第7話 広天、ミナを誤解させ、押し倒すこと

「あれが……黒竜ウォルカノ……」


 大空を我が物とばかりに飛び回りながら盛んに炎を吹き付ける巨大な黒竜を目にして、ミナは震えを押さえるように自分の腕を抱いた。


「あたしも一端の冒険者。竜とも何度か戦ったことはあるけど……あれは別次元ね」


 大きさ、速さ、火力、炎を吹く頻度。

 そのどれもが、彼女が今まで目にした竜とは文字通り桁違いであった。

 まさしく、お伽噺から飛び出してきた悪夢そのものだ。


「本当に、あの炎を取りに行くわけ?」

「ああ。四象炉が物を吸い込める距離はきっかり二十歩。最低でもその距離まで近づかなきゃいけない」

「正気!?」


 今、広天とミナがいるのはウォルカノから二キロ以上は離れた場所だ。それですら今すぐ逃げ出したい程だと言うのに、二十歩の距離まで近づくなど正気の沙汰ではない。いくら怒りに我を失っているウォルカノといえど、確実に気づかれるだろう。


「まあまあ、見てなって。多分そろそろだ」

「そろそろって何が……」


 言いかけたミナの言葉は、轟音と衝撃に遮られた。業を煮やしたウォルカノが、ついに炎を吹くのをやめて直接光の柱が立つ大地に爪を突き立てたのだ。


 それはつまり、フェリアが地中にいるという事がバレた事を表していた。


「フェリアが危ない……! 助けないと!」

「待て待て。今動いたらそれこそ見つかるぞ」


 身体を起こしかけるミナを、広天は腕で制する。


「でも……!」

「もうちょいの辛抱だ」


 黒竜の巨体が地面に激突するたびに、遠く離れたここまで振動が伝わってくる。地下にいるフェリアが感じている衝撃は、その比ではないだろう。フェリアが押しつぶされてしまうのではないかと、ミナは気が気ではなかった。


 にも関わらず広天は特に焦ったような素振りもなく、憎らしいほど冷静に安全な場所で黒竜を眺めている。


「もういい。君はそうしてればいい。あたしだけでも助けに……」

「やめろ!」


 今度こそ立ち上がろうとするミナを、広天は抱きすくめるようにして地面に押し付けた。上背もあり、筋力も強い彼女を止めるにはそうするしかなかったからだ。


「ちゃんと説明してなかった俺が悪かった。落ち着いて聞いてくれ」

「う、うん……」


 押し倒されるような形で、吐息を感じるほどの距離にまで顔を近づけられて、ミナはぎこちなく頷く。


「あいつは大丈夫だ。っていうか、正直俺達の方が百倍危険だ。今あいつに見つかったら詰む」


 四象炉に逃げれば炎は防げるが、所詮炉は炉であって鎧ではない。物理的な衝撃にはそれほど強くないから、ウォルカノに見つかればそのままバラバラにされてしまうだろう。


「だから大人しくしてくれ……な?」

「わ……わかった」


 まるで子供をあやすかのように頭を撫でる広天に、ミナはこくこくと頷く。自分より年下にしか見えない広天にそうされるのは普通なら不快だろうに、不思議と気にならなかった。


「君は……フェリアの事を信じてるのね」

「そりゃそうだ。あいつは俺の子供みたいなもんだし」


 精神はともかく、その機能は間違いなく広天が作り上げた宝貝だ。この上なく信用している。そんな意図で、広天は答えた。


「子供……そう、なんだ」


 その一方で、ミナは密かに疑問に思っていた二人の関係に一応の回答を得て、納得した。恋人同士にしては距離感があるし、旅仲間と言うには二人とも旅慣れしているようにも思えない。どう見ても血が繋がっているようには見えないから、拾った子か何かなのだろう。


 なんとなく、ホッとした。


「──ん?」


 ミナが己の感情に疑問を抱いた、ちょうどその時のことだった。

 轟音とともに、大地が崩れる。ウォルカノの突撃がついにその下の空洞を掘り当てたのだ。


「フェリア!」


 ミナと広天は同時に叫ぶ。しかしその意味するところはまるで正反対であった。


 片方は、心配に。


 そしてもう片方は、指示の為に。


「行くぞ!」

「行くって……ええっ?」


 弾かれるように立ち上がった広天は、ミナの手を取り引き起こす。そしてそのまま地下道ではなく、直接ウォルカノの方へと駆け出した。


「ちょっ、ちょっと、大丈夫なの!?」

「悪いが説明してる暇はない! 全力で走れ!」


 フェリアは、そして自分たちは大丈夫なのか。二つの意味を含めた質問は一蹴され、広天はただただ全力で走る。その速度は、人間より身体能力に優れた狼人リュカントロポスのミナですらついていくのがやっとというくらいに速い。奇妙な衣服といい、細身の体つきといい、戦いどころか運動すらろくにできそうもないと思っていただけに、ミナは驚きながらその背中を追い掛けた。


「ようし、上首尾だ」

「な……」


 大地を穿ったウォルカノの姿が見えてきて、ミナは言葉を失った。


 なにせ黒竜は、その顔の半分ほどを残して地面に埋まっていたのである。

 地中の空洞を掘り当てた時に埋まってしまったにしては、あまりに異常な体勢だった。


「これ、どうなってんの……!?」

「これがフェリアの能力だ」


 ようやく説明してやれるな、と広天は息を乱した様子すらなくミナに笑みを見せる。


「あいつの本当の名前は、削金鍬サクゴンシュウ。俺が作り出した……土を自在に掘削することが出来るツルハシの宝貝だ」


 そして、フェリアが聞いたら憤慨するような事を言ってのけた。


「宝貝……ツ、ツルハシ!?」


 あまりにも荒唐無稽な話についていけないミナが目を白黒させていると、地面に文字が掘り抜かれた。『聞こえてますよ、マスター』と描かれている。


「このように、あいつは触れなくても十里(約四キロメートル)の距離まで土を掘ることが出来る」

「四キロ……?」


 思わず、ミナは地面を見る。彼女は、そのすぐ下にフェリアがいるのだと思っていた。


「うむ。地下道との出入りの際にはあいつの力で土を動かして送ってもらったから気づかなかっただろうが、実際にフェリアがいるのは、地下一里(約四百メートル)の地点だ。そこにまで熱が伝わってきた時には少しひやりとしたけどな」


 だが実際にあったのは誰もいない空洞で、ウォルカノはそれを掘り当てると同時に生き埋めにされたのだ。


「よし。これで説明は済んだな。いいぞ、フェリア」


 ウォルカノの奴、思ったよりも大人しくしていたな、と思いつつも、広天はフェリアに合図を送る。

 するとウォルカノを締め付けていた土の一部が緩んで、黒竜の口が大きく開いた。

 途端、鬱憤を晴らすかのように凄まじい炎が口から吐き出される。


「吸い込め、四象炉」


 だがそれは、まるで墨に筆を浸したかのように四象炉の中へと吸い込まれていった。熱を感じる暇さえなく、万物を破壊する炎は掻き消える。


「ようし。思った以上の熱量だ」


 炎をたらふく呑んだ炉をみやり、広天は満足げに頷く。


「……こっちは、どうするの?」


 ミナは地面に埋まった黒竜を見ながら、困ったような表情で尋ねた。これが本当に伝説の黒竜であるならば、人類のために倒さなければならない。今はその絶好の好機であるように思えた。


「うーん。できれば鱗の一枚も取っておきたい所なんだけど……」


 広天が近づこうとすると、再び締め付けられた口の隙間からごうと炎が漏れる。鱗を取れるほどに近づけば、こんがりと焼かれてしまうだろう。


「……今回は、諦めるとするか……」


 忸怩たる思いで、広天はそう決断した。あれ程の力を持つ竜の鱗だ。一体どんな性質を持ち、どんな宝貝を作れるのか気になって仕方がないが、広天とて命は惜しい。


「本当に……何から何まで無茶苦茶だね、君は」


 驚きを通り越して呆れの域へと至り、ミナが苦笑した、その時。


「な……」


 轟音とともに、黒竜が大地の中から飛び出した。それと同時に放たれた火炎弾を、地面から隆起した土の壁がかろうじて防ぐ。


『ごめんなさいマスター、ウォルカノは力を隠していました!』


 溶けゆく土壁にフェリアの作り出した文字が流れる。


「なるほど。フェリアを騙して拘束を解いたか」


 広天は、悠然と己を見下ろす黒き竜を見上げながら、呟いた。


「思ったよりだいぶ冷静で賢いじゃないか、黒竜ウォルカノ」

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