第19話 フェリア、襲撃に遭い、この上なくフィットすること

「……静かね……」


 小さく呟くミナの声は想像以上に辺りに響いたので、フェリアは無言でこくりと頷いた。


 神殿と思しき場所を進み始めて、どれほど経っただろうか。慎重に進む二人の警戒とは裏腹に、ここまで魔物はおろか罠の一つにも遭遇していなかった。


 ミナの経験上、このような何も起こらない遺跡は二種類に分けられる。


 一つは、既に他の冒険者によって探索しつくされた、枯れた遺跡。


 そしてもう一つは──


「あっ、ミナさん、あそこに箱がありますよ!」

「待って、フェリアちゃん!」


 奥に安置された、きらびやかな装飾が施された宝箱。

 ようやく見つけたそれに向かって駆け出すフェリアを、ミナは慌てて制止した。


「なんです──」


 フェリアが足を止め、くるりと振り返って尋ねる。


 その瞬間、天井から落ちてきた巨大な岩が、彼女を押しつぶした。


「フェ……フェリアちゃんっ!」


 目の前で起きた惨劇に、ミナは悲鳴のような声で彼女の名を呼ぶ。


 何も起こらない遺跡のもう一つは。

 油断した探索者を即死させるような、凶悪な罠か魔物。もしくは、その両方が潜んでいる場合だ。


 フェリアを潰した岩が、降ってきた時とは正反対のゆっくりとした速度で上がっていく。そして、その跡には、無残にも──


「び……びっくりしました……」


 無残にも傷一つ負っていない、フェリアの姿があった。


「本当に頑丈ねあなた!?」


 大岩は完全に床までピッタリ下りていた。ということは、岩の方がフェリアの形に抉れたということである。フェリアの方は倒れるどころか、膝すら突いていない。ただ身体の作りが頑丈と言うだけでなく、存在そのものが呆れるほどに強靭なのだ。


「でも、こっちに来なさい!」


 すらりと魔剣を抜きながら、ミナは叫ぶ。


 こういった場所に潜んでいるのは、凶悪な罠か魔物。


土人形ゴーレムよ!」


 しかし目の前にあったのは、その両方を兼ねた存在だった。フェリアの上に降ってきたのは大岩ではない。巨大なゴーレムの、拳だ。


嵐の魔剣ケイモンフェレー!」


 風が渦巻き、ミナはそれに乗って高速で移動する。直後、彼女がそれまでいた場所を、ゴーレムの太い脚が踏み潰した。


「呆れた大きさね……!」


 直前までその存在に気づかなかったのは、その余りの巨大さ故だ。通常のゴーレムは大きいものでもせいぜいが三メートル程度のところ、目の前に立ちはだかるゴーレムは明らかに十メートルを超えていた。


 これほど大きいとその全貌を把握するのも難しく、どこから攻撃が降ってくるかわからない。フェリアはともかく、ミナは一撃まともに当たれば無事では済まないだろう。


「喰らいなさいっ!」


 嵐の魔剣が、ゴーレムの脚をまるで紙のようにやすやすと切り裂く。しかしゴーレムがあまりにも巨大であるため、一撃で切り落とすには刀身の長さが足りなかった。


「もう、一撃……っ!」


 弧を描くような動きで風に乗りながらゴーレムの蹴りをかわし、ミナは先程切りつけた側の裏から斬撃を見舞う。たとえ切り落とすことがかなわずとも、これだけの巨体だ。切り傷を幾つか入れてやれば、支えきれずに崩れるだろう。


「ミナさん! ゴーレムの傷が、塞がっています!」

「な……! 嘘でしょ!?」


 そんなミナの目論見は、フェリアの叫び声によって外れていると知らされた。


 魔術によって作られた生命なき人形であり、土の塊に過ぎないはずのゴーレムの傷口が、まるで生き物のそれのように塞がっている。


 それは経験豊富なミナをして、驚愕せしめる光景であった。


「ミナさん、危ないっ!」


 驚きにミナが動きを止めたのは、ほんの一瞬。しかしその一瞬で、ゴーレムは彼女に向かって拳を振り下ろしていた。あまりに巨大なせいで緩慢に見えるその動作は、しかし眼前に迫ってみれば風よりも早い。


 ──避けきれない。そう判断したミナは、身体を庇うように魔剣を盾にしようとして、一瞬のうちの更に刹那、逡巡する。


 相棒を、二度に渡って折ってしまっていいのか。以前であれば頭に浮かべることすらなかったであろうそんな疑問が、頭を掠めたのだ。


 そしてその刹那の間に、ゴーレムの拳はミナの身体を捉え──


 その間に間一髪で、フェリアが入り込んだ。彼女はミナの身体をぎゅっと抱きとめながら背中にゴーレムの一撃を喰らい、跳ね飛ばされて地面を数回バウンドし、壁に叩きつけられる。


「ご無事ですか!?」


 そしてうめき声一つあげずに、腕の中のミナにそう尋ねた。


「う、うん……あり、がとう……」


 地面に叩きつけられるときも、壁に激突するときも、フェリアはミナの身体を完璧に庇っていた。おかげで多少身体が痛む程度で、怪我らしい怪我は全くない。


「……フェリアちゃんって、柔らかいのね」


 そしてふんわりと己を抱きとめる彼女の身体の感触に、ミナは思わずそう呟いた。ゴーレムの拳の直撃を受けてびくともしない肉体なのだから、どれほどの硬度を備えているものかと思っていたが、フェリアの身体の柔らかさは鍛えてすらいない年頃の少女のそれだ。


 フェリアの外見がエレクトラくらいだったら頭を怪我していたかも知れない、などと益体もないことを考えてしまうほどに、フェリアは柔らかな肢体を備えていた。


「大丈夫です。ミナさんは、わたしがお守りします」


 そんな身体で、フェリアははっきりと言った。


 頭では、ミナもわかっている。どんなに人に見えても、彼女は道具なのだ。人の尺度で考えてはいけない。彼女を盾に、あるいは囮にして戦うのがこの場の最適解だ。


 どんなに、普通の少女にしか見えなくても。

 その身体の柔らかさが、その肌の温もりが、人間そのものであったとしても。


 フェリアは、魔王を討つ為に作られた聖剣であり、人知を超えた宝貝なのだ。


 しかしそれでも、ミナには彼女を道具扱いすることがどうしてもできなかった。

 そればかりか、今まで何も考えずに使ってきた相棒たる嵐の魔剣すら、その扱いに疑問を抱く始末である。


 フェリアを人のように扱うことは、本当に間違っているのか。

 嵐の魔剣を道具として扱うことは、本当に正しいのか。


 そんなことを考えている場合ではない。なのに、なぜかそれが引っかかって仕方なかった。


「フェリアちゃん、こいつもやっぱり掘れないの!?」

「人工物は金行なので無理ですう!」


 明らかに土で出来ているのに、土ではなく金とはどういうことなのか。ミナはそう思ったが、この場にいない者に対して毒づいても仕方ない。


「どこかに核があるはずなの! 探して!」


 無敵の存在などいない。完璧に思えるゴーレムの再生能力にも、限界があるはずだった。一番わかりやすいのは、どこかにゴーレムを作った魔術師が隠れていて、修復しているという可能性だ。


 しかし人気のない未踏破地域でその可能性は極めて低いだろう。であれば、その機能を代替している何らかの魔道具がゴーレムの中に埋め込まれていると考えるべきだ。


「探して、と言われましても……」


 フェリアは困惑した表情で、ゴーレムを見上げる。あまりにも巨大な、その土塊。そのどこかに核となるものが埋め込まれているとして、それを見つけられるのか。見つけたとして、刃を届かせることができるのか。


 悩むフェリアに、再びゴーレムの拳が振り下ろされた。


「フェリアちゃん……!」


 ダメージはないとは言え、いたいけな少女が叩き潰される姿というのは何度見ても慣れるというものではない。


 そして持ち上がった拳の下に、フェリアの姿はなかった。


「フェリアちゃん……!?」

「こ……ここ、です……」


 くぐもった弱々しい声は、上方から。


 反射的に見上げるミナの目に映ったのは、ゴーレムの拳の中にめり込み、足をばたばたさせているフェリアの姿だった。


「フェリアちゃーん!?」

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