第25話 広天、憤りに震え、魔の打倒を誓うこと

 誰一人、言葉を発することはなかった。

 というのも、二つの意味でだ。


 その光景に、広天達は一言も発することが出来なかったし──

 その街に、言葉を発することが出来るものは、誰ひとり残っていなかった。


 ──文字通り、すべてが焼け落ちてしまっていたからだ。


「なんで……」


 服が煤で黒く染まるのも躊躇わず、フェリアは灰燼と化した地面に膝を突く。


「なんで……こんな酷いことを……!」


 掻き抱くように手のひらに掬い上げた灰は、吹き荒ぶ風にあっという間にさらわれて、彼女の瞳から涙がボロボロと溢れた。


「誰か……! いないの……?」


 張り上げようとしたミナの声は、そのあまりの空虚さに耐えきれず儚く立ち消える。誰かも何もない。木々も、道も、建物も、跡形もなく燃やし尽くされているのだ。


 一面の灰の原の中、生き残っているものなどいようはずもなかった。


「師父、あれを……」


 エレクトラが地平の彼方、山を指差す。そこには短く、「ヴィオス火山にて待つ」という文章の形に地面が炭化していた。


「果たし状ってわけか……」


 感情を見せない表情で呟き、ふと広天は足元に落ちていた銀の輝きに気づき、それを拾い上げた。


 熱で溶け、殆ど原型を留めていない。だがそれでも、元が剣であったと言うことはわかった。街ごと灰にされてもなお形を残していたそれは、ムベの研いだ剣だ。


「……くそっ……!」


 ギリ、と奥歯を噛み締め、広天は空を仰ぐ。


「……ヴィオス火山ってのはどこだ?」

「無茶よ!」


 そして静かな声で尋ねる広天に、ミナが叫んだ。


「そんなの……絶対に、罠じゃないの!」

「だろうな」


 二度も広天を仕留め損ない、黒竜ウォルカノはさぞ立腹し万全の体制で待ち受けているのだろう。


「だが行かなきゃあ、同じことが繰り返されるだけだ」

「……!」


 憂いを含んだ広天の言葉に、ミナは何も言い返すことは出来なかった。


「俺は……正直言って、今まで半分、他人事だと思っていた」


 ムベの剣。その美しい刀身を見つめながら、独り言のように広天は呟く。


「元々住んでいる世界とは別の場所。そもそも仙人にとって俗界の出来事なんてのは救っても救ってもすぐにうつろう些末なものだ」


 今まで広天は幾度となく俗界の魔王を倒し、そこに住む人々を救ってはきた。だがそれは仙人にとっては部屋の掃除をするようなものだ。必要だからすることであって、そこにある部屋の為を思ってするわけではない。ましてや部屋に感情移入することなどなかった。


「だけどな。あいつらは僅かな時間とは言え、俺の弟子だったんだ。師とは親。弟子とは子。……子を殺されて、黙っている親などいない」


 人の死に触れることなど、何十年ぶりのことだろうか。かつては身近であったはずの自明のその理を、広天は今まですっかり忘れていた。


 人は、死ぬということを。


「勝算はありますの?」

「いいや。多分無理だ」


 冷静に問いかけるエレクトラに、広天は首を横に振った。


「……俺一人じゃあな。だから、頼む」


 そしてエレクトラとミナに向き直り、


「お前達の力を貸してくれ」


 深く、頭を下げた。


「師父に頭を下げられては、仕方ありませんわね。弟子は師に従うものですから」


 くすりと微笑み、エレクトラ。


「……まあ、放っておくわけにも行かないか。この子の恩もあるしね」


 深々とため息をつき、背に負った剣をちらりと見つめ、ミナ。


「マスター」


 そしてフェリアは広天の手を両手で包み込むように握って、ふわりと笑った。


「わたしはマスターの剣。魔を討ち邪を払う聖剣です。いかようにもお使い下さい」


 広天の表情が僅かに曇るのを、ミナは見逃さなかった。彼はフェリアを、戦わせたくないのだ。

 人の死を悼み、涙を流す彼女は、武器にはまったく向いていない。


「……ああ」


 だが事実として、フェリアの力は必要で。


「頼りにしてる」


 広天は己の力不足を強く悔やみながら、頷くことしか出来なかった。



 * * *



「……これはまた、壮観ですわね」


 まるで太陽が落ちてきたようだ、とエレクトラは感想を抱いた。


「師父、随分恨みを買っておいでのようですね」

「そのようだな」


 あるいは、巨大なキャンプファイヤーか。

 眼前にそびえ立つ山の至るところにぼうぼうと炎が燃えて、赤く染まっていた。


 と言っても山火事ではない。そもそもヴィオス火山は岩山で、殆ど植物は生えていなかった。


 では何が燃えているのかと言えば、それは無数の魔物たちだ。炎を纏ったトカゲだの、ウシだの、鳥だのと言った魔物たちが群れをなし、火山の至るところを埋め尽くしているのであった。


「どうしましょうね……流石にあれだけの数を倒すとなると一筋縄じゃいかないわよ」


 一匹一匹は大した相手ではない。十匹や二十匹であれば相手にする自信もあるミナであったが、千匹、万匹となると話が変わってくる。


「地面から近づくのも難しそうですね……」


 失黄鏡シツオウキョウをかけ、地面の様子を伺いながらフェリアが呟く。火山の内部は至るところに細かく溶岩の脈が広がっていて、下手に掘り広げれば吹き出しかねない。それに無数の魔物たちが放つ光が邪魔で、ウォルカノの姿を確認することも難しそうだった。


「ウォルカノ本体に近づければ、どうにかなるんだがな……」

「そうなんですか?」


 困ったように顎を撫で擦る広天に、フェリアは首を傾げる。


「おう。その為にこいつを作ったんだからな」


 そういって彼がぽんと叩いてみせたのは、先日作ったばかりの宝貝であった。


「……そんなもので、本当にウォルカノを倒せるの?」

「ああ。倒せる」


 半信半疑といった様子で尋ねるミナに、広天は自信満々に頷いた。倒すと言うからにはそれは武器であるはずだったが、広天の腰にぶら下がっているのは、刃もついてなければ矢弾を飛ばす弦もない、奇妙な形の筒だった。


 材料は、大量の水と、ゴーレムの残骸……つまりは大量の土。そして、「墜ちたる都市」で手に入れた山彦の笛だ。ミナにはとてもあの強大な黒竜を倒せそうな物とは思えなかったが、広天が出来るというのなら出来るのだろう、と納得する。


「その武器であの魔物の群れをどうにかするというわけにはまいりませんの?」

「ああ、それは無理なんだ」

「多数の相手には効かない……もしくは、使用回数に制限があるとか、ウォルカノにしか有効ではない……というようなものなのでしょうか」


 独り言のように呟くエレクトラに、広天はおやという顔をした。


「凄いな、お前さん。正解だ」

「どれがですの?」

「全部さ」


 あっさりとそう答えられ、今度はエレクトラが驚く番であった。


「それはなんとも……極めて限定的な武器ですのね?」

「おうさ。しかもついでに言えばこれが有効なのは最初の一度っきりだ」

「なるほど」


 魔道具というのは基本的にその効力を恒久的に発揮するものだが、時に何度か使っただけで力を失ってしまう使い捨ての品が見つかることがある。そういった魔道具は、希少性に比べ高い威力を持つ。広天が作ったのもその手の道具なのだろう、とエレクトラは理解した。


「わたしが敵を引きつけるというのはどうでしょうか」


 真面目な顔つきで、フェリアがそう提案する。


「わたしは生半可な攻撃では傷つきません。わたしが囮になり、その間にマスターたちがウォルカノを目指すというのは」

「それは……」


 反射的に「駄目でしょ」と叫びかけて、ミナは口をつぐんだ。フェリアの頑丈さは先のゴーレムとの戦いで実証されている。確かにその作戦は、実行可能かどうかで言えば可能であった。


「魔王とその配下は聖剣でしか討てないんじゃなかったのか?」

「はい。わたしはそう思っていました。ですが、マスターが打ち直したその方であれば、少なくともウォルカノを斬ることは出来ました」


 ミナの背負う嵐の魔剣に目を向けて、フェリアは答える。


「なら……世界を救うためなら、わたし自身が戦うことには拘りません」


 あれほど聖剣としての務めを果たすことに拘り、他の剣への嫉妬を露わにしていたフェリアが、そう、はっきりと口にした。彼女にとっても、ムベ達の死と滅んだ街の光景は、小さなものではなかったのだ。


「悪くない案だが、囮になるったって敵はあの量だ。限度がある。だがおかげでそれよりもっと、いい方法を思いついた」


 くしゃりとフェリアの髪を撫で、広天は笑みを浮かべる。


「いい方法……ですか?」

「ああ。まずは……」


 乱れる髪を庇うようにしながら問い返すフェリアに、広天は辺りをぐるりと見回し、言った。


「とりあえず、この辺に家を作るか」

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