第12話 シュウの家

 かつては大阪の台所とも呼ばれた時期がある黒門市場だが、現在は観光地化してしまっていて、朝早くから営業する店は少ない。

 閑散としたアーケードを横切るように通り抜けると、いくつかのマンションやオフィスが立ち並ぶ通りへと変わる。

 その中の一つ、比較的新しい感じのするマンションに到着すると、シュウは鍵を玄関前のパネルに突き刺し、左へ回すと自動ドアが開く。


「魔法のような扉ね……」

「ああ、クリスからするとそうかもしれないなぁ……でも、自動ドアは日本では一般的だよ」


 シュウは先にロビーに入り、ゴソゴソと郵便受けを探る。

 このあたりはピンクチラシが多く、それをクリスに見られないようにゴミ箱に捨てた。利用したこともないのに投函されていてはクリスの誤解のもとにしかならないものなのだ。


 そしてシュウがエレベーターのボタンを押すと先に乗り込み、行き先階を押して待っていると、不思議そうにクリスが入ってくる。


「これは昇降機……エレベーターという機械なんだ。高い建物の階段を登らないで済む仕組みなんだよ」

「それは便利ね!」


 クリスはワクワクとした顔で動き出すのを待つが、ゆっくりとは言え動き出すと少し気持ち悪そうな顔になった。


「ま、これは慣れだな……」


 目的階の五階に到着すると、廊下を歩いて扉の鍵を開き、シュウが中に入る。

 几帳面な性格というのもあるが、風呂と寝泊りがメインになっている家なので、部屋の中はとてもきれいなものだ。

 気軽ではないが、クリスを招待できる程度には部屋は清潔でモノは整理されていた。


「ここがオレの部屋だ。トイレはここ。蓋は自動じゃないが、使い方は店と同じだ。そして風呂はここ……脱衣場というのがあって、これが衣服を洗濯してくれる機械な」


 シュウはポンっと洗濯機を叩く。


「洗濯をする機械……」


 物珍しそうにクリスはそのドラム型洗濯機を眺める。


「クリスのドレスは専門の店で洗ってもらえるんじゃないかと思う。この洗濯機だと傷めてしまうと思うぞぉ」


 シュウはそこまで話すと眠そうにクアリと欠伸をした。

 普段なら店を閉めてすでに寝ている時間である。


「さて、仮の服を買いに行くにしてもまだ店は開いてない。あと三時間くらいかかるから、風呂に入って少し仮眠したいんだが、いいか?」


 シュウは話しながら風呂場に入り、サッと浴槽などを洗うと戻ってくる。


「ええ、わたしもお風呂に入りたいですし……」


 浴槽を洗い終えたシュウに、クリスも返事をする。

 シュウはその言葉を聞いてニコリと笑い、壁のボタンを押した。


「ユハリシマス」


 追い焚き機能付きの浴室ボイラーが話すのだが、クリスは突然の女性の声に驚いたのか、目を丸くして辺りを見回す。


「今のは機械が話しただけだ。気にしないでいいよ。それよりもそこのソファーにでも……そのドレスでは座れないかぁ……」


 シュウはゴソゴソと自分の洋服ダンスを物色する。

 クリスにはいったいシュウが何を考えて行動しているのか想像もできないのでただ呆然と見ていることしかできないのだが、やがてシュウは自分の着替えらしき服と、クリスが一時的に着るための新品の男性用下着、Tシャツを取り出した。


「とりあえず、オレの未使用の下着を用意した。大きいとは思うが、これを使ってくれ。風呂を上がってからでいい」


 シュウが説明すると、クリスはコクリと頷く。


「このボタンがついている方が前。シャツは、このタグがついている方が後ろだ。まず、両手を通してから頭を通すといい」

「わかったわ」


 そこに軽快な音楽が流れ、また女性の声が響く。


「オフロガワキマシタ」


 その声にまたクリスは誰かがいるのかと周囲を警戒する。


「ああ、今のも機械が話をしたのね。すごい魔道具だわ」


 クリスは腕を組んで心底から感心したように声を出した。

 シュウはその様子を見て、「魔法がなく、科学が発達した世界」というものをどう伝えれば良いのかと頭を抱える。ただ、風呂が沸いたのだから、先に入浴を済ませてサッパリしたい。それで気分は変わるはずだ。


「まぁ、なんだ……風呂は機械が全部やってくれる。使い方を説明するから来てくれるか?」


 シュウはクリスを風呂場の方へと呼びつける。


「そんなに難しいことなの?」

「ああ、日本の決まり事にもなれてほしいからね」


 クリスは不思議そうに尋ねるが、日本と異世界のマナーに違いがあるかもしれないと思ったシュウは、念のためだと自分に言い聞かせる。

 クリスはドレス姿なので濡らすわけにもいかない。できるだけ見えやすい位置まで来てもらい、シャワーの出し方を蛇口を指して説明する。


「この右側のつまみを上にすると、この管の先からお湯が出る。下げると止まるんだが、下げ過ぎるとこちらのカランからお湯が出てしまう。間で一度止まるはずだから、そこで止めるんだ。あと、シャンプーとか……」


 ここまで話してシュウは男性用のシャンプーやボディソープしかないことに気がつく。いや、遠い親戚の慶事などで過去何度か泊まったホテルなどから持ち帰ったアメニティセットがあったはずだ。

 ゴソゴソと洗面台の下を探すと、巾着に入ったホテルのアメニティセットを見つけ、中身をひとつづつ出して説明する。


「この中身が薄らと赤いのもので頭を洗う。洗う時は地肌を指の腹で揉むように洗うんだ。こんな感じだな」


 シュウは両手の指を立て、頭皮をマッサージするように洗う方法を見せる。

 その姿を見るクリスの瞳は興味津々だ。


「そして、一度管の先からでるお湯で流したら、次はこの薄い橙色の方を使って地肌に塗ってまた揉んだら洗い流す。

 こちらの白いものは液体の石鹸だから、このスポンジとそれで体を洗うんだ……いいかな?」


 シュウはできるだけ丁寧に説明する。異世界の風呂文化などわからないので、ここにあるものだけをどう使うか説明するので精一杯だ。


「全部洗い流したら、浴槽に入っていいぞ。芯から温まって、気持ちと身体の疲れを取ってくれればいい」

「ありがとう。何も知らないままなら、浴槽に飛び込んでしまってたところだったわ」


 本当のことかどうかは知らないが、おそらく貴族の風呂などというのはとても大きいのだろう。

 そこに全裸で飛び込むのはさぞかし楽しいことだと思うが、シュウの家の風呂場は精々二人で入ることができる程度の大きさだ。

 飛び込みとか、怪我をする未来しか見えてこない。


「それで、髪を乾かしたりするのにブラシが必要だし、歯を磨くための道具も必要なので、オレが先に風呂に入り、そのあとクリスが入る。

 クリスが入っている間に、オレはヘアブラシや歯ブラシなど買ってくることにするよ」


 シュウは自分の着替えを持つと、脱衣場に入っていく。


「その方が、オレに覗かれる心配もないだろう?」

「ええ、そうね」


 クリスはくすりと小さく笑うと、窓際に向かって歩き、ぼんやりと外を眺めていた。

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