第6話 文化の違い

 ぎこちない会話が続いた後、ようやく二人分の朝食ができる。

 土鍋で炊いたご飯、塩が表面に浮くような焼いた紅鮭、豆腐とわかめのお味噌汁。

 それらの料理が丸盆に乗って、二人が並んで座るカウンターに並んでいた。


「これは、どのようにしていただきますの?」


 クリスがシュウに尋ねる。

 手元に用意されているのは箸だけという状況だ。いつも店に来る客は日本人が多いので、ついつい箸だけを用意して出してしまう。


「クリスさんは、ペンを持って文字を書くことがありますか?」

「ええ、もちろんですわ」


 シュウは箸の一本をペンを持つように掴み、残りの一本を薬指と親指で抑えるように固定する。


「箸は、このように持って、人差し指側の一本を動かして使う道具なんだ。どう? できるかい?」

「こ、こうかしら?」


 クリスも言われたとおりに箸を持ち、器用に人差し指側の箸を動かすのだが、先端部分をカチカチと合わせるのが難しい。

 少しずつ慣れてきて、これなら何かを摘むという動作もできるだろうというところまでシュウが見守るが、二分もすればカチカチと箸先を合わせることができるようになってくる。


「そうそう、しっかりと箸先を合わせられるようになったら上出来だ……」


 ペン先を動かすように、器用に箸先が動くのだ。間違いなくクリスは読みやすく綺麗な文字を書くのだろう。


「茶碗や汁椀は左手で持つ。そして、最初はこの味噌汁から手を付けるんだ。といっても、箸先を湿らせて一口啜るだけでいい」


 シュウは実際に左手に味噌汁椀を持つと、箸先を入れて軽く混ぜてから口縁に口をつけて中身を啜ってみせる。


「箸先が湿れば、次にこちらの白いごはんに手を付ける」


 味噌汁椀を置いて、飯茶碗を左手に持つとシュウは白いごはんを箸でつまみ、口に入れる。


「こんな感じかな? やってごらん」


 クリスは見様見真似といった感じで、味噌汁椀を持つと箸先を入れてズズッと味噌汁を啜る。

 いりこの出汁の香りと、ワカメの海藻の匂いがふわっと口から鼻腔に抜けて、そのあとに味噌汁が舌を包む。


「とても複雑な味のスープね。塩辛いのになんとなく優しい味……」

「味噌汁は日本人にとって心の味だな。家によって違うけど、魚と海藻から引いた出汁に具材を入れて、味噌という豆を発酵させた調味料で味をつけるんだが……」


 と話したところで、シュウはまた難しいことを言ってしまったのではないかと心配そうにクリスを覗き込む。

 当のクリスは味噌汁椀を飯茶碗に持ち替えて白いごはんを摘んで口に入れたところだ。


「先に味噌汁で箸先を湿らせることで、ごはんがくっつきにくいようにしているのね!」

「そのとおりだよ」


 特にクリスは気にしていなかったようなのでホッと一安心したところに、クリスから感心したような声が届いた。日本料理のマナーとしての初歩は教えることができ、その意味でも一安心だ。


「あとは、好きに食べればいいよ。本当は箸の使い方にも色々とマナーがあるけど、まずは慣れることだから。紅鮭も箸先で解して食べてもいいし、摘んで歯先で噛んでもいい。ただ、紅鮭は塩辛いからすぐにご飯を口に入れると食べやすくなるよ」

「うん、ありがとう」


 クリスはシュウの忠告を聞くと、シュウの食べ方を見てみたり、自分なりにいろいろと試行錯誤して紅鮭や味噌汁を味わう。

 最初はまるごと摘んで齧っていた紅鮭も、食べ終わる頃には箸先を重ねてパクリと身を割ったり、身の隙間に箸先を入れてから広げて裂いてみたりと、上達が早い。

 シュウは横目でクリスの食べ方を見て、自分よりも上手なのではないかと感心するばかりであった。


「ごはんって、不思議ね。それだけだと何かはっきりしない味なんだけど、紅鮭や味噌汁があると味を取り込んで、美味しくなるわ。それに、ずっと噛んでるとだんだん甘くなって、溶けてなくなっていく感じ……」


 ほとんど食べ終える頃になって、クリスは隣に座るシュウに向かって上目遣いで話しかける。

 身長差があるので仕方がないことだが、どきりとするほどその美しさが際立つ角度だ。


「ああ、ごはん――米は主食といって、主に食べるものなんだ。紅鮭や他の食べ物はその主食の添え物のようなものなのかもしれないな。でも、地球の他の国に行けばまた違う主食――小麦を練って焼いたパンというものを食べる国もある」

「そうなのね? わたくしの国でもそのパンのようなものを食べるわ。ただ、料理と料理の間に食べる感じね……」


 フランス料理やイタリア料理でも残ったソースなどにパンをつけて食べることがあるが、基本的にコース料理として出てくるパンは、都度ちぎってバターを塗って食べるものだから、主菜などを食べている途中に口にすることはない。つまり、パンが主食といっても、箸休め的な食べ方になることが多い。


「ああ、この地球でも同じような感じだなぁ……」


 調理師学校で学んだテーブルマナーなどを思い出しながらシュウも相槌をうつ。


「あとね、この箸がいいわ。鉄でできていないから舌に触れても冷たくないし、味もしない。摘んだり、引き裂いたり、挟んだり……突き刺したり、色んな使い方ができるもの。

 それに、味噌汁椀も木なのかしら? 口に当てても熱くないのがいいわ」


 クリスはとても感受性が豊かなのだろう。見た目の年齢的にもそういう時期のように見える。

 そんなクリスの話を聞いて、シュウも少し自分たちの文化が認められたと頬が緩む。


「この箸というのは千年以上も前から伝わる食事のための道具だからね、それにこの日本という国は森林資源に恵まれてきたからというのもあるのかな?」

「千年以上! それはすごいことですわ!」


 クリスがいたアプレゴ連邦王国ではスープには木匙を使うが、肉やパンをナイフで切ると平民は手で摘んで食べてしまうし、貴族でも使いにくい三叉のフォークを使っている。

 そのせいか、クリスはそれに込められた長い歴史に思いを馳せるようにまじまじと自分の箸を見つめている。


「そうだな……」


 シュウも、箸一つにも長い歴史と文化が詰まっていることを実感する。

 器ひとつにしても、同じことがいえるのだ。


 それからしばらくの間は沈黙が流れた。

 単にクリスの方は食事に夢中になっているだが、シュウは今後のことを考えていた。

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