第4話 とあるギルドマスターの憂鬱



「ぶっ はああああああ~」

「なんてため息吐いてるんですか、ギルマス」


 頭を抱えて息を吐く俺にお茶を出しつつ、筆頭受付嬢にしてバイト秘書である女史が、合いの手を入れた。

 彼女自身も、今この都市において、俺が絶望のため息をつかねばならないほどのトラブルが起きていることを理解しているのだ。


 しかも、複数。


 まず第一に、魔物ひしめく暗黒大森林に、新たなボスモンスターが現れたこと。


 去年の春ぐらいから、周辺の大型モンスターの減少が確認された。


 これは人間種領域を広げるチャンスではないかと、何組かの冒険者パーティーに調査依頼をだしたのだが、もれなく漆黒の大型魔獣に出くわして、逃げ帰ってきた。


 幸いなことに、死者はゼロ。ただし、全員がそいつを目視した途端に、恐怖のあまり恐慌状態に陥ってしまったという。


 悲鳴を上げて逃げ出してしまった連中は、特に被害はなかったが、根性があったというか、ただのアホだったというかな奴らが交戦したらしい。

 だが、ろくに戦うこともできずに一瞬で意識を刈り取られ、気がついたときには身ぐるみはがされて、森の出口辺りに放り出されていたそうだ。


 これは生半可な連中の手には余るということで、元S級冒険者パーティー「鋼の鉄槌」で、斥候をやっていた俺が、直接調査に乗り出したのだが、ありゃあ無理だという結論に至った。


 なんせ、潜伏系スキルが全く通用しなかった。

 ごろりと転がっているだけの隙だらけに見えたので、迂闊にも近づきすぎたこともあるのだが、奴の緑色の目は最初から俺を捕らえていた。


 視線が合ったと認識した瞬間、心の奥からあらがいがたい恐怖が湧き出して、俺の心身を縛り付けた。


 どれほどの時間そうしていたのかは分からないが、奴が視線をきった瞬間に、使える限りの全てのスキルを使って全力で逃げ出すことで難を逃れることが出来た。


 結局、魔物同士の縄張り争いの結果、奴がこの辺りの新たなボスになったのだろうと結論づけた。

 むしろ、この都市の冒険者だけでは手に負えない攻撃的な大型モンスターが居なくなって、冒険者の死亡率が下がったぐらいだ。


 最近では、奴が人間を殺さないのではないかと高をくくって、度胸試しとばかりに戦いを挑んで身ぐるみはがされるバカもいるが、奴も面倒になったのか、他の魔物が齧らないようにマーキングだけして、その場に放置するようになった。


 装備をはぎ取られた揚げ句、頭から小便を引っ掛けられて怒り狂った馬鹿どもが、高ランク冒険者を呼んで駆除しろとやかましいが、ギルドからは、奴を見かけたら全力で逃げろと口を酸っぱくして通達しているので、自業自得として無視されている。




 まあ、奴のことはまだいい。

 こちらが突っかからなければ戦闘にならないし、逃げられる。恐慌状態に陥って身動きできなくなっても、少したてば去っていく。まだ予想の段階ではあるが、視線を合わさなければ恐慌状態も避けられるかもしれない。


 まあ、なにをトチ狂ったのか、獣人種連中などは、奴を神だと崇め始めたりしているが、特に害はないので放っておく。


 問題は、本部に送った報告書をみて、厄種ヤクダネが二つも飛び込んできたことだ。


 ひとつは、奴を倒して名をあげようと目論む、世間知らずの騎士だ。


 こっちは領主の方で面倒を見ているので、冒険者ギルドとしては楽なのだが、奴を従えて国王陛下に献上すると息巻いており、時折冒険者たちと野試合沙汰を起こしている。


 この騎士、ただの木っ端貴族だったら良かったのだが、公式に継承権は持たないものの、王家の血筋に連なるものだったりするからより面倒くさい。


 もう一つは、「鋼の鉄槌」のアサルトセイバー突撃馬鹿にして、剣聖。良い年して未だに戦闘狂が収まらない剣術ジジイである。


 ワシよりも強い奴に会いに行くなどとうそぶいて、「鋼の鉄槌」が解散した後でも特に役職に就くでもなく、各地を徘徊して剣一本で大物を刈り続ける、老いてますます盛んなジジイだ。


 何年かに一度はこの都市にもやってきて、近場の大物モンスターを狩るなり追い払うなりしてくれるのだが、半年もたてば森の奥から新しい大物モンスターがやってきて元の木阿弥になっている。


 俺個人としては、新たなボスである奴とは消極的な共生が可能だと考えているだけに、ジジイが奴を倒せるのだとしても、歓迎しがたい。


 まだこの都市には到着してないが、騎士と出会えば絶対に揉めることも間違いなしだ。


 奴の首をねらう二人のバカが、これからどれだけトラブルを起こすのか?


 想像するだけで胃が痛い。


 女史の入れてくれたハーブティで一息つく。

 出来れば、この平和な瞬間が永遠に続けばいいなぁなどと考えていたら、突然荒々しく執務室のドアが蹴り開けられた。


「大変だ、ギルマス! 門前に、大森林の漆黒の覇王が現れた! 運良く剣聖様が到着していたおかげで今は睨み合いになってる。今すぐ来てくれ!」

「ブッフウウウウウウッ!?」


 口の中のお茶を全力で吹き出してしまった。


「……昨日の日付けで辞表を出そうと思うんだが、どう思う?」

「公文書の偽造は重罪ですよ?」

「だよな~」


 いそいそと雑巾を取りに行く女史の言葉に、押っ取り刀で装備を身につけて走り出す。


 どうか、騎士まで鉢合わせしませんように……



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