異世界仙人、伝説の聖剣を鋳溶かす

石之宮カント

第1話 広天、瀛州山を破壊し、厄介事に巻き込まれること

 紙を貫く、一本のキリを想像して頂きたい。


 紙は果てなく続く真っ白な雲海、そしてそれを貫く錐のような細く高く鋭い山こそ、世に名高い五神山が一つ、瀛州山エイシュウザンである。


 その山の上を男が一人、飛んでいた。見た目は二十そこそこといった面立ちで、ともすれば少年のような稚気すら感じられるその男。


 さりとて仙人の住まう仙郷の神山を飛び越える男が見た目通りのわけもなく。齢八十を超えて天地の理を見出し、百二十を経て仙郷へと至った男。それでも仙人たちの中では若手と言える、広天コウテンという男であった。


 空を飛ぶ広天の両手は鳥の翼と化している。しかしそれは本物の翼ではなく、作り物の翼。仙人が作り出す、宝貝パオペイと呼ばれる摩訶不思議な道具の一種だ。


 広天は二度、三度と瀛州山の上空を旋回すると、錐のように切り立つ山肌の中に僅かに平らな場所を見つけて取り付く。


「出てこい、破岩鎚ハガンツイ


 広天が名を呼ぶと、彼が腰に下げた瓢箪ひょうたんからぽんと音を立てて一振りのカナヅチが飛び出した。カナヅチが宝貝ならば、それを収納していた瓢箪もまた宝貝である。


 宝貝には皆、人知を超えた仙人の力が込められている。瓢箪の宝貝には名を呼んだ品物を無尽蔵に収納し、取り出す力が。


 そしてカナヅチの宝貝、破岩鎚には……


「あらよっと」


 あらゆる岩を豆腐のように砕く力があった。

 広天が破岩鎚を振るうと、錐のように反り立つ山の頂上が、ぽーんと砕けて雨のように散らばっていく。


「吸い込め、虚宮葫蘆キョグウコロ


 広天が腰の瓢箪をぽんと叩いて言うやいなや、弾けた岩の欠片は一つ残らずその瓢箪に吸い込まれた。


 そして広天はちょっとばかり先端の欠けた瀛州山を満足気に見やると、表情をニマニマとだらしなく緩めてその場を飛び去ったのであった。






「この、大馬鹿もんが!」


 特大の雷が落ちた。

 それは比喩ではない。広天の頭上からどかんとばかりに雷撃が落ちて、彼を一瞬にして包み込んだ。


「何が悪いってんですかい、師匠。ちょっと山の先っぽを削っただけじゃないですか」


 しかし広天は黒い髪の端がほんの少し焦げたくらいで、まるで堪えた様子もない。


「悪くないわけないだろうが! 五神山だぞ!?」


 まるで銅鑼のような怒鳴り声をあげたのは、広天の師匠、汪歴オウレキである。この汪歴という男、声もデカいが身体もデカい。中肉中背の広天よりも、縦にも横にも二周りは大きい。広天とはまた違った意味で仙人らしからぬ男であった。


「お言葉ですが師匠、五神山を削っちゃいけないなんて聞いたことありませんぜ」

「そんなことくらい、常識でわかれ、この馬鹿者が!」

「天地の理を修め天に昇り、人智を超越した仙人が常識を語るなんて馬鹿げた話じゃありませんか?」

「ええい、口の減らぬ奴め」


 口の回る広天に対して、汪歴は歯噛みする。その見た目通りに、汪歴は雄弁な方ではなかった。


「いずれにせよ、これは没収だ」

「ええっ、そんな、殺生な!」


 代わりに、巌のような見た目に反して動きは素早い。ひょいと瓢箪を奪い取られ、広天は慌てた。


「折角珍しい鉱石が手に入ったから、新しい宝貝を作ろうと思ったのに」

「お前、全く反省しとらんな……」


 怒りを通り越して呆れ、汪歴は深々とため息をつく。寿命を超越し、悠長に暮らすものが多い仙人たちの中で研究熱心なのは良いことだが、広天は勤勉というより宝貝狂いと呼んだ方が正確だ。


「罰として、屋敷を全て掃除してこい!」

「ええ。全部ですか?」

「端から端まで全部だ!」


 これには流石の広天も辟易する。なにせ汪歴の住む屋敷はその身の丈に合わせたかのように異常に広い。


「へいへい。わかりましたよ」


 とはいえ弟子である広天にとって、師である汪歴の言うことは絶対である。反抗的な態度を取ることはともかくとしても、命じられたことに背くわけにもいかない。


「じゃあ、虚宮葫蘆を返してくださいよ」

「そら、持っていけ」


 不貞腐れたような態度の広天に、汪歴は瓢箪を懐に収めながら別のものを手渡した。


「なんですか、こりゃあ」

「箒だ」


 それは竹の枝を束ね竹の柄に取り付けた、何の変哲もない竹箒だった。見た所、宝貝でもない、ごくごく普通の竹箒だ。


「そりゃ見ればわかりますけど」

「見ればわかることを聞くでない」


 キョトンとする広天、ニヤリと意地悪く笑う汪歴。


「宝貝を使って掃除をしては、罰にならんだろう。虚宮葫蘆は預かっておく」

「はあー!?」


 汪歴の大声に負けないほどの大きさで、広天は叫んだのだった。






「くっそう、あの筋肉達磨め……」


 箒で廊下を掃き清めながら、広天は毒づく。


「本当にこれ終わりうるのか……?」


 真っすぐ伸びる廊下はどこまでも続いていて、その果てすら見えないほどだ。そんな廊下や部屋が、数え切れないほど存在するのである。不眠不休で掃除したとしても、一年や二年で終わるかどうか。その間に埃が溜まっていくとするならば、永遠に終わらない可能性すらあった。


「なぁにが『仙術ならば使っても良いぞ』だ、畜生め」


 汪歴の声真似をして、広天。仙術とは書いて字の通り、仙人が使う摩訶不思議な術のこと。

 しかしこの広天、立派な仙人でありながら仙術というものが大の苦手であった。空を飛ぶことも出来なければ、動物の姿に変化することも出来ず、錬丹術も満足に出来ない。


 そんな彼が仙人となれたのは、それを補って余りある宝貝作りの才能。そしてそれを見出し認めてくれた汪歴の支援があってこそのものであった。故に反抗的な態度を取りつつも、師には頭に上がらないのだが……


「……ま。どのくらい綺麗にしろとまでは言われてないからな」


 だからといって忠実な弟子にはならないのが広天という男であった。彼は極めて雑に箒をかけながら、駆けるような速度で廊下を進んでいく。


「……ん? こんな部屋あったか?」


 ふと、広天は見慣れぬ扉を見つけて足を止めた。勝手知ったる師の家である。あまりに広大といえど、どこに何があるかくらいはおおよそ把握している。何よりだいたいが襖か障子で仕切られた屋敷の中で、蝶番の付いた開き戸は奇妙に思えた。


「ふーむ……何か珍しいものでもあるかな」


 折角苦労して手に入れた瀛州山の鉱石を没収されたのだ。代わりに師の物を多少失敬したところで罰は当たるまい。何、一つ二つものがなくなったとしても、それも『掃除』の一環と言い張ればいい。


 そんな勝手な理屈をこねながら、広天が扉に手をかけたときである。


「……けて……」


 その扉の中から、師の太く重いものとは似ても似つかぬ女の声が聞こえてきた。


「誰だ?」


 汪歴に妻はいないし、女の召使いを雇ったなどという話も聞かない。広天は声を警戒し袂に手を差し込む。


「あ、いけね」


 だがそこに期待した、つるりと硬い手応えはない。彼手製の宝貝が詰まった瓢箪は、汪歴に没収されていたのであった。宝貝がなければ殆ど何も出来ないのが広天という仙人である。


「…………助けて……下さい……」

「……仕方ねえな」


 そうは言っても師である汪歴の屋敷の中だ。仮に不逞の輩が潜んでいたとしてもそう厄介なことにはなるまいと、広天は再び扉に手をかける。それより切羽詰まったような声の響きを聞くに、見過ごした方が厄介なことになりそうであった。


 そして扉を開いた瞬間。


 景色が扉の中に吸い込まれるようにして彼方へと駆け去って、広天の身体もまた、扉の向こうへと抗う暇すらなく取り込まれる。


 ────仙術を使えない仙人、広天が、この上なく厄介なことに巻き込まれたのは、こうした顛末であった。

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