第3話 混乱

 突然現れた少女――クリスに対し、驚きの声を上げたのはシュウである。


「えっ!? いらっしゃい……ま……せ?」


 シュウは驚いているはいるものの、普段の癖がでてしまう。

 ただ、語尾は問いかけるような口調になってしまっているし、口は半開きのままで少女を見つめたままだ。


「ガララッ――」


 呆然としているクリスもその手から力が抜けたのか、ひとりでに引き戸が閉まる。


「カチャッ」


 そこで鍵が閉まる音が静かな店内に響く。


 シュウはとても納得がいかないとう表情で少女を見つめる。白い髪はクセがなく腰まで伸びていて、小さな顔に大きな目、澄んだ青い瞳――とても美しい少女であるが、今はそれどころではない。


 暖簾を片付けたときに、間違いなく鍵を閉めた。

 数日前にも鍵を忘れ、閉店後の着替え中におネエさんが酔って入り込んできたこともあり、今日も念入りに鍵をかけたところまで慎重に確認した。

 だが、少女は鍵がかかったままの扉を開けて入ってきたのである。また、丁寧にもシュウからは見えないように閉じた扉にも鍵をかけたのだ。


「鍵をかけておいたはずなんですがねぇ……いったいどうやって?」


 シュウは慎重に少女へ声をかける。


 一方、クリスは家族のいる前で試練を受けると言うことで旧王城の一室に設置された引き戸を開き、中に入っただけである。

 その先にあるものは聞いていなかったのだが、まさか見たこともない男しかいない場所に出てくるとは思ってもいなかった。


「いえ、わたくしが開いた扉には鍵はついていませんでしたわ。それよりもここはどこですの?」


 クリスは店内を見回すと、落ち着いた調子で返事をし、疑問に思っていることを逆に尋ねる。

 その口調は、普段なら使うことがない貴族子女たちが目下の者にかけるそれになっている。


「あ? ここは日本の大阪って街にある裏なんばと呼ばれるところにある小さなめし屋なんだが……」


 クリスは耳を疑った。

 日本、大阪、裏なんばなどと言う地名など聞いたことがない。自分がいた世界は全世界の中心を意味するコアという場所で、その中でもアプレゴ連邦王国で最も広大な土地を有するナルラ旧王国の旧王城の一室であり、我が家の一部なのだ。扉一枚隔ただけで、全く違う場所に出てくるなど考えられるわけもない。


「ふざけたことをおっしゃらないで。ここはアプレゴ連邦王国のナルラ地方国。領都マルゲリット城内にある部屋の一つなのでしょう?」

「いや、日本の大阪という街にある裏なんばという地域にある小さなめし屋だよ」


 嘘を言っても仕方がない。つく義理も理由もない。

 シュウは真剣な眼差しでクリスを見つめると、淡々と事実を述べた。


「わたしは、城の中にある扉を開き、中に入ったのよ? ということは、城の中じゃないと……」


 クリスは慌てて後ろにある引き戸を開こうとする。

 引手に手をかけて力の限り開こうとするが、びくともしない。鍵がかかっているのだから当然だ。


「待てまて、扉には鍵がかかっているんだから開くわけがないだろう?」


 シュウはツカツカと歩いて引き戸のところまで行く。

 シュウの行動に警戒したのか、クリスは壁に背中をつけ、すぐにでもシュウとは反対側に逃げられるよう身構える。


「カチャッ」


 シュウは引き戸についた鍵のつまみを左に回し、鍵を開けた。


「これで鍵は開いたから、扉は開く……」


 そう説明すると、シュウは引き戸を開いて見せる。

 引き戸の向こうに広がるのは、裏なんばの路地。

 朝早く人通りは少ないが、すぐ近くを走る堺筋を走り抜ける車の音が聞こえ、ゴミ袋を漁りに来たカラスどもが店先に置かれた半透明の袋に集っている。その周辺には猫が一定間隔で数匹座り、カラスの隙を狙っている。

 地下鉄の始発電車が動き始めて三十分は経っているからか、スーツ姿の酔っぱらいがふらふらと歩く姿はないものの、すぐ近くにある公園に向かうお年寄りたちがゲートボールのスティックを持って、カートを押して歩いていた。


「おはようございます」

「おあ、おはよう」


 元気な挨拶をして走り抜ける早朝ランナーが店の入り口に立つシュウに声を掛けると、シュウも少し恥ずかしそうに挨拶を返す。


「うん、いつもどおりだが……」


 シュウはその景色を見て安心したかのように呟くと、引き戸を開いたまま店に中に戻り、クリスに話しかける。


「入り口は開いてるから、出て行ってもらっていいぞ」


 シュウは賄いを食べるつもりだったことを思い出し、カウンターの上に置いた丸盆の向きを整え、クリスの背中を見つめた。


「えっ……ええ、おじゃましてしまいましたね。どなたかは存じ上げませんが、ご機嫌よう」


 クリスは引き戸から外に出るべく戸口へと歩いて行った。







 クリスは開かれた引き戸の桟に立ち、外の世界を覗き込む。


「なっ……なんですの……」


 クリスにとって引き戸の向こう側は別世界であった。

 店の入り口から見えるのは、継ぎ目のない石でできた建物。青みがかった砂利を押し固めて均した道。継ぎ目のない石の塔がほぼ等間隔で何本も道に沿って聳え立ち、それらは黒くて太い紐のようなもので繋がれている。その塔には丸い筒のようなものが上の方に固定されていて、そこからそれぞれの建物に紐が繋がっている。

 道の先にはより大きな道があるのか、交差点をびゅんびゅんと何かが横切っているのが見える。


「ここは……」


 クリスは力のない足取りで店の外に一歩、二歩と踏み出す。

 空を見上げると、さっきまでいたマルゲリットと同じ青い空が見える。だが、それ以外はまるで違う世界だ。


「どこなの……」


 クリスは呆然と立ち尽くす。

 大粒の涙が頬を伝い、ポツポツとアスファルトに黒い染みを描いていく。


 ――知らない世界に放り出された


 最初にクリスの脳裏に浮かんだのは、その言葉だった。


 試練と言われたが、何を為せばいいのか。

 どうすれば帰れるのか。いや、そもそも元の世界に戻れるのか……。


 考えてみたものの、答えなどそう簡単に見つからない。


 そして、次にやってきたのは目に見えず、音も立てず、ただ今までに感じたことがないような得体のしれない気配。何かに襲われるというような危機感。


「ううっ……わーっ! わーっ!」


 ただ、クリスの口から出たのは出たのは悲鳴ではなく、出せる限りの声量で発した叫び声。

 不安と恐怖が心を埋め尽くしていくのを感じ、大声を出さなければ逃げ場がなくなる……そんな焦燥感に耐えきれず発した声だった。

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