第二話 アルメリアのせい


 アルメリアの花言葉 同情



『こら、穂咲。それは着ちゃだめだ。パパは許さないからな……』



 俺の中には。

 おじさんがいて。


 話してくれた言葉の全部を。

 思い出すことができる。


 でも、困ったことに。

 それにはこうして。

 随分と時間がかかるのです。


 それが一日かかるのか。

 一ヶ月かかるのか。

 ものによって、まちまちですが。


 今日は、フレーズの一つを。

 ちょっとしたきっかけで思い出すことが出来ました。



「こら、穂咲。それは着ちゃだめだ。パパは許さないからな……」



 着ちゃだめだ。

 その言葉に続く言葉を思い出せたのですけれど。


 その後に、まだ何か言っていたことも併せて思い出し。

 どんなフレーズだったのか。

 未だに思い出せません。


 でも、途中まで出て来た言葉から連鎖的に思い出された事実は。

 結構深刻で。


 おじさん、あの時。

 本気で怒っていたようなのです。


 それを聞いた穂咲は。

 今日のように。


 ウェディングドレスのまま大声で泣きだして。

 そして逃げ出してしまったので…………?



 あれ?



 どうにも記憶があやふやなのですが。

 おじさんは本気で怒っていたはずなのに。


 叱られた穂咲は、嬉しそうに笑いながら。

 おじさんに抱き着いていた気がするのですけど。



 これ。

 どっちが正解?



 どうにも気になって仕方ない。

 意志を持って封印したような記憶の扉。


 そこにかけられた鎖を。

 強引に引きちぎってみましょう。



 ――あの時、穂咲は。

 ドレスを脱いでパンツ一枚になると。


 泣くどころか。

 随分と嬉しそうに。


 のこのこと俺の元にやってきて。

 そして、手にしたドレスを…………。



「やめてっ!?」



 …………なんてことだ。



 俺は、とんでもないものを掘り当ててしまった。



 これは。

 将来の自分が。


 正しく、真っすぐに生きて行けるように。


 子供の頃の俺が。

 強引に封印した忌まわしい記憶。


 俺は、十数年越しに。

 そんな記憶にかけられたお札を剥がして。


 決して開いてはいけないと言われていた箱から。



 絶望を。



 世に解き放ってしまいました。



 なんという事でしょう。

 こんな忌まわしい魔物。

 再び封印できようはずもありません。


 せめて記憶のその先に。

 箱の底に、希望は無いのだろうか。



 毒を食らわば皿まで。

 俺は閉ざされようとする扉を強引に開いて。


 再び記憶の再生を開始すると。



 事もあろうに。

 鏡に映ったドレス姿の俺は。



 嬉しそうにはにかみながら。

 くるりと一回転して。



 親指を噛んで。

 ウインクしていたのでした。



「やめてくれええええええっ!」



 ……俺が随分長い事。

 お嫁さんに行けない理由が今判明いたしました。




 ~🌹~🌹~🌹~




「すいません。いませんでした」


 工房の前。

 一番見晴らしのいい場所にクラスの皆がいて。


 俺の到着を待っていたようなのですが。


「どうした道久」

「深淵に潜む魔物に呪いでもかけられたような顔してるぞ?」

「当たらずとも遠からずなのです」

「ほんとに大丈夫か?」

「箱の最後に残っていた『ハズレ』の紙を見たパンドラみたいな顔してるぞ?」

「言い得て妙なのです」


 意外にも、結構気軽に。

 よろよろと歩く俺をいじる余裕があるということは。


「見つかったのですか?」

「ああ、いた。……というか」

「どこにいるかは分からん」


 なんですか、その禅問答。


 いぶかしむ俺に。

 六本木君が渡してきた携帯の表示画面は。

 ローカルニュースの特集ページ。


 そこには。

 今朝から世間を賑わせている。

 謎の生命体の目撃情報が。

 時系列順に並んでいたのです。



 『ウェディングドレスでお年寄り救助』

 『迷子をおぶって母親を捜す花嫁さん』

 『式から逃げた新婦!? 橋から落ちかけて助けを求める』



「…………事件のあった場所を辿ると、家の方へ向かっているようですけど」

「さらに進めば学校だ」

「冗談じゃない。卒業式にそんな格好で現れたら、何から卒業する気なのだと先生に小一時間は問い詰められます」

「お前がな」

「ええ、俺が」


 穂咲の影武者として。

 生涯を過ごしてきた俺には。

 簡単に描くことのできる未来予想図。


 卒業式の後。

 演壇の前でずっと立たされることになるなんてまっぴらごめん。


「藍川研究家の秋山としては、どこに向かったんだと思う?」

「研究などした覚えはありませんけど……、多分、家でしょうか……」


 つい今しがた。

 穂咲の居場所を外したばかりの俺が口ごもると。


 皆さんに。

 小さな動揺が湧きおこります。


 いけないいけない。

 気をつけないといけません。


「基本臆病者な穂咲ですし。きっと今頃、部屋でごろごろしていますよ」

「じゃあ、連絡してみろよ」

「お店の電話? 逃げた後で出るはず無いでしょうに」

「携帯には?」

「それが、これこの通り」


 俺はポケットから。

 旅先で無くしたら大変だからと預かった。

 ピンクの携帯を取り出します。


「家には入れるの? 鍵は?」

「それなら、これこの通り」


 俺はポケットから。

 旅先で無くしたら大変だからと預かった。

 家の鍵を取り出しあああああああ。

 

「た、大変なのです!」

「ちょっと! なんで秋山が持ってるのよ!」

「それじゃ、家に入れないって事!?」

「おばさんのキーホルダーを持って行くはず無いですし……。あいつ、どうする気でしょうか」


 心配になって携帯を見てみると。

 最新のニュースは『お手柄! 交通整理をする花嫁さん!』。


 事故のあった交差点は。

 ここと地元駅との。

 大体中間地点辺り。


「……穂咲一号。勢力を拡大しながら時速四十キロで南下中なのです」

「交通手段は何なんだ?」

「さあ。天災に常識など通用しないのです」


 でも、これだけはっきりとした情報があるので。

 おじいちゃんたちが無事に保護してくれることでしょう。


 最後のニュースが。

 空き地で野宿するドレス女子とか。


 そんな事態にはならないはずなのです。


 いや、そもそも。

 その空き地のお隣りには。


 頼りになる皆さんが……。



「よう、秋山! とうとう結婚かよ!」

「カンナ君! 冗談か本当か分からないうちにそんな挨拶は……」

「センパイ! ご招待いただいてありがとうございます!」

「お、お店をお休みにして、全員で来てしまいました……」


 そうでした。

 おばさん、ワンコバーガーの皆さんもご招待したとか言っていましたっけ。


 これ。

 結構まずい?


「あれ? バカ穂咲はどうした? まさか逃げられたとか?」

「そのくだりはさっきやりました」

「ええっ!? 藍川センパイ、逃げちゃったんですか!?」


 俺が頷きを返すと。

 全員でわたわたと大騒ぎ。


 晴花さんと小太郎君と雛ちゃんが。

 みんなから離れて、次の一言を拒否する中。


「だ、大絶賛逃走中~♪」

「大体どの辺逃走中~?」

「それ、やめなさいって」


 久しぶりに。

 瑞希ちゃんと葉月ちゃんが。

 俺をイラっとさせたのでした。



 ……まあ。

 慌ててもしょうがない。


 まさかこの人数で。

 穂咲を探しに行くわけにもいきませんし。


「よし! それでは式の準備を始めましょう!」


 俺が宣言すると。

 みんなは、無言のまま息をのみ込んだのでした。


「今日はもともと、ここの教会を式場として改築するためのアイデア集めが目的のリハーサルなのです。女子の中で、ご協力していただける方はいませんか?」


 しかし、そう聞いたものの。

 こんな緊急時に。

 俺なんかのお相手をしてくれようという女子などいるはずもなく。


 お互いに顔を見あって。

 苦笑いを浮かべる始末。


 むむむ。

 ここはどうしたら……。


「よし! そういう事なら仕方ありませんわね!」

「あれ? 会長、いつからいたのです?」

「……このままではリハーサルが始まらないので、し、仕方がないのでわたわたくしししが、その、お相手を……、こほん! では、ドレスを着てまいりますので秋山道久は教会でお待ちなさい!」

「はあ」


 いつの間にやらそばにいた主催者が。

 妙な足運びで村の奥へ歩き始めると。

 葉月ちゃんが慌てて後を追い。

 瑞希ちゃんが俺に質問してくるのです。


「データ取ったりするのに、自分で花嫁役なんですか?」

「はあ。でも、会長の事ですから何か意図があるのだと思いますけど」

「へえ~! でも、ドレスは藍川センパイが着ていったんじゃ?」

「いえ、それがですね。数百着のウェディングドレスが飾られている家がありましてですね。そこのドレス、使い放題なのです」


「「「「「なにそれ見たい!!!」」」」」


 うおっ!?


 俺たちの話を聞いていた。

 この場にいる女子一同。


 揃いも揃って。

 会長たちの後を追うのです。


 ……そんなにいいものでしょうか。

 あの、忌まわしきドレスが。


「どうした道久。顔色が悪いぞ?」

「まあ、気持ちは分かる」

「気丈に振る舞ってても、逃げられたんだもんな」


 いえ、そっちではなく。

 ついさっき知ったトラウマが。

 胃の辺りを激しく絞っているだけなのですけど。


 勝手に同情して。

 肩を叩いて励ましてくれる面々に。


 女装変態趣味を幼少期に抱えていた事実など。

 今更話すことなどできません。


「まあ、気にするな」

「マリッジブルーとか。そういう感じのやつだろ?」

「お前ら、ずっと二人でいたからな。そういうの起こりやすいって聞くぜ?」

「……はあ、そうですね。こんなに落ち込むなんて我ながら驚きなのです」


 適当に話を合わせていたら。

 だんだん。

 ほんとに落ち込んできたのですが。


 そんな気持ちを悟られたくなくて。

 教会を目指して歩き出すと。


 みんなは余計に心配したらしく。

 次々に慰めてくれるのです。


「大丈夫だって。あのスーパーじいさんたちが探しに行ったんだろ?」

「バカ! 道久のため息はそっちの理由じゃねえっての!」

「気を落とすなよ。まだまだ長い人生、藍川以上の女がお前を待ってるって」

「てめえも黙れ! 道久が穂咲ちゃん以外の女で妥協できるわけねえだろ!」


 ……なんだか。

 慰められているのか何なのか。


 よく分からないケンカが始まったのですが。


 ひとまず。

 感謝だけはしておきましょう。



 ――昨日とはうってかわって。

 本日の教会は。

 その、白い荘厳な内装が。


 幼い俺を。

 拒絶しているように思われます。



 おじさんとおばさん。

 父ちゃんと母ちゃん。


 結構若い頃に結婚したものと聞いているのですが。


 俺は、十八にして。

 未だ結婚の何たるかどころか。

 恋すらよく分からず。


 こんなことで。

 人生を渡って行けるのでしょうか。



 みんなが、急に押し黙って。

 入り口の辺りで足を止める中。

 俺は木床をきしりと響かせながら。


 祭壇の目の前まで足を進めます。



 見上げる先には。

 純白の女神像。


 その瞳は、遥か遠くと同時に。

 俺の心の中を覗き込むのです。



 穂咲のことを。

 好きなのか嫌いなのか。


 穂咲と。

 どんな関係になりたいのか。


 実は、恋や大人になるということから。

 体よく逃げていたのに。


 それでは格好が悪いから。

 穂咲のことを言い訳にしていた。


 そんな真実を。

 見抜かれている心地。



 そしてとうとう答えを出そうとしていた。

 俺の本心。


 誰もが苦しむ、恋の過程を。

 俺は耐え抜く気概も無くて。


 だから、穂咲に。

 一番近くて気軽なあいつに。


 告白しようとしていたのです。



 ……好きなのか嫌いなのか。

 分からぬままだったというのに。



 誰もが声をかけることをためらっている中。

 俺は女神像に膝をついて。

 両手を組んで祈ります。


 そういう逃げの気持ちじゃなくて。

 ちゃんと、心から好きになって。


 あいつと笑える日が来るまで。

 一生懸命頑張りますから。



 だから、今回の事は。

 なんとか見逃して?

 罰とかあてないでくださいね?



「……秋山。お前……」

「そこまで藍川の事を……」


 後ろの皆さん。

 何かを勘違いして。


 涙ぐんで俺を見つめているようですけど。

 これ、さすがに白状した方がいいですよね。


「このままでは罰が当たるので、もろもろ白状しますとですね……」

「なんでお前に罰が下るんだ!?」

「こんな純粋な気持ちに罰を下そうとする神なら、俺は断固として戦う!」

「俺もだ!」

「いえいえ。ちょっとそうじゃなくって……」

「何も言うな道久!」

「藍川だって、ちょっと不安なだけだって!」

「そうだよ! 穂咲ちゃんはお前の事好きだから!」


 ああ、まいった。

 同情の押し売り。

 ここに極まれり。


 これ。

 罰が当たること確定なのです。


「ああ、目に浮かぶ。一番最寄りでお手軽な罰は、ウェディングドレスの女子が一人も出てこないとかそういうやつ」

「そんなことねえって!」

「ああ、なんなら、俺が着て来てやる!」


 ……それはノーサンキュー。


 俺が、どうやってみんなを止めようか。

 考えあぐねていたその時。


 ウソのように。

 大騒ぎが止んだのです。



 そんな一同は。

 揃って教会の入り口の方を向いて。


 何かに畏れ。

 海を割るように道を開けると。



「あ…………」



 俯いて。

 少し怯えるように肩をすくめた会長が。


 全ての美を圧巻するほどの装いで。

 ブーケを胸に。

 教会の入り口に立っているのでした。



 誰もが呼吸を忘れるほどの宝石が。


 一歩、一歩。


 静かにバージンロードを進むと。



 その半ばで。

 今まで伏せていた顔を上げたのですが。



 ……俺は。


 その時。


 ハンマーで頭を叩かれたかと思う程の衝撃を受けたのです。



「…………会長」

「…………ん」

「……………………なぜふくれっ面?」



 大玉スイカよりも丸く膨れた会長は。

 俺の言葉を耳にしながら肩を震わせると。


 静かな教会を震わす程の大声をあげたのです。


「秋山道久ぁ!!! あなたと言う人が余計なことを言うから! これでどうリハーサルをすればいいというのです!?」


 そして会長が震える指を向けた教会の入り口から。

 きゃあきゃあとはしゃぎながら。


 闖入して来るウェディングドレス。

 総勢十九人。


「いやーっ! 着たくなっちゃうわよね!」

「そりゃしょうがないっしょ!」

「んで? 秋山の隣に立ってりゃいいの?」

「しょうがないなー。それが終わったら写真撮ってよね!」

「あ、あたしもー!」


 ……花嫁さん。

 一人も出てこないどころか。



 ジャックポット。



「……あれ? 罰は?」


 一瞬、首をひねった俺ですが。

 すぐにその内容が。

 明らかになったのです。



「てめええええ! 道久ああああ!」

「これのどこが罰だって!?」

「地獄へ落ちるがいい!」

「いいや! それじゃ生ぬるい!」


 男子一同、手のひらを返して。

 俺に襲い掛かると。


「ちょおおおっ!? なぜ服を脱がせます!? ……はっ! まさかそれはっ!」


 誰が持って来たのやら。

 それはにっくき。

 純白のウェディングドレス。



「やめてっ!?」



 こうして、俺の中の悪夢が。

 十数年という歳月を経て。


 現実世界に蘇ることになったのでした。



 …………しかし。

 こんな大騒ぎをしている間。


 おじいちゃんたちから。

 まったく連絡がありませんけれど。


 ほんとに穂咲。

 大丈夫なのでしょうか?



 明日の卒業式を前に。

 俺は、心の全てがあいつへの心配で満たされることになったのでした。





 ……ええ。

 他のことは。


 一切考えたくありません。



「なにそれ似あってる!?」

「ほんと! 秋山、綺麗!」

「ぎゃはははは! おい道久! 俺が嫁に貰ってやろうか!?」

「いいや、俺のもんだ!」

「悔しいけど、ほんとに綺麗よね……」

「負けたわ……」



 ええ、一切。



 考えたくありません。


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