃんが十七歳の女子と……ないな。うん、ないない……お客さんから娘の誕生日プレゼントでも相談された?』

「うん、そうなんだ。オススメを教えて欲しい」


 シュウがようやく本題に入れたと安堵の顔を見せると、視線を落としてクリスを見た。

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