第18話 エレクトラ、魔術について説明し、師の未来を危惧すること

「それにしてもこの都市はそもそも、何故空から落ちたのかしら」

「すみません、わたしもそこまでは……おそらく、落ちたのは眠っている間でしたので」


 下水道跡を歩きながら、ふとミナが浮かべた疑問に、フェリアは申し訳無さそうに答えた。


「眠ってる?」

「わたしは魔王を討つと、力を使い果たし眠りにつくのです。そして魔王が復活するとともに目覚め、わたしを扱える勇者様が現れるのを待ち、再び魔王を討ちます」


 大変な人生だな、と思いかけて、ミナは思い直す。人と同じ尺度で考えてはいけないとさっき気づいたばかりだ。

 けれど食事や散歩を楽しんでいる辺り、フェリアにとってもそれは大変な仕事だったのかも知れない。


「魔王って、結局の所なんなの?」

「すみません、それも……わたしにもよくわからないのです」


 魔王について、知られていることは極めて少ない。ただ数百年に一度現れて災厄をもたらしては、勇者と呼ばれる聖剣の使い手に討たれる。それを何度も繰り返しているとエルフの古老たちは語り、歴史書にもそう記されている。


 一体どんな姿をしているのか、どんな力を持っているのか、同じ個体が蘇っているのか、それともそのような力を持った存在が何度も現れているのか。それすらわからないのだ。


「ですがわたしは……かの魔王を討てる唯一の存在。絶対に倒さなければならないのです」


 ぎゅっと胸の前で手を握り、フェリア。今まで何度か聞いたその言葉に、ミナはなぜか違和感を抱いた。


「ミナさん! あれを見て下さい」


 その違和感が形を結ぶより早く、彼女の思考はフェリアの声によって中断された。


「周りの雰囲気が変わってます」


 彼女が指し示す先をランタンで照らしてみると、確かに周囲の様子は一変していた。


「これは……神殿か何かかしら」


 今まで歩いてきた道は、簡素なレンガで覆われたシンプルな地下道であった。ところがランタンで照らした壁は白いモルタルのようなもので覆われていて、細かな装飾が幾つも施され、殆ど崩れた様子も見られなかった。


「どっちにせよ……いいものがありそうね」

「はい!」


 ミナの経験上、こういった場所にはたいてい何か重要な魔道具が隠されているものだ。ましてやこの地下道は今まで発見されていない未踏破地域である。希少度の高い物が見つかる可能性は高い。


 ただし──


「その分危険もあると思うから、慎重に行きましょう」


 それは侵入者に対する脅威もまた、残っているということであった。


「わかりました!」


 きりりと表情を引き締めフェリアは返事をし、そのままミナの前を先導しはじめる。


「今……」


 慎重にいきましょうと言ったばかりでしょう、と言いかけて、ミナは口をつぐんだ。


「どうしましたか?」

「……いいえ」


 フェリアは、極めて頑強な肉体を持っている。ミナを庇いながら三階層分を落下し、瓦礫に押しつぶされてなお傷一つ付かないような。人の姿でもツルハシと同じ強度を持っているというのなら、炎や毒、酸といったものに対してもほぼ完璧な耐性を持っていると言っていいだろう。


 ならば、彼女が先頭を進むのは正しい。全く戦いの心得がないとしても、経験豊富なミナよりも前衛としては優秀なのだ。それはまさしく、慎重な行動の結果であると言えた。


 つまりフェリアは、ミナにとってさえ守るべき対象ではない。

 頼るべき仲間であり──


 何よりも優秀な、道具なのだ。


「前衛、よろしくお願いね、フェリアちゃん」

「はい、お任せ下さい!」


 それこそが、『彼女を信頼する』ということなのだ。

 広天が言っていたことを、ミナは遅まきながら理解し始めていた。






「やはり、便利だよなあ。その魔術とかいう奴」


 まるで鳥の羽毛のような速さでふわりと地面に降り立って、広天はしみじみとそう口にした。


 傍らではエレクトラが呼び出した光の玉が辺りを煌々と照らしていて、太陽の光など全く届かない地下だと言うのにまるで昼間のような景色だ。松明やランタンの明かりはかえって光の届かない場所の闇を深くしてしまうものだが、そのようなこともない。


「ええ。ミナ様ほどの実力者でも、魔術師を欲した理由がおわかりになるでしょう?」


 こと戦闘という話になれば、ミナが苦労することは殆どない。広天の手によって鍛え直された魔剣はどれほど強固な鱗でも切り裂き、素早い敵でも嵐の風が押さえつけ、精霊や悪霊のような実体のない存在ですら、高レベルの魔剣は苦もなく両断する。


 だがしかし、それ以外の探索行となると話は別だ。高い壁面を登ることも、深い水底を進むことも、魔術で施錠された鍵を開けることもできない。


「ああ。実際大したもんだよ」


 魔術というのは知れば知るほど、仙術に似ている。出力としては些か──どころか、かなり見劣りするものだと思ったが、流石にそれは口にしなかった。


 例えば今使ってもらったばかりの、「落ちる速度を緩和する魔術」などというものは、仙術にはまったくなかった発想だ。


 そんな事をするくらいなら、仙人は空中を自由自在に移動できるような術を使う。


 試しに聞いてみれば空を飛ぶ魔術は存在するものの、消耗が激しい上に効果を及ぼす時間も短いのだという。一事が万事その調子で、低い出力や効率を補うための工夫が魔術には無数に存在するようだった。


 しかしそれは広天の目にとってはかえって好ましく映る。宝貝作りというのも、そのような制限と限界の中で工夫を凝らすものだからだ。


「やっぱり、俺は魔術を使えないのか?」

「……正確に申しませば、使えないというわけではないのですが……」


 広天の隣を歩きながら、エレクトラは言いにくそうに答えた。


「魔術を用いるには、必ず魔力という、人に内在する力を消費する必要があるのです。けれど、その……師父の身体には、その魔力が全く存在しませんの」


 異世界人であるからか、それとも広天特有の問題なのか。

 それはわからないが、彼の体内には誰にでも多少はあるはずの魔力が、微塵も存在しなかった。


 少ない、とか、殆どない、ではない。皆無である。これにはエレクトラも驚いたが、異世界人であるという話を多少なりとも納得する理由になった。


「普通……と申しますか、わたくしにとってはごく当たり前の道理として、生き物は必ず多かれ少なかれ魔力を持っていますの。人に限らず、獣や魔物、果ては虫や植物ですら、ほんの少しくらいは持っているものなのですわ」


 理屈の上では、別に魔力を全く持っていなくても生命の維持は可能だと言われている。だが魔力を全く持たない生き物という存在を、エレクトラは初めて見た。


「俺の魔力はそこらに生えてるぺんぺん草以下というわけか……」

「というか、魔道具ですらなくとも、ある程度齢経た器物は魔力を帯びますので、古いお茶碗以下ということになりますわね」


 言いにくそうに、しかし言いにくいことをスパリと口にするエレクトラ。理論上は、新品の道具でも検出できない程度の魔力は帯びているはずなので、下手をすると広天はこの世で最も魔力を持っていない存在、ということになるのかも知れなかった。


「その魔力ってぇのは、増やすことはできないのかい?」

「勿論、できますわ。魔術師の研鑽というのは魔力の増強が基本中の基本と言われる程ですもの。ですが……」


 流石に言いよどんで、エレクトラは広天の表情をちらりと伺った。


「魔力を増やすには、魔術を使う必要があるのですわ……」


 筋力を増やすには筋肉を使うのと全く同じ原理だ。魔力を増やすには、魔力を一旦消費すれば良い。繰り返し消費するうちに、魔力は少しずつ増えていく。


 しかし、魔力を全く持たない広天には、もっとも初歩的な魔術すら使えない。つまり、事実上魔力を増やす手段がまったくないということであった。


「なあんだ、そんなことなのか」


 だが広天はあっけらかんとそう答えた。


「……ショックではありませんの? 師父には、あれほど覚えたがっていた魔術を使うことができないということですのよ」

「何でだ? 魔術を使えば魔力ってのが増えて、魔術を使えるようになるんだろ?」


 わかっているのかいないのか、広天は一息で矛盾した言葉を口にする。


「だったらまず、魔術を使えるようになる宝貝を作りゃあいいんだ」


 しかしその後に続いたのは、エレクトラにとって晴天の霹靂であった。


「そんな、方法が……!?」


 使用者に魔術のような力を与える魔道具は枚挙にいとまがない。ミナの持つ嵐の魔剣や、今探している有翼のサンダルタラリアもその一種だ。


 しかしそう言った魔道具は、道具自体に内在する魔力を用いて特定の効果を発動するものでしかない。だから魔力に乏しい獣人のミナでも嵐の魔剣の強大な力を引き出すことができるし、魔術師としての素養も不要である。


 だが、魔力だけを補い、術自体は使用者本人が制御する魔道具、などというものがもし作れるとするのならば、それは革命であった。


 何より──魔術師たちがその人生の大半を割いている、魔力の増強をする必要がなくなる。それはすなわち、駆け出しの魔術師が熟練の魔術師とそう変わらない力を手に入れるということでもあった。


 いくら広天とてそう簡単にそんなものは作れないだろう。だがしかし同時に、彼ならいつかは作ってしまうのではないか、とも思った。


 勿論、魔術師の力量というものはただ魔力量の多寡だけで決まるものではない。魔術自体の制御技術や、どれほどの魔術を知っているか。知っている中から局面に応じてどんな魔術を選ぶかといった能力も、技量のうちである。


 しかしそれでも、広天がその魔道具を作り上げ──そしてそれが普及すれば、魔術師たちが今築いている社会は根本から崩壊するだろう。


 エレクトラはその未来を克明に思い浮かべて、その小さな身体を震わせた。

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