第54話
「おひい様、おはようございます」
「……おはようございます」
ぺこ、と軽く頭を下げれば、おひい様はそんなことをしなくていいんです! と言われるが、前世ではお辞儀をするのは習慣だったし、コミュニティでは許されていたので許してほしい。
起きて身支度を整えて、前なら自室になりつつあるこの個室で食事が始まったのだが、先日から変化があった。
メイドさんに手を引かれて誘導されながら廊下を歩いて少し、別室に移るとツヴァイがまずはにこりと笑って出迎えてくれた。
「おはよう、ミル。よく眠れた?」
「おはよう、おにいちゃん。たくさんねた」
緩く両手を広げて寄ってきたツヴァイに、ハグの流れですね、と受け入れ体勢に入った私の前にメイドさんが割って入った。
「いけません。男女が気安く抱き合うなんて、はしたないですよ」
「兄妹だったら普通だろ。それにはしたないって何さ?」
「いけないことなんです。とにかく、いけませんよ、ツヴァイ様。適切な距離を保ってください。おひい様の為、ツヴァイ様の為ですよ」
出た、大人の子供を黙らせる為の強引な話の終わらせ方。これって子供が一番反発するし、嫌がるやつだ。
勿論、ツヴァイもこういうのは嫌いだ。
物言いたげな唇は今にも開きそうだったが
「おはよう」
「おはよう、にいさん」
アインスが加わったことでツヴァイは唇をへの字にする。
私達は先日から一つ屋根の下(※城)で暮らし始め、食事を共に頂く機会を得ていた。
既に準備が整っているテーブルを前にして、アインスは慣れた手つきで私を席までエスコート。出番を取られたツヴァイが不満そうな顔になるのは何度目か。
着席して食事が始まると、ツヴァイが主に会話を回してくれる。
私とアインスだけでは沈黙の食卓になりかねないところだが、ツヴァイが居てくれることでどうにか会話のリレーが続くのだ。
こんなに平和なのはいつ以来だろうか。
この穏やかな時間をもぎ取ってくれた国王様には感謝しかない。
城で三人とも預かろうか、とまるで親戚の子を自宅に預かる的な軽さで言ってのけた国王様に、場所の問題やら三人の身の置き所やらで大人達は騒いだ。
それはそうだ、城は託児所ではないし、彼等は子供を手元に置きたいのであって預けようとは思ってもいない。
いくら提案したのが国のトップでも、はいそうですか分かりましたとノンストップで受け入れるのは難しいものがあろう。
しかしまあ、眩いばかりに光り輝く国王様はきらきらぴかぴか光りながら
「でもね、嫌がってるからね、離れるのを。そこはね、話を聞いて考慮してあげないとね、大人として」
だってねえ、こんなに愚図るんだから、先ずは要求飲んでみようよ、とばかりの緩さであり、一旦折れてやろうよという寛容な大人の対応であった。
これで全員が納得したわけではないし、何ならアインスとツヴァイの親族は最後の方まで二人を連れて帰ると声を大にしていたのだが、相手は国王様である。
最後の最後まで国王様が意見を変えないとなると、臣下が意見を変えざるを得ない。
渋々というオーラを滲ませながら帰っていった大人達の背中を見送った後、残された私達はすぐに各々部屋に連れていかれた。
国王様いわく「子供はもう寝る時間」だったからである。
それから、一晩明けて朝。
朝食の席でアインスとツヴァイと再会してほっとして、これからは城でこの国についての諸々を学びなさい、という伝言を受け取った。
諸々というと、どこまでのことだろうか。
その辺りがはっきりしないが、学べる立場というのは大変有り難いものだ。
これからの生き方について考えるにしても、まずは学ばなくてはどうにもならないので、甘えられる内に甘えておこう。
決めてしまえば、気は楽になった。
兄達と一緒だし、学ぶ場を得たし、衣食住に安全も完備され、その上でメイドさんまでついてくる。
目下心配しなければならないことが無いので、食事も美味しく食べられた。
オレオルシュテルンでの食事が不味かったわけではないが、グランツヘクセは素材の味が濃くて料理がどれも美味しすぎるのである。
そのせいで、ついつい限界を見誤って苦しくなるのだが、それも今までの話。
ツヴァイとアインスが見ていてくれるので、限界に近付くとストップをかけてくれる。助かる。
適量の食事を終えれば、一旦解散。スクールを既に卒業しているアインスと未就学児であるツヴァイと私とでは学習出来る内容が大きく異なる。
ツヴァイと私は一般教養や魔法についてを初歩から。
アインスは魔法については学んだことがないのでそこは初歩から、そして作法や国の歴史についてなどを教わっているのだとか。
最初こそツヴァイと机を並べていたが、学習スピードがあまりに違うのですぐに別々で勉強することになったのは、何となく悔しい。
これでも云十年という人生の経験がある上に、ツヴァイより若……幼く知識の吸収では負けないはずなのに。
どこまでも兄達は優秀なので、その背中をひいこら言いながら追いかけないといけない現状だが、教師役の大人達は私の事も優秀だと言ってくれる。
手放しで褒められるのは照れ臭くも嬉しく、学んで理解出来れば勉強は楽しい。
楽しい日々は前の特上軟禁(異論は認める)の頃とは違って、光陰矢の如しとばかりに過ぎていく。
その間にアインスとツヴァイは何度となく親族と会って話をすることが求められ、その度にげんなりしていたが、それはまあ今の暮らしを保証されるなら受け入れてもらうしかない。
さて、何やかんや学んでいて優秀だとされる私ですが、何故かまだ魔法が使えません。
ええ、使えません。火も水も出せない、風は吹かない、土も動かない。
ええ、使えません(大事なことなので二度言った)。
教師である大人達も戸惑うレベルで魔法が使えなくて、これはもう、本格的にダメなんじゃないかって思い始めてきました。
座学が進む中で実技は進まない。解せぬ、と腕組みをしていたら、お茶の時間だとメイドさんに声を掛けられる。
丁度甘いものが欲しかったので嬉しいタイミングだ。
いつも通りに手を引かれて、今日はツヴァイのエスコートで席につき
「勉強の方はどう?」
あえて名指しではなかったので、共通の話題として出されたのだろう。
カップを手にしたアインスがちらりと此方に視線をくれたので、私から話してもいいようだ。
「まほうがつかえない」
率直に困っているのはこれだ。
役に立たなくても何かしらの魔法が使えるなら良いが、魔法使いの国に来て本場の魔法使いに教わっているのに何も出来ないのはまずかろう。
真剣に悩んでいるのだが、小ぶりの焼き菓子を一口齧ったツヴァイは可愛らしく笑って
「ミルはまだ小さいんだから、仕方ないよ」
「年齢が関係あるかは俺には分からないが、そう焦る必要もあるまい」
アインスの方は特に表情を変えずに、私のような幼い子供がちゃんと机で学習していること自体偉いものだと持ち上げてくれた。
それはまあ、私の年頃(せいぜい3才~4才)で大人しく座って授業が受けられるのはそうかもしれないが。
何せ、中身は◯◯歳。それで褒められても微妙な心持ちになり、甘いお菓子をざくざくと齧る。
「ミルは出来る子だから、もうちょっとしたら使えるようになると思うよ」
二つ目のお菓子に手を伸ばした辺りで、そうフォローしてもらったけれど、そのもうちょっとがいつになるのやら。
これでも、クルクからマンツーマンで魔法を教わってきたし、グランツヘクセに来てからは教師から教えを受けている。
ちょっとくらい何か出来ないと達成感がないというか。もどかしいというか。
ざくざくざくと二個目のお菓子を平らげて、三個目に手を伸ばす。
「お前はもう少し子供らしく過ごしていいのではないか? 遊びたい盛りだろう」
いや、それは君にも言えることですが。
むしろ、貴方が少しは子供らしくしてください。
アインスはお茶を飲んで一息ついて、三個目のお菓子をもぐもぐしている私を見つめ
「ここは安全だ。ツヴァイと一緒に好きなだけ外で遊べばいい」
そう言って自分は含めないのだから、彼らしい。
話を振られたツヴァイはどう反応するか迷ったようで、お茶を飲んで誤魔化していた。
楽しくお喋りをして、たらふくお菓子を食べた後は、私は自由時間。幼さを理由に学習時間は比較的少なめで、大体は復習をするか。そうでなければ本を(文字の「読み」についてはマスターしたのだ)読むか。
そうでなければ、アインスかツヴァイの授業の様子を眺めに行く。
そうすると、すぐに私に気が付く兄達は側に来るように手招きしてくれたり、一旦授業を中断して私の頭を撫でてからお菓子を手に握らせる。
どちらがどちらかは想像にお任せするが、どちらも変わらず私への対応が甘い。
幼い妹なんて授業の邪魔にしかならないだろうに、追っ払ったりは絶対にしないし。何なら膝に乗せてもらったり、隣に椅子を持ってきて座らせてもらい、そのまま一緒に授業を受けたこともある。
授業内容についていけるかは、内容次第。内容次第である。
そんな具合に暮らして数ヵ月もすると、お城での暮らしにも慣れたし、少しずつ出来ることも増えた。
一番嬉しかったのは淑女の嗜みだから、と針を持つのを許されたことだ。
物に限りがあるコミュニティでは出来なかった刺繍などが出来たので、暇が出来れば針を握った。
「おひい様はきっと将来何も困りませんね。こんなに幼いのに刺繍の腕前は素晴らしいものですし、賢くてお可愛らしくて、その上、瞳も髪も黒。完璧です」
「そうなの?」
めちゃくちゃに持ち上げてくれるが、そりゃあ◯◯年もの経験があって、その中でも刺繍やなんやは散々やってきたから、それなりの腕前ではある。 が、賢いやら可愛いやらは贔屓目が入っていないか? あと、黒いのってそんなに大事?
「よくわからない」
「まだ分からなくてもいいんですよ。おひい様は今のまま、良い子でいてくださったら、なーんにも心配ありませんからね」
「おにいちゃんとにいさんは」
「はい?」
「おにいちゃんとにいさんも、しんぱいいらない?」
あんなにも賢くて可愛くて優秀な兄達である。心配の必要は欠片もないはずだが、一応聞いてみて
「アインス様もツヴァイ様も、年齢にそぐわずに優秀でいらっしゃいます。それに立派な家柄ですから、何も心配いりませんよ」
そうだろうとも、そうだろうとも。
やはり、自慢の兄達である。
と、ここで思い出す。
「わたしのいえは?」
もう数ヵ月も経っているのに、私の血縁者は見つかっていない。
にこにこメイドさんは困った顔になって私の手を取った。
「大丈夫ですよ、おひい様。必ず、おひい様のご家族は見つかりますからね」
家族なら兄達が居てくれるだけで十分ではある。が、もしも他に血の繋がった家族というものが居るのであれば、会ってみたくないかと言われれば会ってみたい。
私を捨ててしまったお母さん以外に家族が居るのであれば、の話ではあるが。
まあ、それは別にいつだって構わない。
目下の目標は、兄達に渡す為の刺繍入りのハンカチを完成させることと、何か一つでいいから魔法を使えるようになることだ。
出来ること、身近なことからこつこつと。
何事も継続が大事なのである。
「同じ年頃の子供たちを集めるのはどうかと思ってね」
切り出された話題とあまりの眩しさに視線は靴の爪先に固定された。
つまり、どういうこと?
話題の提供者である国王様は、心の中の疑問の声に答えるように
「そろそろ、友達でも作った方がいいんじゃないかな。城に君たちと同じ年頃の子供たちを呼んで、仲を深めるのはどうだろう」
どうだろうって言われましても。
友達って人に言われて作るものだろうかとか、そういえば私達三人の友達って言えるのはクルクくらいじゃないかとか、思うところはある。
あるのだが、様々な我儘を叶えて生活を保証してくれている国のトップにわざわざ逆らう道理がない。
こっくりと私は頷いたのだが、アインスとツヴァイは「友達……?」とかなり困惑している。
そういえば、二人ともーー私もーー友達を作れない環境下に居た。
いきなり、友達を作ろうね、なんて言われても困るのは当然だ。
「俺達に、どうしろと」
めちゃくちゃ小声でアインスがぼやいたのが聞こえた。
そうだよね、どうしたらいいか分からないね、急に言われてもね。
国王様としては良かれとやってくれようとしてくれているのだろうけれど、受け止める側の準備が出来ていない。
が、表立って誰も反対しなかったので話は進んでしまい、近々懇親会的なパーティーが行われる流れになった。
私は幼いので最低限の礼儀やなんやを軽くおさらいして、山ほどあるドレスの中でどれを選ぶのかをメイドさん達が悩み、アインスとツヴァイは社交に必要な知識と技術を叩き込まれているそうだ。
まだ幼いことを理由に免除されているが、これから育っていったら私も礼儀作法やらをビシバシ! と叩き込まれるのだろうか。怖い。
ツヴァイは失敗すると定規で叩かれるのだと、打たれて赤くなった肌を見せてくれた。怖い、怖い。
アインスは何も言わないが、彼は彼で定規で打たれたりしているのだろうか。ああ、怖い。
近い将来が怖くなったが、あと数年は猶予があるのが救いだ。
現代であれば、何であれ定規で子供を叩くなどしたら虐待だと騒ぎになるところだが、ここではそういうことはない。
一人だけ助かってしまって申し訳ない気持ちだが、兄達は優秀なのである。
すぐに定規で叩かれることは無くなったそうで、お肌も綺麗なまま。流石だ。
準備は順調に進んで、当日。
お城の庭で開かれたパーティーには、大勢の子供とその親らしき大人達が集まっていた。
アインスとツヴァイは親族と一緒に居ることを義務付けられて、かなり嫌そうだったが離ればなれだ。
私は保護者が居ないので、いつものにこにこメイドさんが側に控えていてくれる。
兄達が側に居ないのは割と、結構不安、かもしれない。
が、いつもいつでも兄達が側に居てくれるわけではないから、これはちょうど良い機会だ。
交友関係を広げるのだって、良いことだし。前向きにこのパーティーを楽しもうじゃないか。
そう心に決めて、いざ旅立たん! と一歩踏み出
「あ~ら! あなたが例のオレオルシュテルンから来た子供? 何だか随分とみすぼらしいわねぇ」
そうとした私の前に現れたのは、目にも鮮やかな赤色の髪を靡かせた少女だった。
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