第3話 広天、竜の襲撃に遭い、これに仰天すること

「ツ、ツル……ツルハ、え、なんで、こんな、どういう、……え?」


 混乱の極地にいながらにして、フェリアの本能とでもいうべき部分は、冷静に己の身に起こったことを把握していた。それは彼女が元々備えていたものではなく、宝貝としての基本機能。己がどのような道具で、どんな能力を持っているかを自覚する能力であった。


「落ち着けよ、削金鍬サクゴンシュウ

「エルフェリアです!」


 広天の呼んだ名がツルハシとしての自分だと言うことを悲しいまでに理解して、フェリアは思わず叫んだ。


「わたしなんでツルハシになってるんですか、マスター……!?」

「なんでって……まあ、ツルハシ向きだったからかな」

「ツルハシ向き……!?」


 剣としての矜持をいたく傷つけられ、フェリアは愕然とする。


「この四象炉は小さく携帯出来る大きさの割によく出来た炉でな。三つの能力がある。一つ目はあらゆる物を格納し、鋳溶かし分解すること。二つ目は分解したその要素を解析すること。そして三つ目が、要素を再構成して別の宝貝として作り直すことだ」


 あくまで再構成であるため、全く別の宝貝にすることは出来ない。例えば剣を鎧にするには量が足りないし、毛がないので筆にすることも出来ない。


「だ……だからって、なぜツルハシに……!?」

「俺、剣なんか使えないしな」


 だが、剣とツルハシ程度であれば変換可能であった。


「そんな……わ、わたしの力でなければ、魔王は滅ぼせないんですよ!?」

「確かになにかそんな感じの力あったな」


 特定対象への干渉強度の大幅な増強。宝貝の能力としては割とありふれたものである。広天が瀛州山を吹き飛ばすのに使った破岩鎚も、同様の仕掛けで岩を破壊できるようにしてあった。


「大丈夫大丈夫。心配ないって。魔王の一匹や二匹、どうとでもなるさ。俺だって今まで何匹も倒した事があるし」

「そう……なの、ですか?」


 自信たっぷりに断言する広天に、フェリアは少し安堵しながらも、ある疑問を抱く。


「恐れ入りますが、マスター。マスターが今まで倒してきた魔王というのは、どのような存在なのでしょう?」

「どんなって……有名所で言えば積雲山摩雲洞の牛魔王とか、坎源山水臓洞の混世魔王みたいな奴だよ。妖怪が長じて仙になったものの中でも、人に仇なす連中、妖怪どもの頭領の事だ」


 仙人には、基本的に俗界の人間には関わらないという不文律がある。しかしそういった魔王と言われるほどにまで勢力を拡大させた妖怪たちは別である。そういった妖怪は人知を超えた能力を持ち、宝貝を作り出して扱うこともあるため、常人の手には余る。よって退治するのは仙人にとって大事な使命であった。


 広天もまた師である汪歴に命じられ、何度か魔王を退治したことがある。


「申し訳ありませんが、マスターの仰るギュウマオウなる存在は存じておりません。ですが──」


 フェリアがそう、言いかけたときであった。


 突然、陽の光が明るく降り注いでいた広場に影がさす。まるでいきなり夜になったかのようなその変化に、思わず広天は空を仰いだ。


 そして、見た。


 全身を覆う鱗はまるで一枚一枚が盾のように大きく分厚く、広げた翼は空を覆い尽くさんばかり。手足に生えた爪はいかなる名剣よりも鋭い輝きを放ち、尾ときたらまるで自在に動く槍のよう。そして燃える炎のような真っ赤な瞳が、広天を見下ろしていた。


「あっ」


 と言う間は、かろうじてあった。


 しかしそれ以上の言葉を発する前に、黒い鱗に包まれたその生き物の口から、本物の業火が溢れ出す。そして広天ごと、周囲の森を一息で焼き尽くした。


 否。焼く、などという生易しいものではない。木々は一瞬にして燃え尽きて、炭さえ残さず消滅する。フェリアが刺さっていた岩の台座さえ溶け落ちて、その痕跡をわずかに残すばかりとなった。


 そして四方一町(約百メートル)ほどの範囲を焦土と化すと、その黒い生き物は灰と焼けた大地だけが残った周囲を悠然と見渡して、どこか不満そうにしながらも飛び立っていったのだった。


「びっ……」


 一切の生命が消え去って、しばらくした後。


「くりしたぁー! 何だ今のは!?」


 積もった灰の下から、ぼこりと広天は飛び出した。


「マスター、ご無事ですか……!?」

「ああ、何とかな」


 パタパタと道服のあちこちについた灰を叩き落としながら、広天は答える。あれだけの炎を受けておきながら、その身体には火傷どころか火膨れの一つもない。


「あれこそは魔王の配下、四天王が一つ。黒竜ウォルカノです」

「あれが魔王の、配下ぁ!?」


 これには流石の広天も仰天した。


「はい。恐らくわたしが復活した気配を感じて、勇者を倒すため魔王が差し向けたのでしょう」

「随分恐ろしい世界に来ちまったようだなあ……」


 魔王本体ならばまだしもあれで配下とは、と広天は渋面を作った。


「……世界……ですか?」

「多分、俺が元いた世界とは別の世界なんだ、ここは」


 薄々そんな気はしていたが、先程の黒竜でそれは確信に至った。

 見た覚えのない木々に、聞いたこともない金属でできた剣。明らかに仙郷ではないにも関わらず、作り手も使い手もなく放置されている意思を持つ宝貝。広天の知るそれとは全く異なる魔王なる存在に、俗界に棲まう生物として逸脱した破壊力を持った黒竜。


 流石に俗界が、広天が離れてわずか百年、二百年でここまで変容してしまう事はないだろう。であれば、単純に別の世界であると考えた方がいい。広天の住む世界とは異なる世界──異世界は、実際に確認こそされたことがないものの、理屈の上では存在すると言われていた。


「なるほど。それで納得がいきました」


 広天は魔王を倒したと豪語していたが、フェリアはそれがありえない事を知っていた。


「──この世界の魔王は、全てわたしが討っていますから」

「ふうん。しかし、それにしちゃあっさり去っていったな」


 黒竜が消えた空の彼方をみやり、広天は呟く。

 彼がフェリアを引き抜き、湯が沸くほどの時間も経っていない。それほど迅速に配下の者を寄越すとは、魔王とやらは相当フェリアを危険視していたのだろう。だがそれにしては、広天の死体も確認せずに去っていくのは手落ちなように思えた。


「それは、おそらく……」


 フェリアは言いにくそうに、おずおずと答える。


「その……ツルハシを手にしたマスターを勇者とは認識しなかったのでしょう……」


 自分で言っていて悲しくなってきたのか、フェリアの声は尻すぼみに小さくなっていった。


「なるほど、それは僥倖ぎょうこうだな」


 一方広天、フェリアの気持ちをわかっているのかいないのか、おかしそうにカラカラと笑う。


「……マスター。先程の炎を凌いだ見事な手腕。そして異世界の魔王を倒してきたというその実績。マスターは紛れもなく我が主と仰ぐ方に相応しい方であると確信いたしました」


 そもそも主となるべき者でなければフェリアを引き抜くことは出来ない。だがそれとは別に、フェリアには彼が己の主人であるという直感めいたものがあった。


「何卒……わたしを剣に直して頂けませんでしょうか」


 だがそれは、けしてツルハシとしての予感ではない。心から、フェリアは懇願した。


「先程の説明によりますと、剣であるわたしをツルハシに出来たのなら、ツルハシであるわたしを剣に戻すことも可能なはずです」

「あー……それなんだけどな……」


 広天は……神なる山の天辺を吹き飛ばしても悪びれた様子すらなかった男は、気まずそうにガリガリと頭をかく。


「悪い。さっきの黒竜の攻撃を凌ぐために、炉の火を落としちまったんだ」


 四象炉の中には、真火シンカと呼ばれる炎が燃えていた。これは水をかけても砂をかけても消えず、あらゆる物を燃やす炎を超えた炎である。そんな炎を宿すために、四象炉の耐熱性はめっぽう高い。広天があの凄まじい火炎を受けても火傷一つ負ってないのは、咄嗟に四象炉の中に逃げ込んだからだ。


 だがその際に、中で燃えている真火を消す必要があった。消さねば広天までもがバラバラに分解されてしまう。幸い真火を消すための真水シンスイは炉の中に備えてあったから消すのは簡単だが、問題は再度つける事だ。


 真火は仙術を持ってしかつけられない。しかし広天は一切の仙術を使えない。


「まっ、元の世界に戻してくれればすぐにつけられるからさ」


 師匠に頭を下げる必要はあるだろうけどな、と広天は内心で呟く。


「はい。よろしくお願いします!」

「おう。じゃあ戻してくれるか?」


 二人がそう言い合った後、数秒、奇妙な沈黙が訪れた。


「え?」

「え?」


 主従は同時に、間の抜けた声を上げる。


「え?」

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