アクセプト

@araki

第1話

 尋ねると、渚は答えた。

「光のあるお話が書きたいの」

「……そうかい」

 安楽椅子の肘掛けに僕は頬杖をつく。

 まるで砂糖菓子のような言葉だ。ただただ甘くて、それでいて何の足しにもならない。その瞬間は雲が晴れた気分になるが、直後に錯覚だと気づいてしまう。そんなどうしようもない言葉だ。

 僕は正直、目の前の少女を好きになれない。彼女はこの街では見かけない服を身に纏っている。その異物感は一ヶ月経った今も慣れない。

「なんかうんざりしたみたいな顔してるね」

「実際、うんざりしてるんだ。こう毎日ひどい出来事に出会うとね」

「ごめんね。でも、そういう作風を売りにしてるから」

 悪びれもせずに渚はそう口にする。

 仕事が終わると必ず僕の前に必ず現れ、昔からの知己のようにじゃれてくる彼女を、どうにも邪険にできない。邪気のない子犬のようで、悪感情を抱くこちらが罪深く思えてくる。

 ――全ての元凶はこの娘にあるというのに。

 僕の毎日はひどい出来事で彩られている。妻が夫を殺し、隣人が盗みを働き、富める者が貧しき者から金をむしり取る。そんな事件が毎度のごとく舞い込んでくる日常に、はっきり言って僕は疲れていた。

 甘さなど、どこにもない。人は普通に死に、不幸な人は不幸のまま。サクセスストーリーを歩む人間は一人もおらず、皆、自身の運命に従って粛々と結末を受け入れている。

 ――これのどこに光があるのだろう?

 首を傾げざるを得ない。この街で繰り広げられる出来事はどれも彼女の言葉からかけ離れている。全く先行きは見えず、どこまでも鬱々とした世界。実際に経験しているこちらは幸せの感覚が薄れていくばかりだった。

「君が考える光とはなんだい?」

「え?」

 僕の問いかけに、渚は一瞬きょとんとした顔を見せる。それから顎に指を当てて少しばかり考えた後、誤魔化し笑いを浮かべた。

「分かんない」

「そうか」

 僕は内心ため息をつく。なんだ、それ。真面目に生きている僕らが馬鹿みたいじゃないか。

「なら、君はろくな考えもなく僕たちを動かしてるんだね」

「そこは特に考えてないかな」

 弱り顔で渚は頬を搔いた。

「もちろん考えるべきとこはちゃんと考えてるよ。ただ、決まってるものは動かせないというか……」

 歯切れの悪い回答に僕は眉をひそめる。すると、

「ちょっと実演します」

 渚はテーブルの上にあった個包装されたキャンディを手に取る。人のおやつに何の用だろう。

「ここにあめ玉があります」

「あるね」

「で、これを――」

 そう言って、渚は包みを開ける。そのまま中身を口の中に放り込んだ。

「私が口に含みました。さあ、どうなる?」

「なくなる」

「正解」

 キャンディを口内でころころ転がしながら、渚は笑う。

 不意に彼女は言った。

「それと同じなんだよ」

「どういうことかな」

「このあめ玉の結末は私が食べた瞬間に決まってるの。私の口の中で溶けて消えるって最後がちゃんとね」

「……つまり、出来事に出会った瞬間に僕たちの運命は自動で決まると?」

「ザッツライト」

 我が意を得たりと親指を立てる渚。なんて分かりづらい喩えだ。僕の貴重な糖分を提供した甲斐がまるでない。それに、

「それは悲劇じゃないか。自分たちの予期しなかった出来事に巻き込まれ、為す術もなく終わる。それのどこに光があるんだ?」

 それが現実だと言われれば口を閉じるしかない。けれど、だとしたら淡々と紡がれるこの日常に何の意味があるというのだろう。僕たちは一生会うことはないだろう誰かの嗜虐心を満たすだけの存在ではないか。

 僕は険しい視線を渚に向ける。

 しばらくの沈黙の後、彼女は答えた。

「大事なのは過程だと思うの」

「過程だって?」

 僕は眉をひそめる。この娘は一体何を言い出すのだろう。

「その過程の出来事さえ、君の手の中なんだ。自由なんてどこにも――」

「あるよ」

 すると渚は、自身の頬に浮き出るキャンディを指さした。

「このあめ玉はいずれ消えちゃう。だけど、その間にだって色んな過程がある。かみ砕いてすぐになくしちゃうこともできるし、じっくり味わうこともできる。アプローチは色々だよ」

「結果はどうしたって同じだ」

「かもね。だけど、私たちが感じるものは違ってくる」

 渚が改めて僕を見る。その瞳は確信に満ちていた。

「私たちは結果から逃れることはできない。でも、その受け取り方は自由なんだよ」

「君たちが僕たちをどう思おうが――」

「自由なのはあなたたちも同じだよ」

 一瞬、僕は呆けた顔を見せてしまった。

「……受け取り方は君次第。それを僕たちも納得しろと?」

「強制するつもりはないよ。否定してもいい。ただ、自由だって事実はあなたの前にいつもある。私たちと同じでね」

 煩わしいことだけどね、と渚は苦笑を見せる。

 ――なんて娘だ。

 僕は思わず顔をしかめる。気の持ちよう、などと言われたところで状況は何一つ変わっていない。どころか努める分、かえって苦労が増えるだけではないか。

 加えて、彼女の言には粗がある。

「全ては君の手で書かれるものだ。僕たちの行動や思いでさえ、君は自由にできるんじゃないか?」

「それができたら楽なんだけどね」

 渚は小さく肩をすくめた。

「私がこの街にできるのは事件を起こすことだけ。あなたたち自身をどうこうすることはできないの」

「君はカップの水にインクを垂らしてるにすぎないと?」

「そうなるね」

 僕は大きなため息をつく。質の悪いトラブルメーカー、それが渚の立ち位置だと言う。そして、こちらは気ままな彼女を制御できない。されるがままだ。

 その関係を、一言で表す言葉を見つけた。

 ――立場が逆転してるじゃないか。

 僕は思わず、皮肉の笑みを浮かべてしまった。

「少し腑に落ちたよ」

「そう。良かった」

「良くはないけどね」

 一応の釘を刺した後、僕は足を組み替えて居住まいを正す。そして尋ねた。

「改めて。君の願いは何だい?」

「光のあるお話が書きたいの。だから」

 渚は僕をじっと見つめる。すると、彼女は頭を下げた。

「あなたを取り巻く状況に希望を見つけて。それが私の依頼です」

「……虫のいい話だね」

 自ら蒔いた種の後始末を被害者に任せる。非常識な願いなのは間違いない。ただ、

「依頼は基本断らない。それが僕の信条だからね」

 この信条もきっと彼女が植え付けたものなのだろう。けれど、それを旨とするのは今の僕自身の意志だ。だから、せめてこう答えた。

「善処しよう」

「……ありがと」

 渚が顔を上げる。その顔には憎らしいほどに屈託のない笑みがあった。

「じゃ、またね」

 渚は小さく手を振る。瞬きの後、彼女は姿を消していた。

 すると、室内に来訪を告げるブザーが鳴り響く。どうやら次の事件らしい。相変わらず人使いが荒い娘だ。

 まあ、でも。

 ――子供のわがままは、聞いてやるものだからね。

 僕は肩をすくめて重い腰を上げる。そして、確かな足取りで玄関へと向かった。

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