第24話 婦人服

 生まれてはじめての女性下着売り場で一時間近く過ごしたことと、オーダーメイドという結果になって五着で税込み九万円を超える額を払うことが決まったシュウ。そして、よくわからない言葉――ほぼそれが横文字である――を連発する店員に、オーダー用のサンプルブラでパッドの入れ方まで念入りに行われた調整作業につきあわされたクリス。

 こうして下着売り場でかなりの体力を削られた二人は、エスカレーター横にある椅子に座って言葉を交わすこともなくただただ心と身体を休めていた。


 とはいえ、ずっと休んでいるわけにもいかない。

 シュウにとっては貴重な休業日であるし、時間というものには限りがある。まだしばらく休んでいたいが、そうも言っていられない。


「そろそろ、服の方を見に行こう」

「ええ……」


 シュウが声をかけると、クリスもようやく立ち上がる。

 下りのエスカレーターに乗って、若い女性向けの婦人服売り場へと移動する。下着売り場と違って、買い物客も多いのでとても華やかな雰囲気がする。

 幸いなのは下着は全てオーダーになったので、手荷物がいまのところ履き替えたサンダルが入ったシューズショップの袋しかないことだろう。

 それなりに混み合っているが、邪魔になるものもなく歩きやすそうである。


 ここからは服装そのものを選ぶことになるので、基本的にはクリスが選ぶことになる。

 シュウとしては、シンプルで上下で着回しができるような服にして欲しい。そこまで服を保管できるスペースがシュウの家にはないというのが理由である。また、女性用は複数の素材を縫い合わせたような凝ったものを買うと洗うたびに生地の質により伸び縮みの違いが出て型崩れしたりすることも多い。変なところに切り返しが入っていたりするようなものも同じだ。デザインを重視するのは自由だが、それで長持ちしない服になってしまうのはお金を出す側としては遠慮してもらいたいと思っている。


 一方のクリスは、店のマネキンや店員が来ている服装を見て、自分好みになりそうなブランドを探している。そこで、元いた世界には無い模様で染められた布地や、可愛らしい刺繍などが入ったカットソーやブラウス、パンツやスカートなどを見て歩く。

 だが、なかなかこれが自分好みというものが見当たらない。


「ねぇ、どんな服を選べばいいと思う?」


 クリスが数歩先から振り返ってシュウに尋ねる。

 サラサラとした白く長い髪が靡く姿は、シュウをどきりとさせるのだが、シュウは平静を装って返事をする。さっきから服を見ていて思っていたことだ。


「シンプルで、着回しができる服がいいんじゃないか? ワンピース、パンツ、スカートをそれぞれ一着。それに上に着るカットソーやブラウス、カーディガンなんかを組み合わせられるように選んだ方がいいと思うぞ」


 実際にシュウはそういう組み合わせを考えた服装をすることが多い。服が増えすぎないし、それでいていつも同じ服を着ているようには見えないように工夫できる。

 ただし、基本はデニムパンツだ。


「うーん、あの服とか可愛いと思うんだけど……」


 クリスが指を指した服は、生成りのスモッグブラウスで左前腰のあたりに黒猫の刺繍が入ったかわいらしいものだ。


「服はかわいいな。でも、それがクリスに合うかといわれるとどうかな……」

「あー、わたしが着ると変になる?」


 これに合わせるなら、ボトム側もそれなりにゆったりしたデザインにした方がいい。

 ただ、クリスは胸があるものの全体的に細い印象なので、その良さが消えてしまう。髪型もショートボブのような方が似合うだろう。


「クリスの良さを活かせない気がするな。いま着ているようなこの……シュッとした感じがいいんじゃないか?」

「なに、そのシュッって?」

「シュッっていうのは、その感覚的にシュッとしてるっていうか……」


 シュウが言葉に悩むと、クリスはくすりと笑う。


「なんとなーくだけど、わかるわ」

「ああ、せっかくのその綺麗な髪と、スタイルを生かした服にしたいよな……」


 何気なくシュウが言う言葉に、クリスは今度は頬を紅く染める。突然褒められたのだから、焦ったのだ。


「え、うん……そ、そうね……」


 クリスはドギマギとした言葉になりながらも、また違うブランドの服を見て歩く。

 流行のせいか、同じような服ばかりが並ぶ店が多い。それに、色味や柄も似たようなものばかりである。

 これは、産業構造として生地屋が「今年の流行」を決めて、各ブランドに売り込むからである。

 花柄だ、チェックだ、水玉だといった模様が先に決まっている状態でデザイン、縫製されていくのだから一部のブランドを除き、どこも似たようなものになってしまうのだ。


「あ、あれとかどうかしら?」


 クリスが指したのは、七分袖のカットソーに大きめの木や石が入った首飾りがかかっている。そのシルエットは少しゆったりしているのだが、ボトム側は細めのシルエットのこれまた七分丈のパンツである。丁寧に、靴までセットにして飾られていて、紹介された雑誌の切り抜きまで並べられている。


「いいんじゃないか? あれに合わせられる半袖のカットソーやスカート、ワンピースなども揃えられると更にいいな。店員さんに相談するか?」

「そうね、相談してみましょう!」


 クリスも乗り気になったようだが、いかんせん日本の人たちと話すのは慣れていない。

 店員に向けて声を掛けるのもまだ勇気が足りないようで、オドオドとしている。

 それを見たシュウは軽くため息を吐くと、店員に声をかけた。


「すみません」

「はい、いらっしゃいませ」


 店員はそれなりに普通の格好をしているものの、明らかに体格のいい男が声を掛けたことに驚くのだが、その後ろに隠れる女性を見てパッと顔に花を咲かせる。


「このディスプレイの商品なんですが、こちらをまとめて買うとして他に着回せるように数着提案して欲しいんですが、できますか?」

「ええ、もちろんです。お召になるのはそちらのお嬢さまですか?」


 店員は獲物を見つけたような目でクリスを見つめる。

 雑誌から飛び出してきたような美貌とスタイルの持ち主である。店員が着せかえ人形として楽しむには最高の素材であった。





 一枚のカットソーに合わせて、ボトムを二着。その二着のボトムに合わせて二着のトップスを選ぶ。

 これからの季節にはワンピースも一着欲しいところだったが、ボトムに合わせた靴を二足選んでしまうと、もう結構な値段になっていた。

 とはいえ、着回せるようにと指示した以上、減らせというわけにもいかず、結局はそれらも全部まとめて買うことになってしまった。もちろん、どこかの呪術師かと尋ねたくなるような首飾りも一緒である。


 会計を済ませると、商品を発送してもらえるように頼む。

 クリスが日本で不自由のない――国籍関係は除くのだが――生活を送るために必要なものはまだまだたくさんあるのだ。


「次に下に降りれば、化粧品だな。化粧、興味あるか?」

「もちろんよ。女の子たるもの、お化粧に興味がないわけがないじゃない!」


 着せかえ人形にされてかなり疲れた顔をしていたクリスだが、ぱっと表情が変わる。

 テレビを見たりしているうちに、日本人女性たちがしている化粧と自分のいた世界とで大きく違うことを知ったのだ。


「いざ! 化粧品売場へいきましょーっ!」


 元気よく声を上げたクリスは少し恥ずかしそうに周囲を見るが、お金を出すのは自分なんだぞと思いながらシュウはクリスの肩をポンポンと叩いたのだった。

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