第8話 煉獄の魔狼





 私はコキュートスフェンリル。


 炎をつかさどるインフェルノガルムと、氷雪を支配する私たちコキュートスフェンリルは相反する属性をもつ天敵同士である。

 だが居住地として好む気候も正反対であり、広大な暗黒大森林ではめったに出会うこともなく、今までは小競り合い以上の戦いになることはなかった。縄張りに入ったら、威圧する。逃げるなら追わない。お互いにその程度の関わり合いだった。


 私たちコキュートスフェンリルは、その戦闘能力の高さから寒冷地の高山などで少数の家族単位で暮らしている。

 私たちは番となって親から独立し、新たな家族として子宝にも恵まれ、そろそろ子供が生まれようとしていた。


 そんな平和な暮らしを破って、あり得ないはずの襲撃が起きた。


 襲ってきた三頭のインフェルノガルムの目には狂気があった。念話すらも通じない、破壊の意思のみの存在となっていた。どうしてこんなところまでやってきたのかも、なぜ狂気に捕らわれたのかも分からなかった。


 私の本来の伴侶は、インフェルノガルムから私を逃がすために殿しんがりとして山に残った。

 山を下り逃げる私に、一日も経たずに一頭のインフェルノガルムが追い付いてきた。身重の私はろくに抵抗もできずに重傷を負って意識を手放してしまった。


 出産の体力が残されていないほど弱り切っていた私は、漆黒のが放つ魔力を無意識に吸収したらしい。同時に、妖精の秘薬の力による回復で無事子供たちを生むことができた。だから、この子たちはコキュートスフェンリルの次代を担うものでありながら、漆黒のの子供でもあると言えるだろう。


 漆黒のが用意してくれた寝床は素晴らしいものだった。

 巨大な石壁に囲まれた人間種の集落に連れていかれた時は何事かと思ったが、人間種が用意した毛足の長い敷物や柔らかいクッションは、今までの寝床にはなかった快適さだ。

 岩石妖精が建てた家屋に、森林妖精が環境調整の結界を張った。食い物も、漆黒のがあぶってくれた牛の肉や牛の乳は実にうまかった。


 おかげで、こうして戦うだけの体力を取り戻すことができた。

 子供たちはオスが一頭にメスが二頭。漆黒のが守るこの領域であれば、立派な大人になるまで問題なく成長することができるだろう。


『すまない。漆黒のには、世話になったと伝えてくれ。申し訳ないが、子供たちを頼む』

『勝手にせい。漆黒のであれば、子供たちを大事にするじゃろうよ』


 この領域の主である黄金の、神の使いであるとされるゴールドエルク、はあきれたようにため息をついた。


 私を追ってきた一頭は漆黒のが討ち取ったらしいが、まだ二頭残っている。しかし、私の伴侶がただ敗れたとは思えない。相打ちか、悪くとも手負いにしているはずだ。そして、いつか子供たちが山に戻れるように、例え命を落とすことになるとしてもインフェルノガルムを追い払わねばならない。もしも伴侶が命を落としているのならば、せめて遺体を確かめたい。


 漆黒の、押し付けるような形になってすまない。あなたの優しさを利用するようなことをして申し訳ない。もしも伴侶が死んでいて、私が生きて戻ることができたのならば、配下としてあなたの望むように尽くそう。しかし、このまま諦めることだけは出来ないのだ。


 最後に子供たちをひと舐めして、巣を出ようと入り口に掛けられた布に鼻先を突っ込んだ。


 むにゅり、と鼻先に湿った感触。

 驚いて飛びずさると、背中に白い塊をのせた漆黒のが入ってきた。


『おかえり、漆黒の。お目当てのものは見つかったようじゃの』


 黄金のに触腕を上げて応えた漆黒のが、寝床のクッションに背中の荷物を下ろした。


『そんな。信じられない……』


 全身がわなわなと震え、勝手に涙があふれだす。

 だって、あれは……


『……心配をかけたな、我が妻よ。なんとか敵は打倒したが、怪我のせいで動けなくなっていてな。漆黒のに助けてもらわねば、死んでいただろう』


 体中が血に汚れやせ衰えてはいたが、私の本当の旦那様がクッションの上でほほ笑んでいたのだから。



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