第5話 文明の違い
シュウはクリスの前にある丸盆を受け取ると、厨房へと一旦戻る。
違う土鍋を出して、洗い米を二合入れると水を足し、コンロにかける。
口をつけなかった味噌汁は雪平鍋の中に戻し、冷凍庫からは新しい紅鮭の切り身を取り出すと、丸盆の上に残った飯茶碗と土鍋のごはんをラップで包み、冷凍庫へと仕舞っていく。
カウンター席に座っているクリスから、その様子はよく見えていた。
銀色の扉の中には、銀色のキッチンポットや、透明な容器に入ったたくさんの卵などが見えるし、捻るだけで火がつく魔法のような調理台、レバーを動かすだけで水の出るシンクなど、みたことがないものばかりだ。
見上げれば、まあるい二つの管が発光していて、天井に取り付けられた四角い箱の横からはひんやりとした空気が続けて吹きつけてくる。
それはクリスの住む世界とは全く異なる文明が生み出したものだ。
当然、クリスは強い興味を持ってそれらを見つめていた。
「ところで、この世界のことを少し教えておきたいと思うんだが……」
シュウが戻ってきて、クリスに話しかける。
クリスもちょうど店の中のものを見ていて、気になることだらけだ。
「ええ、わたしも知りたいわ」
「う、うん……それが、どこから説明すればいいか見当もつかないんだよなぁ……」
シュウは眉を八の字にして、自分の後頭部をポリポリと掻いている。
本当に困っているようだ。
「じゃぁ、わたしが尋ねることについて教えてくださるかしら? そうね、その調理場の中から始めてもいい?」
クリスは最初に目に入った厨房の中にあるものから尋ねることにして、シュウにその許可を得ようとする。
シュウとしても、調理の途中ということもあって、朝食を作りながら話ができるなら手間が省けると思い、了承する。
「じゃぁ、中に入ってきていいぞ」
「ええ……」
クリスは立ち上がると、シュウの後ろについて厨房の中に入る。
ピカピカに磨き上げられた銀色の厨房器具がずらりと並んでいて、クリスにはその用途は判らない。だが、その一つひとつにまで名前や用途を聞いて覚えるつもりはない。
「まずは、いま火が出ているあの台は何かしら?」
クリスが業務用のガスコンロを指して尋ねた。
シュウは目線でその指が刺す先を確認すると、少し間を置いてから説明する。
「あれはガスコンロという名前の調理器具だ。薪や炭ではなくて目に見えないガスという気体を吹き出し口から出して、その気体を燃やしているんだが……」
シュウは出来るだけわかりやすく説明しようと考えたようだが、ここまで話をしてシュウとしてもあることに気がつく。
「クリスの住んでいたところでは、薪を使って調理していたのかい?」
「ええ、そうよ。火加減の調節がとても難しいから大変なんだけど、これなら誰でもできそうね!」
クリスは両手を合わせると、右足を後ろに蹴るように上げて嬉しそうな表情を見せ、弾むような声でガスコンロの便利さを称える。
ただ、このガスコンロを扱うにもガス会社が供給するガス管が必要だ。
「ああ、クリスさん……残念だがこれと同じものを手に入れても、君の住んでいた世界では使えないんだ。俺たちの世界では、海の底や砂漠のような場所からガスを集めてくる会社……店みたいなものがあるんだ。その店と、ここはこの管でつながっていてね……」
シュウは、コンロの後ろを走る銀色の鉄の管を持って話を続ける。
「ここのコックを捻れば火がつくようになっているんだ。そして、水は国――いや、自治体が運営する上水場から繋がった管で運ばれてきて、このレバーで簡単に出すことができる」
シュウはコップに水を入れ、目の前で飲んでみせる。
「こうして、そのまま飲めるほど綺麗な水を届けているんだ」
とにかく懸命に言葉を選び、わかりやすく説明したつもりでシュウが目を向けると、クリスはこめかみに握り拳をクリグリと押し当て、難しい顔をしたまま俯いていた。
その目には少し涙が浮かんでいるのだが、クリスはシュウが自分の方に目を向けたことに気付いたのか、上目遣いで睨み返す。
「難しすぎて、よくわかりませんわ! もっと簡単になりませんの?」
「そ、そう言われてもなぁ……」
「わたくし、少し頭が痛くなりましてよ?」
プンスカとクリスは怒ったような口調でシュウを責めるのだが、シュウにすればどう返せばいいかもわからない。
二十八歳になるまで、そんなに女性と親しくしたこともないので話すのさえ本当は怖いくらいだったりする。でもまぁ、何を説明するにも最適な順序というものがあるんだろうということくらいはシュウも気が付いた。
クリスが生まれた世界は、地球と比べて国とか政府、行政、国会などの制度も異なるだろうし、国と国との関係性も違うだろう。技術の進み方も違うし、逆に地球にないものもあるのかもしれない。
「そうだな、このことについてはゆっくりと時間をかけないといけない気がするよ……」
シュウは大きくため息をつくと、この後にでも子ども用にわかりやすく説明した本でも探して説明することにした。
「だから、理屈抜きで使い方だけ説明することにする……。とにかく、これはガスコンロといって、火で調理するための道具だ。ここのコックを回すと火がついて、火加減が調整できる。そして、これは蛇口。レバーを右にすると水、左にするとお湯。上に押し上げると蛇口から水なり、お湯なりが出て、下に押し下げると止まるんだ」
クリスも難しいことを理解するのを諦めたようで、取り敢えずは使い方だけ理解することに努めることにしたようで、「左でお湯、右で水……上にあげると出て、下げると止まる……」と繰り返して覚えようとしている。
独りぶつぶつと呟く姿はとても可愛らしいのだが、次に知りたいこともある。
「この壁際に並んでいる銀色の扉の箱は何なのかしら?」
ちょうど土鍋が沸騰したので、タイマーをセットして弱火に調整していたシュウがクリスの指す先のものを確認する。
「これは冷蔵庫。食べ物を冷やして腐らないようにするものだ。その隣にあるのは冷凍庫だな。凍らせて、更に腐らないようにするものだ。細かな説明は無し!」
シュウは両手を上げて、自分が説明することを放棄したことをアピールした。
だが、一方のクリスはというと、とても興味津々だ。
その瑠璃色の美しい瞳をキラキラと輝かせてシュウの顔を覗き込み、尋ねた。
「こっ、これは氷の魔法を永続的に使用するため、魔石を組み込んでいるのかしら?」
「え? 魔法?」
今度はシュウが頭を抱え、座り込む。
――こりゃ世界が違いすぎる……
どうしたものかとシュウは考えるが、まずは自分の方が「違い」を把握する方が良さそうだとシュウは感じた。文明がより進んだ世界の方が、文明が遅れている世界との差が分かりやすい。
ただ、決定的な違いをまず確認する必要がある。
「えっと、この世界には魔法は存在しないんだ。でも、クリスさんはどんな魔法が使えるんだい?」
「魔法を使える人はごく僅かよ。でもわたしは水と風魔法が得意なの」
たが、ここは地球だ。いくら転移してきたとはいえ、シュウはここでは使えないだろうと予測する。
「ここでも使えるかい?」
「んー無理のようですわ……何故か発動しないみたいです」
シュウは胸を撫で下ろした。
異世界から来た上に、魔法まで使えるとなると世界中の研究機関が黙っていない。
だが、魔法が使えないならいくら美人であってもなんとでも理由をつけて店に置いて匿うこともできる。
「よしっ! じゃぁ、朝食を食べたら街に出かけよう。いろいろと見て、気になるものは後でゆっくり説明するよ」
「ええ、よろしくお願いしますね」
こうして二人の朝食後の予定が決まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます