第4話 保護

 シュウはクリスの背後からその様子を見つめていた。

 引き戸の桟に両足を乗せ、華奢な身体で乗り出すように店の外をきょろきょろと見ているところだが、自分がどちらからやってきたのか確認しているのだろうと思っていた。

 やがて、一歩、二歩と足を進めると、クリスは両手で頭を抱え込み、路地の中央で叫ぶように大声を上げた。


 ――こりゃ、やばい!


 直感でそう感じたシュウはすぐに駆け出すと正面から両手でクリスの肩を掴み、身を屈めるとクリスの瞳をじっと見つめた。


 クリスの視線は虚になり、顔は紅潮して熱を持っているようで、息苦しそうに肩で呼吸をしている。


「深呼吸だ、深呼吸――わかるか?」


 クリスはシュウの言葉が聞こえていないのか、虚な目でぼんやりとシュウを見つめ返しているが返事がないし、深呼吸を始めるわけでもない。ただ、まだ足腰には力は入っているようでシッカリと立つことができている。


「とっ……とりあえず、店の中に戻ろう。いいか?」


 シュウは必死でクリスに声を掛けるのだが返事がない。

 半ば強引にクリスの背後に回ると、後ろからクリスの両肩を持って店の中へと連れ込んだ。







 店内で一番入り口に近い席は、賄いの丸盆を置いたカウンター席だ。

 まず、シュウはそのカウンター席にクリスを座らせると、おしぼりを冷水で冷やし、クリスの髪を避けて襟首に当てる。


「ヒャッ!」


 その冷たさに我に返ったのか、クリスが悲鳴にも似た声を上げた。

 熱っぽかったクリスの顔から赤みが少しずつ消えてくると、荒れていた呼吸もゆったりと落ち着いた雰囲気に変わってくる。

 初めて会うとはいえ、自分が飛び込んだ城内の引き戸の先にいた男であるせいか、クリスは安心感のようなものをシュウから感じ取っていた。


 そうして五分ほど経過した頃、クリスが震え始める。


「どうした? 怖いか?」


 背後から冷たいおしぼりを押し当てていたシュウが心配して声を掛ける。

 すると、落ち着いたのかクリスは首を上げてシュウを見上げるように見つめ、遠慮気味の声で話す。


「そっ……その、今度は寒くて……」

「あ、ごめんごめん。ちょっと待ってろ」


 過度に冷やしすぎて寒い思いをさせてしまったことに対し、反省するかのようにシュウは後頭部をポリポリと掻くと、厨房に入って水を入れたヤカンを火にかけた。そして急須を取り出すと茶筒からスプーン三杯の茶葉を掬い、急須に入れる。次に湯飲みを二つ取り出すと、急須と共に丸盆の上に並べて戻ってきた。


「あとね……怖いのは、自宅の扉を開けて入ると、知らない世界に放り出されたこと……かな?」


 シュウはクリスが座っている椅子の横に立って話を聞いている。

 現実的にはそんなことはありえないし、聞いたこともない。オカルトの世界であれば似たようなこともあるかもしれないが、あんなものはただの空想世界での話だとシュウは思っている。

 だが、今は素直に話を聞くべきだと彼は思った。


「つい先日、母が亡くなったの……。その母が残したものは一子相伝のものらしく、それを引き継ぐには試練を受けないといけませんの……」


 クリスは視線を上げて、店の引き戸を見つめる。


「その試練を受けることができる人を選ぶのが、城の中にある扉でしたの。そして、わたしが選ばれてあの扉を開いたら、ここに来てしまったってわけなのだけれど……信じてくださらないわよね?」


 ぼんやりと見つめるクリスの視線から、シュウは何やら諦めのようなものを感じた。クリス自身、非現実的なことを話していると認識しているようなのだが、シュウも鍵のことなど納得できないことが残っているのだ。


「うーん、急に信じないといけないとなると困るんだが、オレ自身も納得できないところがあるんだよな。例えば、オレが鍵をかけた扉を君が開いて入ってきたことなんかがそうだな」

「城の扉には鍵はありませんでしたわ」

「そうなのか……」


 鍵と扉の関係は謎だ。

 あと、シュウが気になるのは、その扉の向こうにあるという国のことだ。ただ、それを尋ねる前に日本のことを教えるのが先だろう。今いる場所を教え、違いを確認する。その方がシュウにも判りやすい。


「悪い、ちょっと待ってくれるか?」


 ヤカンの水が沸騰したので、急須にお湯を入れて蓋をする。

 それをカウンター前にまで持ってくると、客席奥にある座敷部屋に入ってリンゴマークのタブレットを取り出し、カウンター席に戻ると、地図アプリを起動する。


「いま、オレたちがいるのはここ。この地図を縮小していくと、この日本という国の全体像、隣国や世界全体の地図を見ることができる。アプレゴ連邦王国ってどこだい?」


 シュウが操作するところを見ていたのか、クリスは上手にスワイプしながら自分の国を探す。途中で似た形状を見つけたのか知らないが、一度動きが停止したのだが違ったらしい。


「えっ? ここは平たいの?」

「いや違う。ここは地球という丸い星だ。この地図はそれを平たく描いたものだよ」


 シュウは別のアプリを起動する。漆黒の闇に青い海と緑や茶色で表現された地球の表面が表示される。グルグルと画面上の地球儀が回転する。

 それを見たクリスは目を丸くして驚く。


「こんなに精細な地図があるなんて……とても綺麗ね」


 クリスはグルグルと画面上の地球儀を回してアプレゴ連邦王国を探す。

 縦横に回して見るが、しばらくすると右手の人差し指を下唇の下に突き立てて首を傾げると、眉間に皺を寄せて「うーん」と呟く。


「平らな地図の方がわかりやすいんじゃないか?」


 シュウはそう呟くと、タブレット端末を一旦取り上げて、元の地図アプリに表示を切り替える。

 縮尺を変更して、世界地図をまた表示するとクリスにタブレット端末を手渡す。


 実は、クリスは世界地図の規模で地図をみたことがない。アプレゴ連邦王国でも、自分が生まれ育ったナルラ国の地図しか目にすることがなく、その地図ですら精度が低いものである。

 その結果、またタブレット端末と数分間にらめっこをするのだが、見つけることができなかった。


「ダメですわ。見つかりません……」


 その間、シュウも自分のスマートフォンのブラウザでアプレゴ連邦王国という国を探してみるのだが、見つけることはできなかった。


「まさかとは思うが……異世界ってやつかもしれないな……」


 シュウは顎に手をやり、呟いた。







 数秒程度の沈黙が流れる。

 だが、お互いに知らないもの同士なので、最初にするべきことは決まっている。


「とっ、取り敢えず、自己紹介といこう」


 クリスが座るカウンター席の前に移動し、台の上に広げた両手をついてシュウが声を出した。


「オレの名前は生田秀一。生田は姓で、名が秀一。みんなには「シュウさん」と呼ばれている、この小さな店の店主だ。よろしく」


 クリスはその伏せ目がちだったその青い目をシュウに向け、シュウを真似るように自己紹介する。


「わたしはクリス・アスカ……みんなにはクリスと呼ばれているわ。よろしく!」


 クリスは初めての笑顔を見せた。


 雪のように白い髪、やや紅く染まった頬に真っ白な肌、瑠璃色に輝く青い瞳にぷくりと柔らかそうな唇、主張しすぎることがない整った鼻……初めて見つめたクリスの顔はとても美しい。


 シュウは握手しようと右手を差し出すのだが、クリスはキョトンとその手を見つめている。

 その様子を見て、シュウ習慣の違いというものを理解した。


「ああ、これはこちらの世界の挨拶のひとつ……『握手』というものなんだ。お互いに右手で相手と手をつなぐことで、対等の立場、仲間や友として認めると互いに約束するようなものかな?」


 シュウはなんとなく自分の中での知識と感覚を言葉にして説明した。内心では、後でネットで確認しようと思いながら……。

 一方、その説明の中で「対等」であることを理解したクリスは、この世界で対等に扱われることが約束されるのが嬉しかった。自分のいた世界では見せ物にされたり、奴隷と同様に扱われても仕方ない立場だと思ったからだ。

 だからクリスは喜んでシュウの右手を握る。ゆっくりと、そして恐る恐る力を込めた。


 ようやく差し出されたクリスの手は白く、ふっくらとしつつも折れそうなほどに細くて柔らかかった。

 それは水仕事はもちろん、何かを作るということなどしたことも感じさせない、生粋のお嬢様といった感じの手だ。


「グギュルルゥゥゥ……」


 突然、静寂を破るように腹の虫の鳴き声が店内に響く。

 元はと言えば、シュウが朝食を食べようとしていたときに、クリスが店に飛び込んできたのだ。だが、鳴き声を上げたのはクリスの腹の虫であった。


「あ、あの……ごめんなさい……目の前に食べ物が並んでいるので……」

「ああ、そうだった。オレも朝めしを食べようと思っていたんだった……でもなぁ……」


 シュウが丸盆の上の食事を見ると、既にしっかりと冷めてしまっている。

 味噌汁は湯気を立てることはないし、炊きたてだった米は水分が蒸発してしまって、固くなってしまっている。

 幸いにも味噌汁はまだ残っているし、鮭は一切れ焼けば済む。残ったご飯は冷凍してしまって、違う米を炊き直せば三十分もあれば二人分を用意できる。


「作り直したり、温め直したりするから、一緒に食うか?」


 シュウは屈託のない笑顔を見せて、クリスに尋ねる。

 クリスは嬉しそうに笑顔を見せると、今度は照れたように俯いてただ「はい」と答えた。

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