第2話 広天、聖剣を引き抜き、それを鋳溶かすこと

「……なんだ、ここ」


 気がつくと広天は、見知らぬ森のただなかにいた。

 森と言っても仙人たちの住まう仙郷にあるような、途方もなく巨大な木々の生えた森や、無限に続くかと思われるような竹林ではない。木々がまばらに生えた、明るい森である。


「まさか、俗界か?」


 俗界。それは仙人となる前の広天が住んでいた、いわゆる普通の人間が住んでいる世界のことだ。

 普通の森、というものを久々に目にした広天は、パチパチと目を瞬かせた。


 仙郷と俗界は空間そのものを隔てられていて、そう簡単には移動する事ができない。一瞬にして移動させるような仙術もないではないが、大掛かりで仕掛けるのに時間もかかる。汪歴の目を盗んで屋敷の中に仕掛けられるようなものでもない。


「いや……違うな。というか、どこだ、ここは?」


 周囲に生えた木々を見つめ、広天は呟く。そのどれもが、松でも杉でも竹でもなかった。花や草にはさほど詳しくない広天だが、宝貝の材料となりうる木々は別だ。


 仙郷、俗界含めて大概の材木を知り尽くしている自負がある。そんな彼をして、まるで見たことのない木ばかりであった。


「とりあえず採取して……って、宝貝はないんだったか」


 袂に手を差し込みかけて思い出す。仙術が使えない彼は、宝貝の一つもなければ木を切ることも持ち運ぶことも出来ない。


「助けて……助けて下さい……」


 その時、再び扉の奥から聞こえていた女の声がした。それも、先程よりもはっきりと。


「とりあえず、帰り道でも聞いてみるか」


 この声と例の扉が無関係ということはなかろう。広天は持ち前の楽観主義で、声の聞こえる方角へと歩き始めた。


「……お?」


 そうしてしばらく歩いていると、広天は急に開けた広場へと辿り着く。その広場の中央には石で出来た台座が鎮座しており、そこに突き刺さった一振りの剣が、木々の隙間から零れ落ちた陽の光を浴びて七色に輝いていた。


「こいつは……」


 広天は目を見開いて、その剣に誘われるように近づいた。長さは半ばから突き刺さっているせいで正確にはわからないが、四尺(約百二十センチ)程度であろうか。仙郷ではあまり見ない意匠の、両刃の剣だった。


「ああ……来てくださったのですね」


 どこからか、先程の女の声が聞こえる。


「俺を呼んだのはあんたかい?」

「はい……このような形でお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」


 声は聞こえど姿は見えず。隠形の術かなにかで隠れているのだろうが、仙術を使えない広天にそれを見抜くすべはない。


「それはいいんだけど、一体俺に何の用だ?」

「まずは……目の前にある剣を、引き抜いて下さいませんでしょうか」


 奇妙な願いに、広天は首を捻った。なにかの罠だとするなら、笑ってしまうくらい稚拙な罠だ。かと言って、単に剣を渡したいだけなら手で渡せばいいものを、とも思う。


「いいのかい?」

「はい。抜ければ、あなた様のものですので」

「そりゃ豪気だね」


 広天は躊躇うことなく両手を剣の柄にかけると、えいやとばかりに力を込めて引き抜いた。半ばまでずっぷりと埋まっているものだから、さぞかし硬く刺さっているのだろうと思っていたが、広天の予想に反して剣はそりゃあもう何の障害もなくするりと抜けた。


「うおっ、と」


 あまりにも簡単に抜けたものだから、広天は勢い余って尻もちをつきそうになるのを、反射的に剣を高く掲げてバランスを取る。途端、剣は陽光を浴びて一際強く輝いた。


「ああ──! やはり、貴方様こそが、伝説の勇──」


 感極まった女の声を聞きながら、広天は袂に手を差し込んだ。そこにあるのは唯一携帯していた宝貝。いつでもすぐさま取り出せるように、虚宮葫蘆には入れずにおいた小さな八角形の輪。名を四象炉シショウロという。


 四象とは、仙術で基本となる、天地陰陽を表す言葉である。天地陰陽とは空と大地。そして光と影。すなわちこの世の全てという意味を持つ。


 つまり四象炉はこの世の全てを鋳溶かす炉であった。


 そこに、広天は、無造作に剣を突っ込んだ。


「おおおお! やはり、仙郷にはない……いや、見たこともない金属だ! これほど硬く粘り強いのに、凄まじく軽い。しかも仙術の通りも異常に良いと来てる。神珍鉄と同等……いやそれ以上か? それにこれは……」


 四象炉の周囲に、まるで虚空に紙でもあるかのように墨で描かれたような文字が無数に浮き上がる。その示す情報を、広天は興奮しながら目で追った。


「な……なんですかここは!? わ、わたし、一体どうなってるんですか!?」


 その一方で、悲鳴のような声が上がる。酷く混乱した様子の女の声は、四象炉の中から聞こえてきた。


「うん……? なんだ、あんた、意思を持つ宝貝だったのか」


 剣の宝貝。意思、疎通機能、不可触像あり。そんな文字を認めて、広天は女の声の正体を悟った。声を上げていたのは、広天が四象炉に入れた剣そのものだったのだ。


 四象炉には入れたものを溶かすと同時に、それを構成する要素を破壊することなくバラバラに分解する能力がある。剣の持つ意思もまた、破壊されることなく炉の中に留まっていた。


 意思を持つ宝貝、というのはそれほど珍しいものではない。広天もいくつか作ったことがある。例えば箒の宝貝ならば、振るうだけで屋敷中を掃き清められる宝貝よりも、自分の意思で屋敷中を掃除する箒を作る方が簡単だ。そんな意図で、宝貝に意思を持たせることは少なくない。


「パオ……? というのはわかりませんが、そうです。わたしはこの剣の精、エルフェリアと申します」

「エク……なんだって?」


 広天と炉の中の剣の精は、互いに聞き慣れない名前に怪訝そうな声を上げた。


「呼びにくければフェリアとお呼び下さい。マスターのお名前を伺っても?」

「俺は広天……待て、マスターって何だよ」


 広天は名乗り、妙な呼びかけを聞き咎める。聞き慣れない言葉ではあったが、その意味はわかる。わからないのは、なぜ自分がそう呼ばれるかだ。


「コウ=ティエン様ですね。わたしは、この世界を救うためにあなたをお呼びしたのです。魔王を討ち果たすために、このわたし……聖剣エルフェリアの使い手となる、勇者様を」

「魔王ねえ」


 フェリアの言葉にはいまいち意味のわかりにくい部分もあったが、それでも広天は大筋を理解した。


「なるほど、任せときな」

「本当ですか!」


 軽い調子で請け負う広天に、フェリアは喜びに満ち溢れた声をあげた。


「ありがとうございます、マスター。このような不躾なお願いを聞いて頂けるなんて、わたしは素晴らしい主を持ちました」

「なあに、気にするな。それもまた仙人の務めだからな。掃除よりかはやりがいがある」


 仙人? 掃除? とフェリアは少し疑問に思ったが、それよりも優先して尋ねるべきことがあった。


「それで、そのう。マスター。ここから出して頂けませんでしょうか」

「ああ、そうだな。えーと……こんなもんか」


 頷き、広天は四象炉を何度か操作する。


「これでよし、と。出てこい、フェリア!」


 広天がそう叫ぶと、たちまちのうちにそれは飛び出した。


 黄金に輝く柄。美しい緩やかな円弧を描く刃はまるで翼のように左右に広がっている。その片方は平たく、もう片方はまるで鶴の嘴のように鋭く尖り、陽の光を受けて七色に光っていた。


「……わたし、ツルハシになってる!?」


 そして、フェリアの絶叫が森にこだました。

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