第51話
剣を振るい、硬い手応えに一つ頷き、これは無理だろう、と剣を引く。
無理、というのは物理的に押し通れないということではなく、時間的な問題だ。
時間さえかければどうにかなる程度の手応えではあったが、その時間がどれだけかかるのかがはっきりしない時点で問題なのである。
見張り兼警備が手薄な場所を選んだとはいえ、手薄なだけで無いわけではない。大人しく離れた場所で待っていたミルと、その膝の上に頭を乗せて眠っているツヴァイの元に戻り、手早くツヴァイを背負う。
「行くぞ」
立ち上がったところで声を掛け、しっかりと掴まるように言えば素直に足に短い腕を絡めてくる。幼いながらに物分かりが良い。
準備が整ったところで地面を軽く蹴って浮かび上がる。ふわふわと浮いた状態で足にしがみついているミルの様子を窺ってみたが、特に怯えるでもなく静かにしている。
これなら大丈夫だろうと、それなりの速度で飛翔。問題なく追っ手の手が掛からない高度まで到達し、そこからは結界の有無を確かめていく。
ミルがしがみついていない方の足で結界を軽く蹴る。蹴った足が空振れば、そこが結界の果てだ。
かつかつと音を鳴らすこと数十回。
予想はしていたが、結界の高さは相当なものであるらしい。地面が限りなく遠くにあり、落ちれば確実に全滅だ。
しかし、落ちる可能性の一つとして撃ち落とされるのはほぼ有り得ない高さ。もう一つの可能性の魔力切れに関しては、その状態になったことがないので大丈夫だろう。あくまでも、だろう、であって断言は出来ないのだが。
ぐったりと力が抜けているツヴァイを背負い直し、また同じ確認作業を繰り返して暫く。
空振りした足先を見下ろす。
どうやら、ここが結界の果てらしいが、そのまま入れるものだろうか。
壁となる部分はここで終わっているとして、更に天井となる部分があれば、地道にーーここでは警戒するべきものも、そう無いはずだーー結界をこじ開けるか。そうでなければ、結界を避けて他の国に行けばいい。
前進して、足裏で結界の有無を探り、少しずつ降下するが邪魔になるものは無い。
思っていたよりスムーズに事が進んで内心ほっとしながら、これまでの間、一言も発していないミルに
「大丈夫か?」
多分、この子のことだから心配はないと思いつつ尋ねると、非常に小さな声で
「……たかい」
と呟くので、もうすぐ着くと返せば、こっくりと頷く。
あまり高い場所は得意ではないのだろうか。特に怯えているでもないので、ただの事実確認かもしれないのだが、その辺りがミルははっきりとしない。
パニックにはなっていないので、一応気には掛けながら降下していくと、結界内。グランツヘクセの大地がよく見える。
所々木々が生えている何の変哲もない草地。そこで辺りを警戒していただろう人々が、此方を見上げている。
攻撃を仕掛けられるでもなく、警告が飛んでくるでもない。ただ此方に向いているだけの視線を受けつつ、着地してから、どうしたものかと周りを見回す。
敵意は感じないが、何のアクションもない。
視線だけは此方に釘付けで、固まったままの大人が見える範囲で数人。全員、見るからに重そうな衣装を身に纏い、手には物語で見たような杖が握られている。
典型的な魔法使いの格好を上から下まで眺める間に、ようやく一人が震える指先を此方に向けた。
「お」
一つの文字が発せられるまでに焦れるほどの時間が掛かったが、それはまあいい。
さて、何を言うのか。
待ち構えてから数分の時が流れ
「オレオルシュテルン」
その単語が出た瞬間に取り囲まれ、指差されているのが自分だと自覚して、とりあえず、いつでも動ける体勢になった所で今まで大人しくくっついていたミルが飛び出したので、若干慌てた。
あまり離れられると、攻撃でもされようものなら庇えるかどうかは分からない。止めようにもツヴァイを背負っている為に咄嗟に手が出せず、両手を大きく広げたミルの、小さな背中を見守るしか出来なかった。
車が故障したなら、怪我さえ無ければ歩けばいい。
船が止まったなら、最悪の場合泳げば何とかなる可能性もある。
でも、飛行機が止まったら?
どうしようもない。ノンストップで落下する。
逃げ場も猶予もそう無いのが、空だ。人間には歩いて泳げる足はあるが、飛ぶ為の翼はない。
だから、私は飛行機が苦手だ。滅多にはないにしても、空の事故が100%無くならない限りは飛行機を利用したくなくて、前世で飛行機に乗ったことはないから苦手以前の問題かもしれない。
そんな私にとって魔法は絶対安心なものではない。
更に言うなら飛行魔法なんて、壁も床も天井もなければシートベルトもない。無いもの尽くしで安全の保障もない移動手段だ。
いくら使うのがアインスだとはいえ、途中で何らかの邪魔でも入ろうものなら、ぽろっと落下しないとも限らない。
落ちても怪我で済む高さなら良いけれど、結界がそんなにショボいはずがない。つまり、落ちたら終わりだ。
なので、私は祈った。
どうか、剣で結界を破ってください、と。
それはもう、孫の受験合格くらいか。申し訳ないが、それより強く祈ったかもしれない。
賽銭箱があれば万札ーーどころか、ほぼ持ち物がないがーーを投げ入れることも辞さないくらいだったが、アインスは剣を引いた。
私は血の気が引いた。
「行くぞ」
淡々とした声にNOと叫びたかったし、アインスに背負われるツヴァイが正直羨ましかった。
私も意識を失いたい! 頼むから今すぐ気絶させて!
そう頼みたかったが、そんな幼児は怖すぎるし、駄々を捏ねられるほどーー合計年齢はーー若くもない。
渋々、嫌々ながらもしっかりとアインスの足に抱きつき、これから起こる恐怖体験に備えた。
ふわ、と浮かび上がる感覚って、どう表現すればいいのだろう。
心臓も一緒に浮かぶような気がして、固く口を引き結んで足下を凝視。浮いた時点で勘弁して欲しかったのだが、こんなの序の口とばかりにアインスは飛んだ。アインスが飛んだら、抱きついている私も飛ぶ。当たり前だけど。
当たり前だけど、怖い。
びっくりが全身に行き渡るよりも先に、どんどん地面が遠ざかっていくので、ぎゅうぎゅうと抱き締める力が強くなったが、アインスが気付くほどの力でもなかったらしい。
ノンストップで飛んだかと思ったら、今度は急停止。
あろうことか、結界を蹴っ飛ばすので唖然とした。
何せ、私は足に抱き付いている。抱き付いている方の足は使わなかったにしても、普通に振動が来て振り落とされるんじゃないかと思った。
魔法の効果範囲なんて分からないから、ちょっとでも離れたら落ちるかもしれないと、必死で縋り付いているのが伝わっていなかったのだろう。
アインスは蹴り続けたし、飛び続けた。
何も言わずに淡々と繰り返した。
完全に作業としてやっているのは分かった。そこに心配だとか恐怖だとかが無い上に、それに対して私が心底怯えて固まっているという事実が彼の中では無いということも。
悪気も悪意もないし、アインスからしてみれば落ちると分かっていたら、そもそも飛ぼうとしないだろう。
大丈夫なはずなのだ。
だけど、はず、なのだ。
アインスを信用しないわけではないが、何事も絶対なんて無いわけで。
つらつらと心配事を並べて、必死になってアインスに抱き付いている内に、どれだけの時間が経ったのか。
私にとっては無限に思えた時間をかけて、アインスは遂に結界の天辺に辿り着いたらしい。
らしい、というのは急に降下し始めたからで。
せめて、声を掛けて……?
そんな言葉も出せない程に心臓が縮み上がっていた私に、アインスが掛けた言葉は
「大丈夫か?」
だったので、ちょっと、大分、かなり。
言いたいことはあったのだが、どうにか絞り出せたのは
「……たかい」
出来る限りの恐怖と、ついでに少量の不満を込めた一言。
これで通じろというのは無理なのは分かりきっていたが、それでも「もうすぐ着く」とあっさり返された時はまだ小さな体に不満が膨らんだ。
それでも、私に出来るのは反発ではなく、アインスから離れないことで。
少しずつ地面が近付いていることにほっとし、足が地面に着いた瞬間に全身から力が抜けかけ、出来るんだったらその場に座り込みたかった。
なのに、じっとしていたのはアインスが動かなかったからだ。
身動ぎもせずに黙っているから、何かあったのだろうか、とようやく周りを見回す余裕が出て、初めて近くに自分達以外の人間が居ることに気付いた。
グランツヘクセのモブキャラのキャラクターデザイン通りの魔法使いの格好をした、つまりはモブキャラそのままの分かりやすい人達。
多分、結界の近くを見回っていただろうモブの皆さんは、何故かアインスと同じように動かない。
ただ、食い入るようにアインスの方を見ていたので、何だろうかと考えかけて、そういえば、と思い付き
「オレオルシュテルン」
その単語とアインスの容貌がぴったり合致する。
そう、アインスはオレオルシュテルン出身であることが見た目から分かるくらいに、オレオルシュテルンらしい特徴を持っているのだ。
オレオルシュテルンと結界で別たれているはずのグランツヘクセの地に、見るからにオレオルシュテルン人であるアインスが立っている。
警戒されて当然だし、取り囲まれるのもおかしいことではない。
けど、万が一にも攻撃なんてされたら、と殆ど反射的にアインスの前に飛び出した。
アインスはツヴァイを背負っていて、万全な状態で対応出来るわけではない。そんな時に、どれだけの強さか分からない魔法使い(モブ)複数から攻撃を受けて無事でいられるかは予想もつかない。
とはいえ、魔法も使えない。
そもそも、アインスを庇えるほどの大きくもない私が前に出て、どうするんだ。
大きく両手を広げてから気付いて、静かに冷や汗が
「王族の方が、何故……?」
流れたのだが……なんて?
声がした方に顔を向けると、途端に周りの魔法使いは全員跪いた。
なんで?
聞くに聞けない雰囲気なのに、誰も口を開かないので時間ばかりが過ぎる。
困ってアインスを振り返ると、アインスはアインスで何を考えているか分からない無表情で固まっている。
魔法使いの皆さんも跪いたまま微動だにしない。
困り果てて、ゆっくり首を傾ぎ
「どういうこと?」
独り言のつもりで口にしたのだが、私の言葉に跪いたままの魔法使いの一人がゲームのテキストのようにスラスラと現状の説明をしてくれた。
ここはグランツヘクセとオレオルシュテルンの国境。結界で隔たれ、グランツヘクセでは本来、見回りの役割を持つ人間以外が訪れることがない場所。
いつオレオルシュテルンから攻め込まれるか。もしくは、同胞達がやって来るかも分からない。
場合によれば危険な、しかし、近頃は何が起きるでもない静かな、何もない土地である。
そんなところにオレオルシュテルン人(アインス)が現れたと思えば、側には王族ーー髪や瞳が黒い人間は大体王家の血を引いているらしい……そんな設定あった?ーーとしか思えない私が居たのである。
オレオルシュテルン人が魔法を使えるわけがない。ならば、私が脅されてここまでオレオルシュテルン人(アインス)を連れて来たのかと思って救出しようとしたら、何故か救出する対象である私がオレオルシュテルン人(アインス)を庇う素振りをした。
何でこんな場所に?
何でそいつ(アインス)と?
何故なに状態なのは向こうもそうだったというわけだ。
さて、事情が分かったからにはこちらの事情も説明するべきだろう。
こういう時は理路整然と話せるアインスにお願いしたいところなのだが、未だに完全沈黙しているので私が話す流れである。
斯々然々、と自分の中でここに辿り着くまでの事情を話した結果。
私達はグランツヘクセの中心都市に聳え立つ城に移動した。
急展開だ、と他人事のように思っていられたのは、アインスがノーリアクションだったから。
多分、考えていられるだけの余裕があるのだろう。
そうでなかったら、まず、こんな所に連れて来られるわけはない……ないよね?
熱を出していたツヴァイが何らかの魔法をかけられ、元気に悲鳴をあげたので、大丈夫だと思おう。
警戒心剥き出しのツヴァイがアインスの背中から飛び降り、私を背中に庇ったところでアインスが簡潔に状況を説明したが、ツヴァイはすぐには警戒を解かなかった。
そりゃあ、目覚めたら知らない場所で知らない人間に囲まれていたら、びっくりもするだろうし、事の前後を考えると警戒しない方が無理というもの。
一先ずは元気になったツヴァイの手を握ると、落ち着かない様子で私とアインスを交互に見たツヴァイは
「どういうこと?」
私の手を握り返しながら、先ほどの私と同じことを呟いていた。
城に着いてからは大変な事だった。
既に何らかの形で通達があったのか。様々な関係者が集う広間で目が痛くなりそうな原色の髪や瞳を持つ色んな大人に囲まれ、求められるままに話をした。
ら、辺りは水浸しになり、風は荒れ狂ったし、ツヴァイは私を離すまいと抱き締め、アインスは黙って私とツヴァイの前に立っていた。
何故に?
首を傾げながら、私は城に着いてからのことをぼんやり思い出していた。
何も変な事も怖い事も無かった。
単に私達がグランツヘクセに来るまでの事情や私達自身の話をして、ツヴァイとアインスの血縁者が彼等の身元を引き受ける話になって、それはつまり私達兄弟が離れ離れになるという話になり。
それでまあ、ツヴァイとアインスは全力で拒否していて、それが現在進行形という話で。
ツヴァイの祖母に当たる女性は、初めて会った孫の全身全霊をかけた拒絶に涙したし。
アインスの叔父に当たる男性は、初めて会った甥の最大出力の魔法に目を剥いたし。
私に至ってはーー髪と瞳の色や何やらそれを判別する手段があるようでーー王族かそれに近しい血筋であるはずだが、ツヴァイの妹ということになっているのをここで初めて「それはおかしいだろう」と指摘され、ツヴァイがヒートアップしたし。
これ、どないしたら?
騒ぎの中心でどうにもこうにも出来ず、ツヴァイの腕の中で首を捻る。
大人達が兄達の身元を引き受けるというのは全うなことだ。
オレオルシュテルンを出て、身寄りのない子供を保護しようというのだから、そこに問題はないはずなのだ。
だがしかし、兄達は。というより、私達は兄弟揃っての生活を望んでここまでやって来たのである。
生活の保障があっても、全員がばらばらーーしかも、私は身元がはっきりしないので、その辺りの確認もしなければならないーーになるというので、最初は兄達も普通に反論していたのだ。
が、兄達は優秀であっても子供である。
グランツヘクセでは子供は大人に守られて然るべき存在であって、子供だけでの生活などあり得ないし、各々血の繋がった家族と呼ぶべき存在が居るのだから、そこが家になるのが当然。
子供は大人しく大人の言うことを聞きなさい、という一番子供が嫌がる文言が出た辺りで雲行きが怪しくなり
「保護されなくとも、俺達は三人だけで生きていけます」
「何を言うんだ! 子供だけで生きていけるわけがないだろう!」
「今まで、三人だけで生きていました」
「アインス! その色で、グランツヘクセで弟妹を抱えて暮らしていくのがどれだけ無謀なことなのか、お前は分かっていない」
「おばあ様達と一緒に暮らしましょう、ツヴァイ。それが正しい家族なの。血が繋がっていない子供同士でなんて、暮らしていけないわ」
「僕達は兄妹だ! 兄妹が一緒に居られない方がおかしい!!」
「聞き分けなさい、その子達はあなたの兄でも妹でもないのよ」
それぞれ、そういう会話があって、そういうかんじで続いて、何かがきっかけで兄達がキレた時には手遅れだった。
言うなれば、子供の癇癪だ。
大人達の言い分は子供のためを思ってのものであるのが私には理解出来たし、頭の良い兄達だって理解はしているはずだ。
まあ、理解は出来ても受け入れられるかは別の話なのだが。
離れ離れになった後にどうなるかによっては、私も受け入れたくないし、出来るならアインスやツヴァイと離れたいとも思っていない。
一緒に居られるなら、それが一番だけど、今後の生活を考えてみると厳しいだろうとも思う。
何せ、初めて来た土地だ。
何もかもを0から始めなければいけない上に、此処では自分達は守られるべき子供という立場。
どうするのがベストかとなると、頼れる先があるなら頼るべきだ。
ゲーム開始までのグランツヘクセでの暮らしははっきり描写されていなかったが、少なくとも物語が始まる頃には兄達と一緒に過ごしていたのは覚えている。
であれば、いずれは一緒に暮らせるだけの生活基盤が出来上がるか。そうなるように物事が動く。
二人が不自由なく生きて、時間が経てば一緒に暮らせるのなら、私は寂しくはあるが我慢が出来る、と思う。
うん、たまに会えるなら多分、きっと。
二人は保護者が居る(暫定)から大丈夫。
二人は。
私は、どうなんだろうね?
これから調べてもらえるのかもしれないが、どうなってしまうんだろうね?
そこの不安が拭えないので私もツヴァイの腕から抜け出し、アインスを説得しようとしていないのだけどね?
自分の出自は改めてみると謎だし。
これ、どないしたら?
私は振り出しに戻ったが、何事にも終わりはある。
子供の癇癪に延々と付き合う大人も珍しいもので、周りはしっかり動いていたのだ。
ぴしゃり、と音が鳴った。
それは何かを叩くのに似た音で、それに続いてばたん! と派手な音を立ててアインスが倒れた。
ツヴァイがびくりと震えたのは驚いたのか、それとも別の理由かは分からない。
分からないが、ツヴァイもアインスと同じように倒れたのは確かで。
頼れる兄達が床に突っ伏しているのを見て、私はゆっくりと周りを見た。
周りの大人達は私を見ていたし、魔力の流れが見えるようになった私の目には、その流れが私に向いているのも見えた。
それは、つまり。
ぴしゃり、ともう一度音が鳴った。
私は目の前が真っ暗になって、それからのことは覚えていない。
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