第2話 秘密
その後、僕と風子は交際していたわけではないが、お互いに男女として意識するようになった。
ただ、僕からすればそもそも三人組に割り込んだ存在である自分が、風子と交際するのはあるまじき行為であり、四人の歯車を狂わせてしまうように思うから、そこから一歩踏み出せずにいる。
「はぁ……枯葉燃える季節は心も寂しくなるなぁ」
そんな誠の言葉とは裏腹に、僕の心は少し早い春の芽が出ていた。
僕と風子は、毎日夜の七時を過ぎた頃になると、僕の家の裏にある公園でひっそりと会う日々が続いた。
風子が吐く白い息が、僕には二人で隠れて会っていることのモヤモヤに見えて罪悪感に苛まれる。
「ねぇ、私と晴男は付き合っているのかな?」
誤魔化しながら今の時間が続けば良いと思っていた僕にとっては、痛恨の言葉。
僕にとって風子の存在は誠や武と違い、愛してやまない女性でしかない。しかし、その風子を彼女とすることは、あの二人への裏切りとも感じる。そこにあるから良い物を独占欲から犯してしまう罪のようなこと。
春ならば、桜の枝を折り、部屋の窓際に飾るようなこと。
夏ならば、川辺でそっと手の平に止まった蛍を、両手で囲い込むようなこと。
秋ならば、紅色染まる楓から紅葉の葉をもぎ取り、それを栞にするようなこと。
冬ならば、雪景色の野原に黒い足跡を付け、釜倉をつくり一人で温まるようなこと。
「なぁ、俺は風子のことが好きだ。でも、今は四人でいることが楽しい。だから高校を卒業したら付き合わないか?それまで俺は風子を想いつづけるよ。そして、その時は結婚しよう」
風子と交際すれば、誠と武がいつも傍にいることが煩わしく感じてしまうだろう。
その態度が露わになれば、二人はこの交際を軽蔑するに違いない。そして、いつの日か四人は離れてしまうだろう……そう考えると、風子を独占するという選択を僕は選ぶことができなかった。
「そっか……。そうだよね。わかった、約束」
小さな手から細い小指を出した風子は、にっこりと微笑みながら僕を見つめた。
それから時が経ち、高校三年生の二学期になった頃、僕は少しでも早く風子と暮らす為に、大学へは進まず就職することを決めていた。
これまで二人で愛を育んだわけではないが、僕の気持ちはあの頃と変わらない。
愛の言葉をかけ合うようなことはなくとも、相手を想い続けることはできる。
三年になると誠と武は大学受験を目の前にして忙しく、これまでのように四人が揃い遊ぶような機会も少ないが、登下校くらいはいつも四人でいることに変わりはない。
三年生に上がった頃のクラス替えにより、風子だけ別のクラスになってしまったことから、風子は卒業してから進学するのかは分からない。訊いたとしても秘密だと言われるだけ。
『きっと誠と武に知られないように、一緒に暮らすことを秘密にしているのだろう……』僕はそう思っていた。
ある日の昼休み、購買で買ったパンを齧りながら誠がつぶやいた。
「風子の奴、いくら夢だと言っても、何でわざわざ北海道の大学なんて受けるんだろうな」
「あぁ、でもガキの頃から牛や馬を見てはしゃいでいたからな」
「まぁ、そもそも、こんな汚ねぇ空気や油臭い町があいつには合わないか」
風子は母親の実家が牧場であり、幼い頃から酪農家になることを夢見ていたらしく、高校を卒業したら北海道に引越して酪農を学ぶと言っていたのを知った。
今ではすっかり四人一組と思っていた僕にとっては、自分だけが知らない風子がいたことに疎外感を感じた。
一体、僕は今まで何を守ろうとしていたのだろうか……彼等には風子と育んだ時間があるが、僕は風子への想いを胸の内に潜めていただけで、知らない風子ばかりがいる。
風子の本当に好きな食べ物は何だろう。
風子の本当に好きな音楽は何だろう。
風子の夢って何だったのだろう。あの時、風子とした約束は何だったのだろう……
僕は教室を飛び出すと風子のクラスへ向かい、教室の前に着くと扉を乱暴に明けた。
「風子、ちょっと……」
僕は風子を屋上に呼び出すが、自分の気持ちが纏まらないことから話の切り出しに戸惑う。
屋上をカンカンに照らす九月の日差しが眩しく、チラッと見ると、しかめっ面の風子が立っている。
「風子、北海道の大学受けるって本当か?」
「うん……」
気不味いことを知られたように、風子は頷いた。
「あの時の約束、あれは嘘だったのか?俺は風子と暮らし、これから一緒に過ごすことだけを考えていた。だから大学受験もせず就職しようと決めたのに、その間も風子は俺に黙って夢を追いかけていたのか?じゃあ何であんな約束をしたんだ!」
いつも笑顔の風子の目から涙が流れるのを見ると、僕もつられて涙が流れた。日差しの下に雲が流れると少しだけ影ができて、二人の足元を暗くする。
「晴男は勝手だよ。私はちゃんと言ったよ……晴男のことが好きだって。でも私だって女だもん。愛の言葉なしで私は愛を育めない。空想や妄想の中では晴男を愛せない」
これが風子の本音だろう。いつも四人でいることが僕にとっては変わらずに風子と会える時間であっても、風子にとっては友人である僕と会っていることに割り切られていたのだ。
「じゃあ、何故確かめなかった?これまで会っていなかったわけではないだろう」
「じゃぁ、何で言わなかったの?公園で付き合っているのかを訊いた時、晴男は凄く困った顔をしたわ。その顔を見た時から私はそのことに触れなかった。すると、どう? あなたは、誠と武のことばかりを気にして、私には静かに待っていろと言うような態度。私だって将来のことを考えながら、晴男とのことを悩んだわよ……だけどそれを犠牲にしてまで、私のことをどう考えているのか分からない晴男の傍にいるのが辛くて苦しいから、離れることに決めたのよ」
風子の言葉を聞いて、僕は言葉が出なかった。確かに僕は建前ばかりを気にして、本音で風子とは……いや、誠と武とも付き合っていなかったのかもしれない。
雲ですっかりと日陰になったのに気が付き、空に向かって溜息をつくと、流れる雲がこれまで過ごした時間のように見える。僕の想いは一方通行だったのだ。
仮に二人が結婚していたら、どうだろう……僕は風子のためにと思いながら勤めに出て、風子は仕事に追われる僕の帰りを自宅で待つ。
彼女は月曜日に切なさを感じて、火曜日には悲しみを感じ、水曜には息苦しさを感じて、木曜日には溜息をつく。
金曜日に待ち遠しさを感じて、土曜日に愛おしさを感じ、日曜日の夜は絶望感に襲われると、繰り返すように新しい一週間が始まる。
屋上の真ん中で泣きじゃくる風子を見て、僕は自分の愛が彼女の為ではなく、自分の欲求であったことに気が付いた。
自分では、風子を幸せにすることができないと感じた僕に、彼女の夢を壊すようなことはできなかった。
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