「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 30冊目🌸 『思い出は いつか心にとけて』

如月 仁成

第一話 ワスレナグサのせい


 秋立 最終巻

 思い出は いつか心にとけて



 ワスレナグサの花言葉 思い出




「こら、穂咲。それは着ちゃだめだ……」



 ――俺の中にはおじさんがいて。

 どうしたらいいかわからない時や。

 誰かを悲しませてしまった時。


 いつも俺に。

 優しい言葉をかけてくれる。



 でも、俺の中のおじさんは。

 かつて俺に話してくれたことを。

 繰り返すだけなので。


 だから。


 今日のおじさんが。

 珍しく怒っているのは。


 昔どこかで聞いた覚えがあるからなのです。



 あれは。

 そう。


 洋館が建ち並ぶ。

 不思議なところ。


 焦げ茶に囲まれた。

 紅茶の香りがするお部屋で。


 俺は瞬きもせず。

 地上に舞い降りた天使を見つめていたのです。



 きらきらと輝くドレスは。

 透明の波に浮かぶ花の白波。


 刺繍の一つ一つ。

 どこを切り取っても一生の宝物。


 それが窓辺に落ちたお日様の光を全部集めて。

 清楚なのに神々しくて。

 まるで銀糸で編まれた彫刻のよう。


「えりんぐどれすって言うんだよ」


 そう、君は自慢げに。

 くるりと一つ回ったので。


 俺は、こんな綺麗なドレスには負けちゃったと思いながらも。

 彼女を見るまで、世界一かっこいいと思って自慢げに見せに来た服で。

 くるりとお返しをしたのです。


「みちーさくんのもかっこいいの」


 よほどしょんぼりとしていたのでしょう。

 彼女が気を使って褒めてくれたので。

 俺は小さなプライドをくすぐられて嬉しくなりました。


 だから。


 ずっとそうして、俺を褒めてくれるなら。

 こんな綺麗なドレスを着た女の子を。

 お嫁さんにしてあげるのも悪くないと。


 小さな花嫁さんの手を取ったのです。


 すると彼女は恥ずかしそうに。

 えへへと、歯が何本か抜けた笑顔で俺を見つめてきたので。


 俺は、花嫁さんの真っ赤な顔をうつされて。

 ぽっぽと熱くなるほっぺを押さえながら。


 何か言わなきゃいけないと慌てて考えて。

 つい、正直に。

 君のえりんぐどれすの方が、俺の服よりかっこいいと言ってあげたのです。


 すると彼女は。

 よっぽど恥ずかしかったのか。


 俺の胸に顔をうずめてしまって。

 もじもじとして。


 俺のえりんぐどれすが汚れちゃうからやめてとお願いすると。

 ようやく顔を離して。

 そして教えてくれたのです。


「みちーさくんのは、えりんぐどれすじゃないんだよ」

「へえ。俺のは何ていうの?」


 すると花嫁さんは。

 俺の耳に唇を寄せて。


 小さな声で。

 恥ずかしそうに教えてくれたのです。



「みちーさくんのは、しゅうじんふく」



 そして呆然としたまま。

 立ち尽くしていた俺は。


 ほっぺに鼻と唇をくっ付けられて。

 囚人の烙印を押されたのでした。




 ~🌹~🌹~🌹~




「逃げ出したじゃと!?」

「いいえ。ご覧の通り掴まって、地面に突き立てた棒に括りつけられて立たされています」

「貴様のことなどどうだっていい! ええい、誰か穂咲ちゃんの行方を知っている者はおらんのか!」


 この場にいる皆さんの内。

 俺とおじいちゃんだけが結婚式の流れを確認するだけの日と認識している、良く晴れた本日。


 俺が七度目の逃亡に失敗している間に。

 気付けばしれっと、穂咲だけが逃げ出した模様。


 丘の上、工房の前の一等地。

 未だに雪が残る斜面を見下ろして。


 俺が寒さに身を震わせていると。

 おばさんが、えらい剣幕で噛みついてきたのです。


「道久君のせいなんだから、ちゃんと探しなさい!」

「おばさんはいつも面白いことを言いますね」


 穂咲が逃げたのは結婚式が嫌だからですし。

 探そうにも、棒に括られたカカシではどうしようもありますまい。


 唯一、俺のせいと考えることができるとすれば。

 凄腕のスナイパー、新堂さんが。

 俺の尻ばかりを狙ってエアガンを撃っていたから。

 逃げ出す穂咲に気付かなかったのです。


「穂咲、どこで見失ったのです?」

「ダリアさんと一緒にウェディングドレスを着せて、あんまりかわいいからネットにアップしようってことになって撮影の準備をしてる間に……」

「そりゃあ目立つ逃亡者もいたものなのです」


 ……マイクロバスでやってきたクラスの連中は。

 眼下の駐車場で点呼を取っているところ。


 花嫁がウェディングドレス姿で逃げたという珍事を知ったら。

 俺を、目一杯からかう事でしょう。


「早いところ見つけ出したいのです」

「ほっちゃん一人だと心配!」

「ええ。その通り」

「かかわった人たちが!」

「国が」

「貴様ら! 穂咲ちゃんの事を心配しないとはどういう了見じゃ! それと貴様は、国が心配などそんなバカな話があるか!」

「いえ。心底心配」


 だってあいつ。

 ほんとになにやらかすか見当つかないんだもん。


 おじいちゃんは、大層憤慨して。

 俺を棒ごと地面から引き抜くと。

 さかさまにして雪の中に刺してしまうのですが。


 頭を冷やせとか。

 うまいことを言いますね。


「馬の骨久君では当てにならん! なんとしてでも見つけ出すぞ! おい!」

「お呼びでしょうか、旦那様」

「状況は! 掴んでおるのじゃろう!?」


 いつものように。

 おじいちゃんの後ろにひかえていたおばあちゃんが。


 落ち着いた声音で。

 でも、面白いことを言い出します。


「ご安心ください。平均年齢八十八歳の大ベテランお庭衆、『リバーサイド・エンジェルズ』がしっかりと尾行しており、新堂に随時連絡を入れております」

「でかした! おい、新堂! 電話機を見せるのじゃ!」


 ああ突っ込みたい!

 でも、雪の中じゃしゃべれない!


 なにそのチーム名!

 と言うか、何の川っぺりにいるのさ皆さん!


「うむむ……、この地名は、どこの事じゃ?」

「さあ。私にも分かりかねます」

「おい、誰か知らぬか! 『まかれた』とはどこの事じゃ!」

「いやいや、お義父様。それ、地名じゃありません」


 リバーサイド・エンジェルズ。

 いよいよ役立たず。


「なんと、撒かれたということか! 手分けして探すのじゃ! 家の者を総動員せよ!」


 そして、鶴の一声に弾かれるように。

 藍川家の面々が。

 駐車場へと下りて行ってしまいましたが。


 穂咲のことです。

 車も無しで、遠くまで逃げる事なんかしませんって。


 きっと、この村のどこかに隠れているのです。

 そのことを伝えたいのに。


「もがあ……」


 雪の中って。

 口下手になるものなのです。



 そんな慌ただしい皆さんと入れ替わりに。

 近付いてきた足音はクラスのみんな。


 さかさまに刺された俺を見ても。

 誰だかわからずに、きっとスルーしてしまうでしょう。


 なんとかアピールして。

 ほどいてもらわないと……。


「おおい、道久」

「どうして今日は逆さまに立たされてるんだよ」



 ……おかしい。

 なぜノータイムで俺だと分かる。



「それ、秋山なの?」

「だって立たされてるじゃねえか」

「そうね。確かに」


 この状態を立たされているとカテゴライズするのは。

 いくらなんでもどうかと思うのですけど。


 それよりも。

 俺のアイデンティティーって。


「しっかし、年貢を納めたと思ったらそのままゴールインとは!」

「羨ましいやらご愁傷さまやら」

「……で? 花嫁はどうした?」

「まさか、逃げられた?」

「このかっこ見りゃ、そりゃ逃げたくもなるよな!」

「返事くらいしろよ、道久」


 返事が欲しかったら早く引き抜け。


 俺が、辛うじて動く体のパーツをじたばたとさせると。

 ようやく数人がかりで俺を引き抜いてくれたのですけど。


「花嫁に逃げられて、会わせる顔が無かったからそうしてたのか?」

「六本木君にしてはうまいことを言うのです。それよりとっとと穂咲を見つけないと、式場チェックの時刻に間に合いません」

「え?」

「なんだ、ほんとに逃げられたのかよ道久!」


 ああそうですよ。

 笑わば笑え。


 でも、俺が甲斐性なしと言う訳ではなくて。

 多分、穂咲が嫌がっていたのは……。


「ええとですね。あいつ、この村のどこかにいると思うのです」

「お? 宝探しか?」

「それじゃ見つけたら一割貰うわよ?」

「あたし、穂咲ちゃんのお料理貰う!」

「その部分はあいつの十割なのです」


 俺は、ようやく棒から解放してもらったところで。

 みんなを煽るために。

 発見報酬について説明しました。


「最初に発見してくれた人には、好きな人を指名して結婚式体験をプレゼント」

「「「「「乗った!」」」」」


 おお、安いお客さんだこと。

 これなら俺も穂咲も。

 いやいや式の真似事をせずに済みそうです。


「では、よろしくお願いします」

「任せとけ!」

「さあ、張り切って探すわよ!」

「ぜってえ最初に探してやる!」


 うーん、頼れる。

 そして下らない遊びに付き合ってくれた駄賃に。

 エンタテインメントを提供した俺グッジョブ。


 でも、みんなが勇んで村の中へ飛び込んでいく中。

 一人、先生だけが残っています。


「先生は、クラスの女子と結婚式体験したくないのです?」

「ばかもん。それより下らん遊びに巻き込みおって、どういうつもりだ」

「いいじゃありませんか。卒業前、最後にみんなと旅行出来て」

「答えになっておらん」

「そうは言いましても、穂咲のおばさんが勝手にやったことですから、俺は知りません」

「……では、藍川のお母様を立たせなければならんな。その前に、ここの責任者へ挨拶をしたいのだが」


 まあ、そうですよね。

 今頃、村の至る所で。

 盗賊団が押し入ってきたような有様になっていることでしょうし。


 俺は、先生に千草さんを引き合わせて。

 厄介払いをしたところで。


「さて。では俺も探しに行くとしますか」

「ん? 貴様は式の真似事をしたくないのではないのか?」

「さすがに鋭くていらっしゃる。……でも、ちょっと違うのです」


 眉根を寄せたままの先生を放っておいて。

 俺は千草さんの工房を後にします。


 ……式の真似事をしたくない。

 でも、それは穂咲がしたくない事はしたくないということで。


 結婚式そのものは。

 きっと簡単にできるのです。


 あと。

 口では文句を言ってますが。



 俺の方は、やぶさかでも無いのですよ。



 ――至る所から上がる笑い声が。

 普段は静かなこの村の。

 明日の姿を予見させます。


 きっと、式場がオープンしたら。

 今よりもっと幸せに満ちた村になることでしょう。



 結婚式。



 それは、誰にとっても幸せで。

 そして家族の皆には、ちょっぴり寂しい。


 無理やり作った笑顔で。

 幸せな半身を表に出さないといられない。


 だから、心から。

 心の底から。


 誰もが笑う。


 きっとそんな日なのです。



 穂咲も。

 昨日は、おばさんの結婚式に涙しましたけど。


 自分の結婚式は。

 例え真似事でも。

 嬉しいはずなのです。



 でも。



 ひとつだけ。

 喜ぶことができないその理由。


 それは、きっと。


 大好きなあの人に。

 叱られるから。




 『こら、穂咲。それは着ちゃだめだ……』




 俺が一生のすべてを失って。

 穂咲がドレスでくるくると回っていたあの日。


 おじさんが、珍しく。

 本当に珍しく。


 穂咲を叱りつけました。



 穂咲が言ったこと。

 結婚式はしない。


 つまりそれは。

 ウェディングドレスを着たくないという事。

 それに相違ありません。


 多分。



 恐らく。




 そうであってほしい。





 お願いします。





 ……おじさんに教えてもらうまでは。

 捨てられた子犬気分で満たされていた俺も。


 理由さえ分かれば。

 穂咲の言っていることについて心底納得。


 でも。

 おじさんの言葉の方は。


 理解はできるのですが。

 納得するにはパーツが足りず。


 それと言うのも。

 あの言葉には。

 続きがあったような気がするからです。



 ウェディングドレスを着て欲しくない。

 その言葉に続いた、おじさんの気持ちは。


 父親として。

 素直な言葉だったはず。


 でも、あのおじさんが。

 そんなことを口にするでしょうか。


「…………穂咲と話せば、理由が分かるかな?」


 あいつの隠れた場所は。

 ひとつしかあるはずもなく。


 暖房も無いところですし。

 急いで行ってあげないと。



 一昨日のこと。

 二人だけで探検して。


 宿屋で見つけた屋根裏部屋は。


 小さな窓に。

 小さなベッド。


 穂咲曰くの。

 新婚さん向けなお部屋。


 結婚式の後。

 新婚旅行へ行って。

 帰ってきたら。


 こんなお部屋に。

 ただいまって言いたい。



 穂咲の小さな物語は。

 俺の心をあたたかくして。


 同時に。

 ざわざわとさせたのです。



 白い扉を開いて、厨房にいらっしゃったご主人さんへ声をかけて。

 心地よい鳴き声を聞かせてくれる廊下の突き当り。


 淡い木目の浮かんだ扉を開いた小部屋に。

 出しっぱなしの、折り畳み式の階段。


 ここまでは気にせず歩いてきたのですが。

 俺は、天井の扉を床から見上げたまま。


 胸の鼓動が邪魔をして。

 どのタイミングで足を階段にかけたらいいのか分からなくなりました。



 あの扉の向こうに。

 ウェディングドレスの穂咲がいる。



 それは、まるで。

 お嫁さんを迎えに行くためのバージンロード。


「……普通は、途中で待っている俺のところまで来るものでしょうに」


 でも。

 その道の途中まで。

 君を運んでくれるおじさんはもういないから。


 俺が。

 俺から。


 迎えに行かないといけないのですね。


「ええと、何て言いましょうね。君は普段着でいいから、結婚式に行きましょう」


 ううん。

 なんか違う。


「式場まで、エスコートさせていただきます」


 ……うおお。

 恥ずかしい。

 キザ久君とか呼ばれそう。


「じゃあ……、一割貰いに来ました」


 何を。

 賞品の話を知らないと意味が分からないし。

 そもそも、そんな控えめなプロポーズありますか。

 十割貰わんでどうする。


 …………いやいや待て待て!

 ぷろぽーず?

 俺は一体何を考えているのでしょう。



「ええい。もう、行き当たりばったりでいいのです!」



 激しく打つ鼓動。

 手すりを掴むと、手の平が汗ばんでいたことに初めて気付く。


 足の運びは慎重に。

 目は、真っすぐ扉を見つめて。


「……穂咲。ちょっとお話を聞いて欲しいのですが……」


 扉を開いて顔を覗かせて。

 視線を泳がせながら、情けない言葉をかけると。


 モノトーンの小部屋の中。

 小さな窓から差し込むひし形だけがカラーに塗られた、さらに小さな空間に。


 キラキラと輝く、銀糸で織られたかと見まごうウェディングドレスを着た小さな花嫁さんが。


 何かにおびえるような顔で。

 胸にブーケを抱いている姿が。




 …………どこにも見当たりませんでした。




「これは、一気に心配になってきました」




 国が。

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