Scene7

その人は僕が塾に勤め始めたときから、仏のような人で、若い僕にとても親切に、優しく仕事を教えてくれた。


「片桐先生、この資料、ここで大丈夫ですかね。」


何を聞いても、何をお願いしても、親切に、ていねいに何事も教えてくれた彼の頼みを断れる人など、真夏に革のいかついブーツを履くような誰かさんくらいだ。


「村中先生、忍野先生の面倒、よろしく見てあげてくれませんか。僕も最近、授業の持ち数が多くて。」


その一言で、僕は忍野さんとコンビを組むこととなり、こうして三年間、コンビ解消のお許しを得ることができずにいる。


 わからない、全くもってわからない。いくら業者側に言われたからとはいえ、理由を尋ねずに易々と言いなりになったりするだろうか。


「すいません、携帯返してもらっていいですか。」


「なんだよ村中、お前頭おかしくなったのかよ、やめろよ、俺よりまともなんだからさ。無理に決まってんだろ、携帯とか返してくれるわけないだろうが。」


自覚はあったらしい。僕のほうがまともなのは確かなのだが今はそうもいかない。とにかく誰かに助けを。


「ああ、別にいいんだけどさ、とりあえず自己紹介していい?俺、鳶です。」


「別にいいとか逆にこわいです。鳶って、まさか本名じゃないですよね、ハンドルネームかなんかですか。」


なぜ誘拐犯に自己紹介が必要なのか、令嬢の手先っぽいのは明らかなのに、なぜさっさと殺さないのかもう何がなんだかわからないがとりあえず機嫌は損ねたくない。


「ハンドルネームっちゃ聞こえがいいけど、あだ名だよ、ただの。あと、片桐さんのことは教えられないんだよね、ごめんね。」


「誘拐犯が謝ってんじゃねえよ気持ちわりいな。」


どうすべきか、この状況。誘拐犯が謝り、忍野さんが罵るという。

とにかく脱出する術を見つけるべきだろう。


片桐先生に話を聞くのはその後だ。殺されでもしたらもうたまったもんじゃないというわけで、隣で一緒に縄にかけられている彼を肘で小突いてみるが。


「おい、なんだよ、くすぐったいからやめろって。」


彼はどうしてこうも状況を把握する能力に欠けるのだろうか。

別に男同士でくすぐりあってきゃぴきゃぴする趣味は僕にはない。

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