妻だと名乗るこの人は
八柳 梨子
第1話
白石達也は、六年前に四歳年下の妻を病気で亡くしていた。もうすぐ七回忌を迎えようとしている。
妻と結婚して一年すぎた頃、そろそろ子どもを作ろうか――というところで病気が発覚。その後ずっと入退院を繰り返し、結婚生活をほとんど経験しないままに妻は亡くなった。
一周忌が過ぎた頃から周囲に、とくに両親から再婚を勧められるようになったが、達也にとって妻の存在は大きく、ほかの女性を見る余裕などなかった。
精神衛生上、良くないと分かってはいても、妻と過ごした部屋で、妻が選んだ家具に囲まれ、妻の匂いが残っている(ような気がする)場所で過ごし続ける。そして彼女を思い、夜は涙で枕を濡らしていた。
そんな生活が三年も続いた頃からやっと一人の生活に慣れ始め、だからといってほかの女性を愛する気力がないまま現在に至る。
「達也さん、あなたもう四十過ぎたんだから、いい加減に再婚なさい。綾乃さんを想う気持ちは分からないでもないけど、私たちも孫を見たいのよ」
四十一歳の夏、帰郷した達也に苦言を呈したのは、もうすぐ七十になる母親だった。二つ年上の達也の姉は、若い頃に子宮系の疾病を患ったため、子供ができない身体になっている。だから達也が子供を作らなければ、両親は孫の顔を見ることができない。綾乃と結婚したとき、孫はまだかと頻繁に問い合わせてくるほど、心待ちにしていたのだが……。
「分かっているよ。でも、出会いがなくてね」
「そんなのどこにでも転がっているでしょう。婚活っていうの? そういうのに参加したり……もういっそ結婚相談所に登録してプロに任せてみればいいのよ」
「そう簡単じゃないよ。俺、けっこう人見知りだし」
「営業職やっててそれはないでしょ」
「営業たって、仕事とプライベートは違うよ。しかも今は管理職だしね。俺は社内で指示を出してるだけで、得意先には若い部下たちが行ってるし」
「部下には女性もいるんでしょ。どうなの?」
「どうなのって……。職場で恋人探しなんてしないよ」
「身近で探せないなら、相談所に登録だけでもすればいいのに」
――そんなやりとりを、これまで幾度重ねてきたことだろう。
実際のところ、これまで秋波を送ってくる職場の女性は何人かいることにはいたのだが、どうしても綾乃の面影が脳裏をよぎり、気持ちが揺らぐことはなかった。
「……綾乃」
部屋で一人で過ごしているとき、ふとしたはずみで今もその名をつぶやいてしまうほどに、忘れられずにいるのだから。
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