第8話 広天、黒竜ウォルカノと相対し、目をつけられること

「やはり……あのときの貴様か……」

「何だ。喋れるのか、お前」


 重々しい声で呟くウォルカノの声を聞きつけ、広天。


「……貴様こそ、竜の言葉に……いや、違うな。貴様は我とは別の言葉を話している。なのに、なぜ言っている事がわかる?」

「さあて。教えてやる義理はないね」


 軽い口調で答えながらも、広天は内心焦っていた。この黒竜、思っていたよりも遥かに頭が切れる。ただの気の短い獣だと思っていたら言葉を解し、そのうえ広天が同じ言葉を話しているわけではないことにさえ気づいた。


 ミナやフェリアはまるで気づかなかったのに、だ。


「そうか」

「まあまあ待て待て。ここで見逃してくれるんなら教えてやってもいいぞ」


 口を大きく開き喉の奥に炎をくゆらせるウォルカノに、広天は慌てて言った。


「ふむ……では問おう。貴様、初めてあったとき、どうやって我が炎を凌いだ?」

「何だ、そんな事か。簡単な話だ、あの程度の温度じゃ火傷一つしないってだけの話さ」


 広天の言葉にウォルカノは鋭く目を細める。短気という広天の評価も間違ってはいないようだった。ただそれを自制するだけの知能と精神力を持ち合わせているだけだ。


「であれば我を埋める必要などなかろう。どのような手を使ったかはわからぬが、そう何度も使えぬと見た」


 冷静に指摘するウォルカノに、広天は沈黙をもって答える。嘘をついたところでこの竜はたやすくそれを見破るだろう、という予感があった。


「聞きたいのはそれだけかい?」

「いいや。もう一つだ」


 黒竜は大地に降り立ち、広天の顔を覗き込むようにして、問う。


「勇者は、どこにいる?」


 やはり流石にツルハシだと、聖剣とは認識されないんだな。と、広天はフェリアを少し哀れに思った。


 しかしどうしたものか、と広天は考える。

 俺だ、と答えたとしよう。多分、「れ」くらいで炎を吹いて殺されるだろう。


 知らない、ととぼけたとしよう。その場合はもう少し時間が稼げるはずだ。

 多分即死はしない程度に内臓を破壊されて、死ぬまでの数秒でもう少しマシな答えを聞こうと試みるだろうから。


 考えた末に、広天はミナを指差して答えた。


「彼女が勇者だ」

「待って!?」


 間近で凄まじい圧力を放つウォルカノの覇気に圧されていたことも忘れ、ミナは叫んだ。ウォルカノの言葉は彼女にはわからなかったが、大体の話の流れは広天の言葉からわかる。


「その獣人が……勇者、だと?」


 巨大な黒竜の瞳が、じろりとミナをねめつける。確かにその佇まいからは並々ならぬ力量を感じ取れる。凄腕の剣士と言っていいだろう。


 だが、それだけだ。


 ウォルカノにとってはその程度、ただの人間と大差ない。多少剣の腕が立とうと、彼にとっては敵ではなかった。彼の姿を見て震えているようでは話にならない。そのようなものが『勇者』であるはずがない。


 ──そういう意味では。


「そうか」


 ウォルカノの視線が横に滑る。ミナから、目前の広天へと。


「やはり貴様が、そうか」


 そういう意味では、強大な黒竜を聖剣も持たずに前にして、まるで臆することなく話すこの男こそ勇者の名に相応しい。


 そう考えて、黒竜は深い笑みを浮かべた。


 ──ようやくこの生意気な男に、思う存分に怒りをぶつけられるのだから。


「喰らえ!」


 すう、と大きく息を吸い込んで、ウォルカノは特大の炎を吹きかける。

 広天は咄嗟にミナを庇うように道服を翻すが、炎は二人を纏めて包み込んだ。


 普通の生き物であれば一瞬にして蒸発してしまうような猛火だったが、一度防がれた以上ウォルカノは油断しない。地中に逃げることも出来ないよう、大地そのものを焼き溶かしてくれる。


 そうウォルカノが考えたその時、炎の中で光が瞬いた。かと思えば、彼の吐き出していた炎の奔流が中央から真っ二つに裂ける。そして彼の左目に鋭い痛みが走った。


「ぐおぉ……!?」

「うふふ……あはは。あははははは!」


 痛みに仰け反るウォルカノの耳に、場違いに明るい笑い声が響く。


「さあ、溜まってた鬱憤を存分に晴らしちゃいなさい!」


 ウォルカノの吐き出した炎が渦巻き、まるでトンネルのように道を作っていた。

 その向こうに見えるのは、長く幅の広い青い剣を振りかざした女の姿。


嵐の魔剣ケイモンフェレー!」


 ミナが叫ぶとともに、風が舞い起こった。


 それはウォルカノの炎をたやすく跳ね除けて、同時にミナの身体を黒竜の元へと届かせる。


「ぬおぉっ!」


 ウォルカノはそれを慌ててかわした。

 かわさざるを得なかった。


 人の作った物で、彼の鱗を貫けるはずがない。古代文明と呼ばれる、太古の時代のものでも同じことだ。そんな事ができるのは神の作った剣──聖剣をおいて他にない、はずだった。


 だが今、明らかに聖剣ではない青い剣によって、ウォルカノの左目は切り裂かれている。あの剣は彼を傷つけうるという証だ。

 先程まで震えていた女があの剣を手にした途端、微塵の恐れもなく切りかかってくる。そこに強大な力を手にしたもの特有の浮足立った空気は全くない。自負と剣への信頼に裏付けられた、揺るぎない立ち回りだった。


 しかも……


「逃さないわ!」


 風と共に雨が吹き付け、雷鳴が轟く。

 相性は最悪であった。ウォルカノの炎は雨に弱められ、翼は風に囚われる。


「貴様ら……名を、何という」


 ウォルカノは牙を剥き出しながら、尋ねた。


「俺は広天。こっちはミナだ」

「ちょっ……!」


 ウォルカノの言葉がわからないミナは、突然自分たちの名前を教えた広天に慌てる。


「コウ=ティエン。ミナ。覚えておこう……貴様らは必ず我が炎で焼き殺してくれる!」


 そう言うやいなや、ウォルカノは地面に向かって猛烈な炎を吹いた。風でそらす間もなくそれは大地を濡らした雨水を蒸発させ、辺りにもうもうと霧が立つ。


「っ……嵐の魔剣ケイモンフェレー!」


 咄嗟にミナは風を呼び起こし霧を払うが、その時にはもうウォルカノの姿は高い上空にあった。


「ふう……なんとか、行ってくれたか」

「ごめんなさい。仕留めそこねたわ」


 落胆するミナに、広天は首を横に振る。


「いやいや、上首尾だよ。多分あのままやってたら負けたのはこっちだ」


 水剋火みずはひにかつ。雨を呼び寄せる嵐の魔剣は火の性質を強く持つウォルカノに対し有利だが、水そのものを操れるわけではない。


 ウォルカノが逃げていったのは、ミナが勇者であるかどうか確信を持てず、この場に聖剣もなかったからだ。ミナと戦えば負けないまでも深手を負うのは間違いない。そこに聖剣を持った勇者が現れたら。ウォルカノにはそう考えるだけの冷静さがあったのだ。


「マスター! ご無事ですか!?」


 ぼこり、と地面に穴があいてフェリアが顔を出した。戦闘になったら終わるまで隠れていろ、と厳命したのを今まで健気に守っていたのだろう。


「おう。とりあえずのとこは、全員無事だ」


 ウォルカノもな、と広天は内心で呟く。

 嵐の魔剣は折れる前よりもその能力を増した筈だが、ウォルカノの命には届かなかった。ミナの腕は悪くない。となれば勝てなかったのは広天の責任だ。少なくとも彼自身はそう考えた。


「やれやれ……もっと精進しないとな」


 広天は誰にも聞こえない声で、小さくそう呟くのであった。

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