第18話 街へ
シュウとクリスは家を出た。
クリスはなぜかシュウの左前、数歩先を歩こうとする。初めてくる場所なんだから先を歩くのは目的地に到着しない可能性があることはわかっているのだろうか……。
「クリス、どうして前を歩きたがるんだ?」
「あ、ごめんなさい。護衛が一人つく時はいつもこうだから癖……かな?」
クリスは振り返って舌を出す。
シュウは一瞬意味がわからなかったのだが、クリスが元いた世界では貴族様なので街に出る時は必ず護衛が付いたのだろうと勝手に理解しておく。ただ、この歩き方だと本当に目的地に到着できそうにない。
「オレの左隣を歩いてくれると助かるんだが……」
「どうして?」
「そりゃぁ、曲がるとき、止まるときにすぐ声が掛けられる。それに、何かあった時のために利き腕の自由が効く場所にいて欲しいから……かな?」
騎士というような大げさな立場ではないし、日本の街はとても治安がいいと言われているから大丈夫だと信じているものの、シュウも少しは警戒できるように考えている。
といっても、今のところクリスが異世界からやってきたことを知る人間は自分以外にいないことをシュウは知っているので、何に警戒しているかというと、ナンパくらいのものである。
すると、最初の混雑ポイントである黒門市場に到着だ。
京都の錦市場を真似したのか、串に刺した料理を立食いできるように販売する店が増えていて、十一時を過ぎたくらいの時間になれば人でごった返している。
それでも逸れることなく堺筋まで出ることができた。
「すごい人ね、この街はどれだけの人が住んでいるの?」
クリスが人の熱気で顔を少し赤らめながら上目遣いで尋ねてくる。上目遣いになるのは身長差的に仕方がないことだが、美しさに磨きがかかるのでシュウは目を合わさないように慌てて思い出す。
「地球全体で八十億近くいるんじゃないかな。そのうち日本に一億二千万、大阪市で二百七十万人くらいだったかな?」
「にっ……二百七十万!?」
クリスは目を丸くして驚く。クリスのいた異世界の都市――マルゲリットでは八万人程度と聞いていたので、驚くのも不思議はない。
「それでも、今の商店街にいたのはほとんどは外国人観光客だ。店で働いている人たちの多くが日本人」
「多く?」
クリスは首を傾げる。
日本人が経営する店なら、日本人が働いているのだろうと思っているらしい。
「安い給料でも働いてくれる外国人の労働者も多いんだ」
「ふぅん……じゃぁ、わたしも働けるかな?」
「無理だ」
シュウは即答する。そのあまりに早い返事に、クリスは呆気に取られた表情をしているが、シュウはその理由を歩きながら説明する。
「理由の一つは、国籍が不明だからだな。国籍がないと、元々この国にはいられない。日本以外の国から来るにはまずパスポートという身分証明証が必要だし、日本で働くなら就労ビザというものが必要だ。クリスはその両方がない」
クリスは残念そうに肩を落とすと、溜息を吐いた。
その脱力感たるや半端ではない。背中を丸めて、おばあちゃんのように前屈みになってしまっている。
「どうかしたのか?」
そこまで大げさなリアクションがあれば流石にシュウも気になってしまう。
「いや、何をするにもお金がいるじゃない? この世界の化粧品とかとっても高いみたいだし……」
「あぁ……そうだな、セット購入で数万円するって聞いたな。化粧品も実演販売っていうのがあって、実際に化粧の仕方とか教えてくれるぞ?」
とシュウがいったところで、また新しいアーケードの下に入る。
ここからは本当に人通りが激しくなり、下手をするとクリスは迷子になるだろう。
それに目立つので変な男どもが群がらないとも限らない。
「まぁ、化粧に興味があるなら後で寄ればいい。
それよりもだな……」
シュウは少し緊張した様子で、左手をゴシゴシとデニムパンツに擦り付ける。
「ここから先の人の波は凄い。逸れることがないように手を繋ぎたいんだが……いいか?」
三十歳手前のおっさんが、十七歳の超絶美少女に手を繋がせてもらうにはいい理由だ。
確かにクリスの目の前に見える商店街では激流ともいえる人の流れがあって、向こう側にある店にさえ一人ではたどり着けそうにない。
「うーん、男の方の手を握るなんて、幼少の頃に兄に引かれて庭で遊んだとき以来で緊張するけど……でも、ここでは仕方ないわね」
クリスは懐かしさや、恥ずかしさなどいろんな感情がこもった苦笑いを見せると、軽く頬を染めてそっとシュウの左手を握った。
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