第13話 広天、決着をつけ、押しかけられること

 ふわふわと空を飛ぶような、不思議な感覚があった。


「ん……う……?」

「おい、大丈夫か?」


 どこか懐かしい、心地よい感覚。


「後五分……ですの……」

「寝ぼけてんのか?」


 ゆらゆらと身体を揺さぶられるが、その揺さぶりは酷く優しいもので。


「お父様……?」

「誰がお父様だ」


 呆れたようなその声にエレクトラがまぶたを開くと、すぐ目の前に広天の顔があった。


「ひやぁ!?」

「おい、馬鹿、暴れるな!」


 突然水揚げされた魚のように暴れだすエレクトラを、広天は咄嗟にぎゅっと抱きしめる。


「なななな、何で、あなた」


 エレクトラは、気づけば広天に横抱きにされていた。


「流石にこの高さから落ちたら死ぬぞ」

「ひっ!」


 思わず下を見て、その光景にエレクトラは恐れ慄き広天にしがみつく。

 そこは十メートルほどの高さであった。広天はまるで塔のように高く迫り上がった地面の上に立ち、エレクトラを抱きかかえている。


「ど、どうして……」

「すまん、ちょっとやりすぎた」


 無論、黒竜の炎はエレクトラに直撃させないよう狙いを外したのだが、彼女が使った防御魔術が水の壁だったのが災いした。ウォルカノの炎によって一瞬にして気化した水の壁は、猛烈な勢いで水蒸気となってすぐそばにいたエレクトラを吹き飛ばしたのだ。いわゆる、水蒸気爆発である。


 高々と跳ね飛ばされたエレクトラは、そのまま地面に叩きつけられれば勿論のこと、仮に下で受け止めたとしても衝撃を殺しきれずに死んでしまうだろう。故に広天はフェリアを使って土の塔を作り上げ、エレクトラが飛びきって静止した瞬間に抱きとめたのだ。


「よし。フェリア、おろしてくれ。ゆっくりとな」

「はい、マスター」


 広天の道服の袂に入ったフェリアが答えるとともに、盛り上がった地面がゆっくりと下がっていく。


「立てるか?」

「え、あ、はい……」


 地上へと戻ったところで広天はエレクトラに問いかけると、頷く彼女をそっと地面に立たせた。


「お疲れ様、コウ君」

「おう、こいつ、ありがとな」


 労うミナに対し、広天は嵐の魔剣を手渡す。決闘に際し、彼女から借り受けていたものだ。


「……ちょっと悔しいな」

「あん?」


 魔剣を受け取りながら、ミナはぽつりと呟いた。


「コウ君、あたしよりこの子をうまく使いこなすんだもん」


 ミナには嵐の魔剣の魔力を開放しても、嵐を巻き起こすことしか出来ない。広天のように狙って雨水だけを作り出したり、風だけを吹かせるような精密な制御はとてもではないが不可能だった。


「何馬鹿なこと言ってんだ」


 しかしそんなミナを、広天は一笑に付す。


「扇や如雨露ならいざ知らず、こいつは剣だぜ。お前以上にうまく使える奴なんているもんか。こいつだって、ミナに使ってもらった方が嬉しいって言ってるよ」

「……わかるの?」

「そりゃわかるさ」


 剣は剣である以上、敵を切ることがその本分だ。広天のような使い方ばかりしていればへそを曲げるだろう。


「勝負は、コウ君の勝ちって事で良いわよね?」

「ええ。勿論ですわ」


 ミナが尋ねると、エレクトラはこくりと頷いた。


「いやにあっさりと認めるじゃねえか」

「全ての攻撃を防がれ、全力の防御を貫かれ、挙句の果てに気絶した所を助けて頂いたのですわ。完敗と認める他ありませんわ」


 さっぱりとした表情で、彼女は答える。


「コウ様。今までの失礼な言動、心からお詫び致しますわ」

「お、おう……」


 それどころか深々と頭を下げるエレクトラに、打ちどころが悪かったんだろうか、と広天は本気で心配した。


「それにしてもコウ君、あんなに強かったのね。お姉さんびっくりしちゃったわ」


 ミナが広天に抱いた違和感。それは彼の戦いを見て氷解していた。


 魔術も武術もできないと聞いて、ミナは無意識に広天は戦い自体できないと思いこんでいたのだ。だから、戦いに際して落ち着き払った態度が違和感として表れていた。


 けれど実際に戦いを見てみれば、彼は恐ろしく戦い慣れしていた。余裕ある態度はただマイペースな性格をしているのではなく、実力に裏打ちされたものだったのだ。


「別に俺は強くはないさ。道具が良かっただけだ」

「はい。わたし、マスターのこと、信じておりました」


 嬉しそうに、フェリアが笑う。広天が信じているのは己の実力ではない。フェリアと嵐の魔剣。振るう道具の性能だった。


「後は慣れだな。妖怪……こっちでいう魔物みたいなのとはよく戦ってたからな」

「魔術も武術も使えないのに?」

「代わりに宝貝があったからな。誰が使ったって強いのが宝貝だ」


 広天はそう言うが、ミナに同じ戦い方ができるとはとても思えなかった。


 判断がとにかく早く、かつ的確なのだ。


 魔術師の攻撃方法は、剣士のそれよりも遥かに多岐にわたる。しかも広天はどんな魔術がこの世にあるかさえ知らないのだ。その状況で、相手の使う魔術がどのようなものであるかを見極め、瞬時に有効な防御手段を取る。それはとても『道具が良いから』できるような事ではない。


「師匠に弟子入りしてから四十年。週三でやってりゃこのくらいにはなる」

「よ……四十年!?」


 ミナとエレクトラは絶句した。人間は勿論のこと、エルフでさえそれだけの長い期間戦い続ける者などそうはいない。そんな事をすれば、高い確率で肉体を損なうからだ。老いを知らないエルフと言えども深い怪我を負えば傷は残るし、身体も弱っていく。


「……それでは、コウ様より弱いわたくしが護衛の任を引き受けるわけにはいきませんわね」

「何いってんだ。十分強かっただろ?」


 力なさげに長い耳を垂らすエレクトラに、広天。


「さっきも言ったが俺の力は道具が良かっただけだ。実際にはミナに借りた嵐の魔剣は使うわけにはいかないし、フェリアだって人の姿をしてるんなら俺が操る意味はない」

「あ、そっか……」


 フェリアの事も非戦闘員に数えていたが、土限定とは言え無動作で自在に操る彼女の能力は、魔術師として見るなら十分戦力になる。


「でも最後に出した炎を出せるんなら、十分強いと思うけど」

「あれはなるべく使いたくないって言ったろ。真火と違ってウォルカノの炎は使えば使うだけ目減りするんだ。使える回数に限りがある」


 四象炉に取り入れたものは、要素として保存される。薪がなくとも、炎は炎だけで燃え続けるのだ。真火であれば、燃え移った後もそれは真火だ。真の炎は何でも燃やし、けして目減りしない。


 しかしウォルカノの炎は、非常に温度が高いと言うだけでただの炎だ。凡庸な薪木に灯して増やそうとしても、凡庸な温度の炎ができるだけである。


天柱灯テンチュウトウ失黄鏡シツオウキョウは戦いには使えないし、現状俺だけ足手まといだよ」


 そう言って広天は呵呵かかと笑った。


「なんてアンバランスな能力なのかしら……」

「うるせえ。そんな事は師匠からさんざん言われてんだよ」

「大丈夫です、マスター。マスターの事はわたしがお守りしますから!」


 ぼやくように言うミナに苦虫を噛み潰すような顔で広天。一方今の戦いで吹っ切れたのか、フェリアが己の胸に手を当てて言い張る。


「師匠……そう、ですわ」


 エレクトラは不意に、何かを思いついたかのようにハッとして、広天の顔を見た。


「ん、何だ?」

「コウ様」


 そしてその手を握りしめ、言った。


「わたくしの師になってくださいまし!」

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