第2話
妻とともに短い時間を過ごしたマンションの一室で、身内だけの簡素な七回忌の法要が行われた。
読経する僧侶の背後で、達也は妻の位牌を眺めながら愛しい人の声を思い出そうとする。
(……あんな声だったかな?)
頭の中で再生される愛しい人の声が、なんとなく違ったものに聞こえた。妻を亡くしたことによる心の痛みは一向に鈍ることはないのに、妻の声はどんどん不鮮明になっていく。
香水は付けていなかったのに、ほんのりと漂う優しい彼女の香りが好きだった。その香りの記憶も、日ごと薄れていく。
ビデオ撮影が苦手でレンズを向けられると逃げ回る綾乃の映像が唯一残っているのは、結婚式のものだった。しかし撮影を頼んでいた友人が、綾乃が両親への感謝の言葉を述べるシーンで急にもよおし、トイレに行ってしまった。代わりに撮影を頼んだ別の友人がスイッチを押し間違えたせいで、がちゃがちゃと映像が途切れている。結局、映像には綾乃の声は残っていない。
――あの時は笑って済ませることができたが……
今となっては、悔しくて仕方がない。あいつはなぜ、あのタイミングでトイレに行ったのか。
――彼女の姿を見ることも、触れることも叶わないのだから、彼女のすべてを鮮明に覚えていたいのに
くよくよと過去を振り返っているのは達也だけで、その場に揃った一同は落ち着いた表情を浮かべている。彼女を想う気持ち、大事な人を亡くしたつらさは達也と同じなのだが、ずいぶん前に彼女の死を受け入れ、心の整理をつけることができたようだ。
とくに義両親は、綾乃の弟家族のもとに最近生まれた孫の相手で、それどころではないのかもしれない。
「泊まっていけば?」
栃木から来た義両親、静岡からきた両親に社交辞令としてかけた言葉に、双方ともに苦笑して首を横に振った。
「大丈夫。そんなに遠くないから」
綾乃と暮らしていた頃のままで彼女の気配が色濃く残り、時が止まっているこの部屋は、どうにも落ち着けないらしい。
駅まで車で送る途中、後部座席から遠慮がちに義父が声をかけてきた。
「達也君がこんなにも綾乃を想ってくれて、あの子も本望だろう。俺たちも本当に感謝している。ありがとう。……でももう七回忌も終わったんだし、あの子のものはそろそろ片付けたらどうかな。ご両親もやっぱり孫の顔を見たいだろうし……これじゃ、再婚もできないだろう?」
運転していた達也がちらりとバックミラーを覗くと、義母はこくりこくりと頷いて同意している。その隣では、父親が居心地悪そうに窓の外を眺めていた。助手席に座っていた母は、「ほら」と言わんばかりに達也の肩に軽く触れる。
「……なかなか、縁がないんですよ」
達也はそう答え、義両親に向かってバックミラーごしに作り笑いを浮かべてみせた。
妻だと名乗るこの人は 八柳 梨子 @yanagin
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