第29話 広天、フェリアを気遣い、また気遣われること

「死ぬかと思った……死ぬかと思った!」

「だから悪かったって」


 広天が調理した赤竜のもも肉をガツガツと頬張りながら何度も繰り返すミナに、広天は辟易しながらも何度目かの謝罪を口にした。


「倒せたのですから、よろしいではありませんの」

「……エリーちゃんって、メンタル鋼か何かで出来てるの?」


 三匹同時に赤竜と戦って勝った経験のあるものなど、この世にそうはいないであろう。ましてや勝利したパーティなどというのはもしかしたら史上初かもしれない、とミナは思う。


「そういうわけではございませんが……ミナ様はもっとご自身を信じられた方がよろしいのでは?」


 エレクトラが冷静でいられたのは、他ならないミナがいたからだ。世界に十人といないA+級冒険者。あの赤竜を相手にして、かすり傷一つ負うことなく勝利した正真正銘の強者だ。


 あの滅茶苦茶な風を吹かせる嵐の魔剣を縦横無尽に操り、殆ど飛行しているとしか思えないほどの滞空時間で空を舞い、赤竜の両手の爪と牙の三連攻撃を危なげもなくかわし、刃も届かない距離の竜の鱗をやすやすと切り裂き、更に雷撃までこなす。


 そんな人間が傍らにいて、心配しろという方が無茶な話だ。むしろエレクトラには、なぜミナがそんなに慌てていたのか全く理解できなかった。


「まあとにかく今は食って身体を休めてくれ。俺はまた削ってくるから」


 まあ、何日も不眠不休で魔物を殺し続け、ミナとエレクトラが最初の赤竜を屠るまでの間、付かず離れずの距離で三頭の赤竜を連れ回していた広天程ではないが。


「……っと。これはまずいな」


 不意に、広天の目つきが鋭く引き締められる。


「どうなさいましたの?」

「魔物たちが……移動を始めたようです」


 目を閉じて部屋の壁に手を触れ、フェリアが硬い声で呟く。大地に掘って作ったその壁を伝って地面の振動を感じることで、彼女は周辺一帯の魔物たちの動向を察知することができる。やっていることはウォルカノと同じことだ。


「ここが見つかったってこと!?」

「いいえ……」


 血相を変えるミナに首を横に振り、しかしより深刻な表情を浮かべるフェリア。


「向かっているのは……街のある方角です」

「どうやら業を煮やしたようだな。そうする可能性は低いと踏んでたんだが……」


 苦々しい表情で広天は呟く。こうしてじわじわと敵の戦力を削っていった場合、ウォルカノの取る手段は大きく三つ想定されていた。


 一つは、直接こちらを攻撃しに来るというもの。一番可能性が高く、一番ありがたい可能性だ。


 二つ目は、限界までこちらを待つというもの。戦略的にはこれが最適解だ。火山の山頂に近づけば近づくほど、広天が戦力を削るのは難しくなる。麓で今しているように、地中に逃げる手が使いづらくなるからだ。


 そして三つ目が……広天たちを無視し、人の街に攻め込むというものだった。いわば人々を盾にとった脅しである。だが広天は、この手をウォルカノが取る可能性は極めて低いと踏んでいた。


 ほんの少し会話を交わしただけだが、ウォルカノは気が短く気位の高い性格である。人質を取るような卑劣な手段は好かないだろう。逆に言えば、それほどなりふり構わずこちらを倒しに来た、という事であった。


「さて、どうしたものか……」

「ああもう。らしくないわね」


 首をひねる広天に、ミナは深々とため息を付いた。


「力を貸すって言ったでしょ? 気にせずに頼みなさいよ」


 可能性は低かった。だが想定していた反応だ。だとすれば、広天が事前に対応を考えていないはずなどなく、今更思い悩む必要などあるわけがない。


 ならばなぜ彼がそんな素振りを見せるかといえば理由は唯一つ。ミナを気遣ってのことだ。とはいえ、街を見捨てるのでもなければ取れる手段は限られているのだから、それは全く無駄な気遣いであった。


「あたしたちが魔物の群れを足止めする。その間にコウ君とフェリアちゃんでウォルカノを討つ。それ以外に作戦なんかあるの?」

「……ないな」


 気恥ずかしげに髪をかき、バツが悪そうに広天は答える。


「それでは、参りましょうか」

「ミナさん、エリーさん」


 気負った様子もなく立ち上がるエレクトラの手と、ミナの手を両手で取り、フェリアはぎゅっと抱き寄せるように握りしめる。


「どうぞ、ご無事で」

「……フェリアちゃんもね」

「ご武運をお祈りしてますわ」


 ミナはフェリアの髪を撫で、エレクトラはにっこりと微笑んでそれに答える。


「よし。行くぞ!」

「はい!」


 そしてその姿はツルハシとなって広天の手の中に収まり、使い手の声に力強く答えた。


 * * *



 広天がフェリアを振るうと、ゆっくりと街へと移動する魔物たちを縫うようにして、まるで翅脈のように幾筋もの土の隧道トンネルが出来上がった。街へと向かうよう命令されていても、流石に近くを走れば魔物たちは襲いかかってくる。それから身を隠し、攻撃を防ぐためのものだ。


「ここまでご苦労だったな、フェリア。もうひと踏ん張りだ」


 仙人は疲れを知らないが、宝貝はそうではない。勿論人間よりはよほど丈夫だとはいえ、疲れもすれば消耗もする。度々彼女を休息させてはいたが、そろそろ限界は近い筈だった。


「わたしは平気です。ですがマスター……マスターは、大丈夫なのですか?」

「言っただろ? 仙人は疲れない。一年中でも全力疾走を続けられるって」


 心配そうに声をかけるフェリアに、広天は呵呵と笑う。


「はい。……でも、今のマスターは凄く消耗してらっしゃいます、よね……?」


 だが続くその言葉に、笑みが消えた。


「……あー……なんでわかった?」


 宝貝には、自分の状態を使い手に知らせる機能は当然ある。壊れかけていたり不調な道具を使い続けることほど危険なことはないからだ。だが、その逆はない。医療用の宝貝でもないフェリアが、広天の状態を知る方法はないはずだった。


「何となく、です……」


 確かに宝貝としてのフェリアにそんな機能はない。


 だが、広天がこの世界を訪れてからというもの、ずっと共に行動し、見守り続けてきたフェリアという少女には、気づくことができたのだ。


 確かに今の広天は疲れ切っていた。しかしそれは肉体や精神の疲労ではない。仙人としての疲労だ。仙人に肉体疲労はないが、仙人としての力……仙気を使えば疲れる。


 そして、宝貝を作ったり操ったりするのは、それに当たる。仙術を使うのに比べれば遥かに少ない消費だが、問題はそれに回復の当てがないということであった。


 疲労と同様、仙人には飢餓も存在しない。だがそれでも仙人が食事を取らなければならないのは、仙気を体内に取り入れるためだ。そしてどうやら、この世界の食べ物は仙気を帯びていない。


 故に、この数日の戦いで彼の仙気は殆ど底をついていた。


「……ま、心配には及ばん」


 とはいえウォルカノを倒す分には問題ない。


「それよりも……」


 トンネルの天井を打ち崩し、雄叫びをあげて侵入してきた炎鳥に広天は慌てることなくフェリアを振るう。途端、そこら中から鋭い槍のような形に土が盛り上がって、飛びかかってきた勢いそのままに炎鳥はその槍に突き刺さった。このトンネルは、広天たちの身を守る盾であると同時に、敵を倒す矛でもあるのだ。


「お前こそ、無理をするなよ」


 ずきりと痛む胸に、広天は苦しげに呟く。それはフェリアの感じた痛み。彼女の心の痛みだった。


 この数日……いや。出会ったときからずっとそうだ。


 フェリアは魔王を、その配下を、魔物たちを倒さなければならないという使命を強く抱きながらも──その過程で失われる命すべてを悼んでいる。人間だけではない。獣も、魔物も、人々を惨たらしく殺したウォルカノさえもだ。


 だがそれでも彼女の心には一片の迷いもない。命を一つ奪うたび、これほど胸を痛ませ、悲しみに包まれているというのに。


 せめて倒した魔物を食べることで命を繋げば多少は気も楽になるようではあったが、それだけだ。実際のところ、ウォルカノが街を攻めてくれて良かったと、広天は内心安堵していた。


 結果として、それが最も少ない犠牲で済む選択だからだ。街へと向かう魔物たちは殆ど襲いかかってこない。ミナとエレクトラも先の戦いで消耗していて、最低限の牽制で戦いを長引かせるよう動くだろう。後は僅かな護衛と、ウォルカノを討つだけで済む。


「先程も申し上げましたが、わたしなら平気です、マスター」


 だが、己の機能ではっきり伝わってくるその痛みになど気づいていないかのように、フェリアはそう言い張る。


 要するに、似た者同士の主従なのであった。

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