第24話 広天、弟子の成長を認め、言祝ぐこと

「ふーむ……」

「……いかがでしょうか、師父」


 研ぎ終わった剣を矯めつ眇めつ眺める広天に、ムベはごくりと息を呑む。


「ま、一端にはなったんじゃねえか。八十点ってとこだな」

「おお……!」

「すげえ!」

「やりましたね、ムベさん!」


 初めて耳にする広天の褒め言葉に、元物取りの男たちはどよめく。


「師父……」


 しかし当のムベは真剣な面持ちを崩さぬまま、広天に問うた。


「それは、何点満点ですか」

「馬鹿野郎」


 広天は嬉しそうにニヤリと笑って、これに答えた。


「職人の道に満点なんざあるか。日々是精進だよ」

「──はいっ!」


 ムベはぐっと口を引き結んで、深々と頭を下げる。


「とはいえ、だ」


 しゃりん、と鈴のような美しい音を立てて広天は剣を鞘に収め、男たちを見回す。


「このくらいの仕事が出来れば、剣に恥じることはないだろう。今まで俺のシゴキによく耐えた。これで修行はおしまいだ」


 その言葉に、ムベたちは喜ぶどころかむしろ血相を変えた。


「そんな! 師父、俺たちにはまだまだ師父が必要です!」

「どうか見捨てないでくだせえ!」

「お願いです、師父!」

「ええい、大の男が鬱陶しいわ!」


 すがりついてくる男たちを広天は振り払う。


「いいか。研ぎについて、お前たちに教えられることは全て教えた。いくら俺が宝貝作りの達人だろうと、お前たちの腕をすぐさま一流にしてやれるような術はない! 後は日々の研鑽あるのみだ。それともまさか、わざわざ俺に毎日お前たちのお守りをしろって言うのか?」


 広天の言葉に、ムベはうっと呻いた。


「俺の教えを忘れず、毎日腕を磨け。この道を進むにはそれしかない。良いか、人間の腕はほんの少し手入れを怠れば、銀よりもすぐさま錆びつくぞ」

「……はいっ!」


 その言葉を噛みしめるように返事をするムベの前に、広天は革袋を置く。


「師父、これは……?」

「お前たちが今まで研ぎで稼いだ金だ」


 研ぎの練習には、自分たちの剣を使っていたわけではない。研げば剣はそれだけすり減る。傷んでもいない剣を砥ぐわけにはいかないが、かといって実際に研いでみなければ技術など身につくものでもない。


 ではどうしたか。広天は、武器屋で安物の剣をありったけ買ってきたのである。そしてそれをムベたちに研がせ、改めて武器屋に売った。


 始めのうちは赤字続きであった。そもそも武器屋は利益を出さねばならないのだから、売値と同じ値段で仕入れるわけにはいかない。相当に質の良い物でなければ武器屋とて売ったときより高く買うはずもない。


 だがムベたちの腕が成長するに従って、徐々に買値は高くなっていった。そしてついに売値を超えたとき、武器屋は広天に商売を持ちかけたのである。武器を売り買いするのではなく、研ぎの仕事をだ。


 広天がムベに渡したのは、そうして儲けた金額であった。つまり彼らは剣を持って戦わずとも、研屋を営むことで暮らしていけるということだった。


「い、頂けません! 師父にこれだけお世話になっておいて、その上金だなんて……」

「勘違いするな。これは別に俺がお前たちにくれてやるわけじゃねえ」


 ぐいと金袋をムベに押し付け、広天。


「お前たちが今まで研いできた剣。それが、綺麗にしてくれた礼としてお前たちにくれた金だ。俺が受け取れる道理があるか?」

「あ……あぁ……」


 ムベは大きく目を見開き、手の中の袋を見つめた。

 けっして大きな金額ではない。今まで彼らが人を脅して掠め取ってきた金に比べれば、小遣い程度にしかならない額だ。しかしそれは、今まで彼が手にしたどの金貨よりも重く感じられた。


「忘れるな。お前が道具を裏切ることはあっても、道具がお前を裏切ることは決してない。よく手入れした道具はどんな時も絶対に、お前を助けてくれるということを」

「ご指導の程……拝謝申し上げます」


 ムベは跪き、左手を右手で包んで高く掲げた。広天が教えた、深い感謝を表す礼である。


「おめでとうございます、ムベ様」

「レ……レイナさん!? どうしてここに!?」


 出し抜けに聞こえてきた涼やかな声に、ムベのみならずその場にいた全員が後ろを振り向いた。そこに立っていたのはいかにもお嬢様然とした気品を持つ、長い黒髪の美女であった。


「ムベ様が修行の成果をお師匠様に見せるとお聞きして、見守っておりましたの」

「誰だ、あれ?」


 にっこりと笑う女性を指差して、広天はムベの部下にひっそりと聞いた。


「俺達が助けた商人の娘さんでさぁ」

「ムベの兄貴といい仲でしてね」

「実は結婚の話も上がってたんですが、修行があるからって断ってたんですよ」

「お、お前ら師父に余計なこと言うんじゃねえよ!」


 口々に答える男たちに、ムベは顔を真っ赤にして怒鳴る。


「あら、じゃあこれで結婚できるじゃない。おめでとう!」

「素晴らしいですわね! ところで馴れ初めなどもっと詳しくお聞きしても?」

「おめでとうございます、ムベさん!」


 突然降って湧いた色恋沙汰に、ミナ、エレクトラ、フェリアが祝福の言葉を投げかける。


「い、いや、でも……いいんですかい、師父? 俺みてえな半端者が……その……」


 ムベの瞳は迷いに揺れていた。結婚や相手自体に不満があるわけではないのだろう。

 だがその後ろ暗い過去に気後れしているのだ。


「ま、いいんじゃねえか。打ち直し、研いだ刀が昔どうだったかなんて今の剣には関係ねえ話だ。今のお前は……」


 そこで広天は一瞬だけ言いよどみ、視線をそらして。


「──立派な、自慢の俺の弟子さ」


 気恥ずかしそうに、そう言った。


「師父ーっ!」

「だ、だから鬱陶しいって言ってんだろ!」


 感極まって抱きつきに来たむくつけき男に、広天は叫ぶのであった。



 * * *



「素敵だったわねえ、ムベ君の結婚式」

「ええ。わたくしもいつかあんな式を挙げたいものですわ」

「お料理、とっても美味しかったです~」


 それから一月ほど後のこと。ムベとレイナの結婚を祝った広天たちは、次の遺跡へと向かうべく街をあとにしていた。


「まあ、あいつのあの幸せそうな顔を見たら、結婚ってのも悪くないかも知れんとは思ったなあ」


 ぽつりと呟く広天に、ミナの頭の上についた耳がピクリと動いた。


「そ、その……コウ君ってさ。あの……百何十年も生きてるんだよね」

「おう。それがどうした?」


 突然そんな事を尋ねるミナに、広天は不思議そうに問い返す。


「いや、その、ちょっと気になることが……」

「そんなに生きてきて、師父は元の世界にいい方はいませんでしたの?」


 もじもじと言い淀むミナを置いて、エレクトラはすぱりと聞いた。


「いねえな。そもそも仙人ってのは欲を断ってなるものだ。妻子に未練を残したままじゃあ昇仙はできねえし、仙人になってからもそういった欲求を持つことは禁じられている」

「えっ……」


 広天の告げた衝撃的な事実に、ミナは喜んでいいものか絶望していいものか迷う。広天にそういう相手がいなかったことは喜ばしいことだが、同時に今後も望みがないということなのではないか。


「ですが師父。わたくし、師父に欲求がないようにはとても見えませんわ。より良い宝貝を作りたいというのは欲望ではございませんの?」

「いい所に気づいたな」


 エレクトラの問いに、広天は頷き答える。


「仙人に取って禁忌となる欲求は三つ。食欲、色欲、金銭欲だ。これに囚われ溺れたものは、仙人としての能力を剥奪されると言われている」

「ですが師父は金銭を得るためにムベさんの研いだ剣を売っておりましたし、お食事もお摂りになりますわね。欲求そのものがないわけではなく、節度を保った範囲であれば問題ないということでしょうか」

「うむ、そういうことだな。俺は別に作った宝貝を売って儲けたいと思っているわけでもなければ、それを使って女色や飽食に溺れたいというわけでもない。だから好き放題宝貝を作っても全く何の問題もないのだ!」


 呵呵と笑いながら両腕を広げ、広天。


「ちなみに──例えばですが、気の合う女性を妻として娶り、通常の夫婦生活を送る程度であれば、禁欲の範疇に入るのでしょうか?」

「ふむ……確か妻を持つ仙人もいたはずだから、そのくらいなら問題ないのではないか?」


 気にしたこともなかった、というのが広天の正直なところだった。


「なるほど……全く望みがないというわけではなさそうですわね、ミナ様?」

「なんであたしに振るの!?」


 顔を赤くして叫ぶミナに、エレクトラは目を瞬かせた。


「え……隠しているつもりでしたの?」

「何のお話ですか?」


 愕然とする彼女に、話についていけていないフェリアが首を傾げる。


「それはもちろん、ミナ様が師父のことを──」

「待て。どういうことだ」


 エレクトラの言葉を遮って、広天が険しい表情を浮かべる。


「じょ、冗談! 冗談だから! エリーちゃんが言ってるのは──」


 ぶんぶんと両腕を振り、慌てて弁明するミナ。


 しかし広天の目は、彼女のことを全く見ていなかった。


「どうしましたの?」


 その視線を追ってエレクトラは振り返り、フェリアとミナも遅れて後方を見やる。


「嘘……なんで……」


 その方向にあったのは、今朝出てきたばかりの街。ムベたちが結婚式を挙げ、住み始めた新居のある場所。


 そして。そこから天を焦がすような勢いで立ち上る、巨大な炎の柱だった。

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