第10話 服装文化

 クリスはひとりトイレで大騒ぎし、何食わぬ顔をして戻ってきた。

 着ていたドレスは本来便座に座ることを想定されたつくりではないので、あちこちにシワが入ってしまっている。

 ただ、それでもクリスは達成感のようなものを感じたのか、日本のトイレを制したと言わんばかりに自信に満ちた顔をしていた。


 シュウも厨房の床掃除を終えて、クリスの元にやってくる。


「どうだ? ちゃんとできたかい?」

「当然じゃない。用を足すだけなら問題ないわ。でも、あの水で洗う魔道具はすごいわね……」


 ここでシュウはクリスがこの世界に魔道具というものが存在していると勘違いしていることを知る。


「あぁ、この地球には魔道具なんてものは存在しない。全て科学によって作り上げられたものでできているんだ」

「科学?」


 クリスは右手の人差し指を下顎に立て、首を捻る。クリスが生まれた世界には魔法が存在し、科学という言葉自体が生まれていないのである。


「店の掃除も終わったし、その科学というものを色々と見に行くか?」

「ええ、是非見せてほしいわ」


 クリスも興味で目をキラキラと輝かせ、返事をして立ち上がる。


「でもその格好は目立ちすぎるな……」


 シュウはクリスの服装を上から順に眺める。

 中世の貴族が着ていたであろう骨組みで裾を広げるフープタイプのワンピースだ。このスカートでどうやってカウンター席の椅子に座っていたのか理解に苦しむが、恐らく椅子に座ることを考慮した作りになっているのだろう。

 シュウは毎日ドレスを着て御堂筋線に乗って通勤するドレスショップのオーナーがいると聞いたことがあり、実際に心斎橋で見かけたことがある。それはそれはゴージャスで、人混みの中を優雅に歩く様はそのドレスの力が大きいというのもよく理解できるのだが、隣を歩く身としてはあまりにもバランスが悪いというものだ。

 それに5月とは言え、大阪はとても暑い。


「うーん……」


 男一人で営業している居酒屋だ。店の中に女性が読むようなファッション誌などあるはずもなく、サンプルになるようなものもないのでシュウは頭を抱える。

 リンゴマークのタブレットで服を見てもらっても、すぐに服が届くわけでもない。


「いいかクリス……試練の手がかりを探すにも、しばらくの間はこちらの世界で暮らすことになると思うだろう?」

「えっ、ええ……そうね……」


 シュウはじっとクリスの目を見つめて話を続ける。


「その間、ずっとその服でいるというのはどうかと思うんだ。まず、傷みやすくなるし、せっかく豪華な刺繍とか入っているのに汚れてしまうだろう?

 それに、明らかにお姫様にしか見えない。いくら治安が良い国だと言っても、その格好で街を歩けば何が起こるかもわからない……だから、オレたちが着ているような一般的な服を着て欲しいんだけど……」


 クリスの青く透き通った目を見ていると、だんだん照れてくるのか、シュウは恥ずかしそうに告げる。


「下着とかも必要だよな?」

「下着? この服の下に着ているもののこと?」


 クリスは少し恥ずかしそうに頬を赤らめてシュウに聞き返す。実のところクリスは下着をつけていない。シュミーズのような薄手の服を着込んでいるだけだ。

 だが、シュウが意図しているのは、ブラジャーやショーツ、キャミソールのことである。


 下着の認識が違うと認識したシュウは、慌ててリングのマークのタブレットを取り出す。


「女性用の下着って……ブランドとか、わからんな……京都駅のところの近くのあれくらいか……」


 ぶつぶつと呟きながら「女性 下着」で検索をかけると、ずらりといろいろな下着セットが画面に表示された。


 ――この上で、サイズがわからないんだからどうしたもんやら……


 シュウは検索結果として表示された女性用下着をクリスに見せる。


「この世界の女性用下着はこんな感じなんだよ……」

「まぁ、まぁ!」


 クリスは頬をさらに赤らめて表示された下着を順に見ていく。


「すごい、ええっ――これは毛も処理しているのかしら。こちらはもっと……」

「いや、そこまで際どいのを着る必要はないけどだな……服装に合わせてより活動的になっていった結果、こんな形に変化していったんだ。

 上半身はブラジャーと言って、胸の形を整える効果がある。下半身はショーツやパンティとか言うんだったか……男性も似たようなものを履いているんだ」


 クリスは興奮気味に下着の画像を見ていたが、一番下までスクロールしたところで見られなくなり、絶望した子猫のような目でシュウを見上げる。


「で、胸の大きさや形が人それぞれのように、下着にもサイズ設定というのがあってさ……試着して買う必要があるんだ。それも含めて、今日は買い物に行こうと思う。どうかな?」

「えっ? 本当にわたしがあんな下着とか着るの?」

「クリス、ブラジャーは歳をとっても胸が垂れないようにするためのものだ。オレは着る方を推奨するけど?」


 シュウがブラジャーの機能性というものについても伝え、クリスの顔色を見ようと少し屈んで覗き込もうとすると、クリスは下を向いて背中を見せる。


「フリルとかレースとかいっぱいついてて可愛いし、透けないようになってるし……」


 ブラジャーをすることに対する気恥ずかしさと、そのブラジャーのデザイン性や可愛らしさ、カラフルさなどにクリスは強く興味を惹かれているようだ。

 やがて、顔を赤らめたまま、クリスはシュウを見上げる。


「いいわ、この世界の下着……着てあげることにするわ」


 クリスは何故か上から目線で下着を買うことを認めるような口ぶりで言った。

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