Scene8

「廻り廻って無になる、と、村中先生は思いますか?」


片桐先生がなんのつもりでそう尋ねてきたのか。

もう何年か前のことになるが、尋ねておけばよかったと今になって後悔する。


「この世のものは全部廻り廻って無くなるんだ、と私の古い友人が言っていたのを思い出したんです。つまり、恋愛感情も友情も、もちろん私たち人間自体だってそうですが、この大きな世界のもとで、我々はなかった事にされるだけだ、ということらしいのですが。」


確かそう言っていただろうか。

僕はあの時返事はしなかったが、確かに考えればそうだ。

全部最後にはなくなる。世界というものは、そういうシステムの上で、成り立っているだろうから。

そうなるとやはり命とは儚い。

僕らが毎日ウジウジと悩んでいるようなことは、後々、この世界の中において何の意味も示さないのかもしれない。


片桐先生は、忍野さんとは違うユーモアのあふれる温かい人だ。何の意図があって、僕らはこんなことになっているのか皆目見当がつかない。


そんな事を考えていると、誘拐犯の鳶さんはどこかに行ったらしい。


「村中、逃げるぞ。」


僕が言う前に彼が言ってくれたのだからこんなに心強いことはない。ただ問題は、鳶さんが戻ってくる前に縄が解けるか、ということ。


「忍野さん、縄、どうします?」


「はっ、俺を舐めんなよ。」


そういってバタフライナイフをブーツの中から取り出した彼は・・・


「おい、村中、切れねえよ、縄。」


至って普通の塾講師らしい。


「切ります、切りますよ。」

はやく切って、はやく逃げねば。

もう少し、あともう少し、よし切れた。


「あれ、何してるのかな。」


忍野さん、どうしましょう。


「仕方ねえな。」

忍野さんはそう言うと、その場で軽く足踏みをし、鳶さんも首の骨をゴキゴキと響かせた。


「いいか村中、いち、にの、さん、を聞き終わったら、出来るだけ高く跳べよ。何も考えるな。いいな。」


何がなんだか分からないが、あたふたしているうちに、忍野さんの閃光のような動きと共にカウントがスタートした。


 「いーち」


ああ、忍野さんは左利きだったっけ。

一般人とは思えないスピードで鳶さんの右頬にストレートが入る。


 「にーの」

回り込んだ、と思うと鳶さんの腕をもって、軽々と投げた。

強く、しなやかに。


 「さん!」

これはもうやるしかないだろう。

目をつぶって思い切り跳ぶと、着地と共に足元にいやな感覚。


目を開けるべきか開けないべきか。

このまま消えたい衝動に駆られたが、僕に指示した人の声がしたものだから、仕方なく目を開けてみる。


「村中、お前ほんと、ナイスとどめ。」

にやにやと、この男は全く。


僕がどこを踏んでいたかなんて、同じ男性としては心から泣きたくなる。


「令嬢の手先の割にしょぼかったな、焼きナス。」

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