第26話 ミナ、炎鳥の油淋鶏に舌鼓をうつこと

「……来たか」


 配下の魔物たちがざわめく気配に、ウォルカノはゆっくりと目を見開く。どうやら敵は真っ向から挑んできたようであった。とは言え、ウォルカノの炎から二度も逃げおおした相手だ。どのような奥の手を持っているものかわからない。


 故にウォルカノは姑息とも思える万全の態勢を整え、コウ=ティエンというあの男を待ち受けていた。その長い尾は火口の中に伸び、煮えたぎるマグマに浸されている。炎を司るウォルカノにとって、それは心地よい湯のようなものであり、同時に活力を与える源でもあった。


 無数の部下たちで仕留めきれるような生ぬるい相手ではないだろう。だがウォルカノの前に辿り着くまでには消耗は避けきれないはずだ。そこを、火山から活力を得て無限の力を得たウォルカノの炎で叩く。それこそが、ウォルカノの取った策であった。


 風雨を操りウォルカノの鱗さえ切り裂くあの魔剣であろうと、あるいは聖剣そのものであろうと、これほどの熱量を吸収し続けるウォルカノに致命傷を与えることは出来ない。傷をつけられたとしても、それはすぐに癒えてしまうはずだ。


 炎の本当の恐ろしさとは、その熱でも光でもない。斬ることも貫くことも出来ぬ、その無限の再生能力であった。


 山頂まで人間の足で登って二刻。配下の魔物たちを退けながらであれば半日といったところだろう。無論、あの男のことだ、姑息な手段を使ってそれよりも早く到達するということもありうる。


 だがもはやウォルカノには油断はない。地中にはマグマを張り巡らせ、地上には火蜥蜴サラマンドラどもを、空中には炎鳥フィニクスどもを配して見張らせている。


 仮にマグマを避けて地中を進んで来ることが出来たとしても、それはウォルカノにとって己が神経のようなものだ。火山に一歩でも踏み入ればすぐにそれと悟ることが出来る。どこから襲いかかってこようと、ウォルカノの不意を突くことは不可能。


 ウォルカノは意識を集中させて、来たる宿敵との戦いに備えた。



 ──そして、三日が経った。



 * * *



「んー、この炎鳥のお肉を揚げたの、美味っしい! エリーちゃんってば天才!」


 一方その頃、ミナはエレクトラの作った料理に舌鼓をうっていた。


「師父にお教え頂いたレシピですわ。師父の故国では揚げ物が多いそうですの。幸い、脂とお肉には事欠きませんしね」


 つい、と指先で描いた魔法陣から水を出し、使い終わった調理器具を洗い流しながらエレクトラ。


「へぇー。料理まで出来るの、彼」

「いえ、ご自身ではなさらないそうですが、教えるのは得意なんだとか」

「なにそれ……いや、いいわ、なんとなくわかった」


 どうせ宝貝関係の理由なんだろうと当たりをつけ、ミナはパタパタと手を振りつつ揚げた炎鳥の肉にかぶりつく。ピリリと辛い火蜥蜴の血が炎鳥の脂によく絡み、サクサクとした衣にジューシィな肉汁がたっぷりと詰まっていて、とにかく美味しい。


「お肉ばっかりですから、もう少し野菜が欲しいところですわね」

「あたしは別に不満はないけど……っていうか」


 ミナの対面に座り、手を合わせて食事を始めるエレクトラ。


「……本当にこんな事してていいのかしら……」


 ミナは唐突に我に返って、そう呟いた。


「師父の計画にはミナ様も納得なさったのではありませんこと? こうして英気を養っていることこそ、わたくし達の任務です……ん、いいお味ですわ」

「それはまあ、わかってるんだけどさ……こう、焦れったいと言うか身体が疼くというか」


 落ち着かないように席を立ち上がり、小さな部屋の中をうろうろと歩き回るミナを見ながら、狼人リュカントロポスも大型犬と同じように運動が必要なのかしらね、とエレクトラは思った。


「まあ……気の長い作戦ですわよね」


 こうしてミナとエレクトラが食事している間にも、広天はフェリアを振るい敵と戦っている。この三日間、不眠不休でだ。


 仙人が一年中でも全力疾走を続けられるというのは、本当のことであるらしかった。休むことなく、火山の端から少しずつ魔物を削っていっている。


 広天曰く、「十万の敵がいたとして、一日百匹倒していけば、千日で倒しきれる計算だろう?」との事であった。流石に人より遥かに長い寿命を持つエルフであるエレクトラですら、そこまで気の長い作戦を立てることはない。正直魔物たちに同情したくなる思いである。


 魔物と言っても生き物だ。睡眠も必要であれば、食事だって必要だ。有利な陣地から逃げ出すわけにも行かず、いつどこの土中から攻撃してくるかもわからない広天を警戒し続けなければならない。


 広天が言うには、彼の動き自体はウォルカノには完璧に捕捉されているらしい。火山を血管のように覆うマグマの脈は些細な土の動きも敏感に捉え、フェリアとともに地中を移動する広天の動きを察知する。


 だが、そこまでだ。それを配下の魔物たちに正確に伝える術を、ウォルカノは持たない。大雑把な方角を示すことくらいは出来ようとも、常に移動する広天の行く先を正確に示すことも出来なければ、それを理解するほどの知能を持った魔物もいない。


 それどころか、己のテリトリーを付かず離れず移動し続ける広天を、ウォルカノは延々と警戒し続けなければならないのだ。おそらくウォルカノは広天を消耗させるために配下の魔物を布陣させたのだろうが、結果として疲弊させられているのはウォルカノの方であった。


 ミナとエレクトラの二人は、火山から離れた地中に広天が作り上げた仮の住処で、時折届く火蜥蜴や炎鳥の肉を食べつつ出番を待っているという状態だ。外に出歩けないのが不便ではあるが、仙人が作り上げた住居はやけに住心地が良く、生活に困ることはなかった。


「まあ、心配なさらずとも、本当に千日かけることはないと思いますわ」


 それは広天自身、言っていたことだ。


「炎の化身と喩えられる黒竜ウォルカノが、ミナ様よりも気が長いとはとても思えませんもの」

『ふたりとも、聞こえるか? 出番が来たぜ』


 エレクトラが言うのと、壁に開いた伝声管から広天の声が聞こえてくる。


「待ってました!」


 唸るような声を上げ、獰猛な笑みを浮かべるミナ。気の長さではウォルカノの方がマシかも知れませんわね、とエレクトラは心の中で呟いた。


 フェリアが用意してくれたのだろう、ぽっかりと壁に空いた穴を通って地上へ顔を出すと、ちょうど広天がツルハシの姿のフェリアを担いでこっちへと走ってくるところだった。


「あれ頼む!」

「あれって……」


 立ちすくみ上空を見上げるミナの手をパチンと叩き、広天はそのまま通り過ぎて地面の下へと避難する。ミナの視線の先には、巨大な竜の姿があった。


 と言ってもウォルカノではない。その鱗は黒ではなく、赤。大きさも一回り小さい。伝説に謳われるような存在ではなく、ミナもその存在を知っている生き物だった。


「せ……赤竜じゃないの!?」


 ただちょっと、最強と呼ばれる魔物であるだけだ。


「A+級……ですわね」


 目を見開くミナの隣で、冷静に呟くエレクトラ。つまりそれは、A+級四人で戦って勝てるという相手である。ちなみにミナはA+級、エレクトラはB+級だ。エレクトラをA+相当で考えても、二人足りない。


「ちょっとコウ君……!」


 後ろを振り返っても広天の姿はすでに影も形もなく。勿論赤竜の方もそれを追って二人を見逃すというような事もなく。


「こ……こんなの聞いてないーっ!」


 悲痛な叫び声を上げながら、ミナは魔剣を抜き放った。

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