第50話

グランツヘクセへの道は閉ざされている。


魔法の結界はオレオルシュテルンとの境界線だけでなくグランツヘクセという国一つを隙なく覆っていて、尚且つオレオルシュテルン側にもグランツヘクセ側にも見張りが多数。その多くの目を掻い潜ることはまず不可能。


だというのに、アインスは然してそれらを気にする風もないので、クルクは当たり前の事実として過去に結界が開かれた時の惨状や現時点での警備の厚さを語ったが、それでもアインスの顔色は変わらない。


何も自棄になったわけではなく、彼は彼なりに自分の手札というもの広げて考えていた。


現状、オレオルシュテルンからの逃走はかなり難しい。何故なら、隣接する国々が凡そオレオルシュテルンに友好的ないし実質的支配下にあるので、何処に逃れようとも追手を振り切るのは困難だ。


一方で、完全な自給自足を可能としている魔法大国・グランツヘクセは他国の助けを必要とせずにやっていける力があり、鎖国状態。


入るのは不可能に近いが、入れたならば身を落ち着けるにはこれ以上はないだろうし、アインスもツヴァイも魔法を使える。内情は窺い知れないが、グランツヘクセはとにかく仲間を大切にするというので、魔法使いとして受け入れてもらえる可能性は少なからずある。


ミルが魔法を使えるという話は聞かないが、漆黒の瞳と髪はグランツヘクセの血を引いている証拠で、拒否されることはないだろう。


だとすれば、問題となるのは受け入れられる云々より前の入国手段だが、これにアインスはいくらかの解決策を見出だしていた。


グランツヘクセへの出向は何も今回思い立ってのことではなく、ツヴァイとミルと離れて暮らすようになってから頭の片隅にあった。

あったので、それとなく情報は集めており、結界には耐久限界がある可能性やどれだけの規模なのか。つまりは、地下にはどの程度、地上ではどの程度の規模で結界が形成されているのかの疑問を掘り出した。


結論として、地下は望みが薄い。過去に地下からの侵入を試みて成功した試しはなく、これを個人で改めて試すのは気が長すぎる話。

であれば、地上からどれほどの高さで結界は成されているのかになるのだが、これもまた幾度も試されている。


少なくとも、機動兵器による低空飛行では話にならず、ならばと果てを探してあらゆる投擲を行うが、オレオルシュテルンにあるだけの手段を端から全て選んでも結果は出ていない。

最も科学的発展を遂げているとされるオレオルシュテルンであってもそうであるのだから、まだ子供の域を脱していないアインス一人に手段など本来ならばあるはずがない。


しかし、アインスは魔法使いとして既に目覚めている。

それも、数が少ない風の魔法使いとして。


風を吹かすだけのそれではなく、空を舞うだけの力が彼には備わっている。

彼の選択肢には「空」があった。


まだ、この世界では実現されていない人間による空を駆ける移動だ。ある程度上空にあれば、追手など無いに等しい。


アインスの考えでは、一国を完全に封鎖する結界の維持には多大なコスト(魔力)がかかる。それが何れ程のものなのか正確な値は調べようもないし、術者が幾人なのかさえも知りようがない。


分かっているのは、結界は発動してから一部が数回開かれた以外に例外はなく、常にその守りは継続されているということ。

ここまでの事実を並べてみれば完璧な守りであるが、アインスが可能性として考えているのは二つ。


純粋な力による突破。

これは、魔法抜きのアインス個人の力量によるもので、確かめるには容易い。結界を剣で断ち切れるかを試すだけなので、時間はそう掛からない。

弟妹を安全な位置で待機させ、開けば良し。


開かなければ、もう一つの手は上空からの侵入。

ここまでの規模の結界が本当に一部の隙もないのか、というのがアインスの持つ疑問で、まず侵入される心配のない一定以上の高さには結界がないのではないか。


そう思い、前者が失敗すれば後者を試し、後者も駄目ならば結界を飛び越えた反対側(こちら側、グランツヘクセ側の隣接国はオレオルシュテルンとそう関わりがない)まで行って、グランツヘクセとの交流が取れるかどうか。

まあ、取れなかったならば取れなかったで他国へ逃げ、そこでやっていくだけの自信がアインスには当然のようにあった。


ということを簡潔にアインスはクルクに伝え、クルクは問題なくそれを飲み込むだけの頭はあったが、心情として受け入れられるかは別だ。

自分達がどれだけ故郷を想っているかは、過去現在に出た犠牲者の数が語るだろうし、アインスが理解していないわけがない。


ならば、皆を連れていけというのは簡単だ。

故郷に戻れると言えば、誰も彼もが集まるに違いないが、アインスは一人しかいない。

彼が何れ程の魔法使いであっても、三桁を越える同胞を皆、連れていくのは考えなくとも出来やしない。


並の魔法使いならば、自分一人が飛ぶというのも奇跡に等しいだろう。そこで余力があり、誰かを選べとなれば勿論、アインスが選ぶのが弟妹なのは当然だ。

彼等は幼く小さく、何よりアインスにとって大切な家族なのだから。


彼等に帰る場所がなく、行先がない今、クルクはその場所を差し出す当てがない。


ツヴァイとミルだけならばコミュニティで受け入れればいいが、アインスは「あの父親」を持つ子供だ。

受け入れられない、となれば彼等は離ればなれになる。


アインスは一人でもやっていけるだろう。

それは、生きていけるというだけで、家族と離れ離れとなり一人きりの孤独を背負うのは逃れられない。


グランツヘクセへ行けるかもしれない。

それは、クルクにとってもあまりに羨ましいことだが、だからといって何かしらの理由をつけて止めるのは、違う。

危険性は伝えた、望郷の念は伝えるまでもなく、残っているのは



「二度と会えなくなるかもねぇ」



自分達はオレオルシュテルンから逃げられないし、グランツヘクセを目指せない、辿り着けない。

アインス達がグランツヘクセに行けるかは確定しているわけではないが、そうでなくともオレオルシュテルンから出ては行ける。


そうなれば、「かも」なんて濁す必要もない。

会えないのだ。


羨ましさがある、妬ましさもあるだろう。

その中で何が強いかと言えば、寂しさだ。


グランツヘクセの血を引く者は漏れなく仲間を大切に想う。


クルクにとって、スクールで自分に手を差し伸べてくれたアインスも、コミュニティで少なくない時間を共にしたツヴァイとミルも。

口にするのも認めるのも非常に、それはもう困難だが、仲間だ。


生きていれば、なんて言うにはまだ若く、生きているのに会えないとなれば寂しい。



「ツヴァイとミルにとっては、お前と居る方が」

「そんなわけないでしょぉ。此処と此処以外ならさぁ、そりゃ余所の方が暮らしが楽だろうしぃ……家族は一緒に居るのが一番だよぉ」

「そういうものか」

「そういうものぉ。じゃぁ、君達は国外逃亡ぅ。僕はコミュニティに移動ってことでいいよねぇ?」

「そうなるな」

「んじゃぁ、先を急ごうかぁ」



クルクが腕を振るう。辺りが一面の火の海となり、永遠の眠りについた者達を飲み込んでいく。

別れは、もう済ませた。悲しみは自分の中で時間をかけて受け入れる。


これで、クルクの残った魔力はほぼ空。出来るのはせいぜい道案内と、ツヴァイを背負って歩いてやることぐらいか。

火の海から背を向けたところで、アインスはクルクをしっかりと見つめ



「生きてさえいれば、会える時も来る」

「何それぇ」

「いつか、俺達がまた戻る日が来るか。お前達がオレオルシュテルンから出る日が来るか。そういう可能性は無くもない」



言われて、クルクは一度息を飲み込んで



「あるわけないでしょぉ」



言いながら、あればいいのに、とも思った。















足を止めないよう、時折クルクに背負われたツヴァイをちらちらと見上げ、そうでなければアインスの横顔を見上げ。

聞かされた話を脳内で繰り返して、これはえらいことになりましたぞ、と瞬きが増えた。


やることを全て終えたアインスとクルクが戻り、痺れた私の足からツヴァイが退けられてから、アインスは言った。



「グランツヘクセへ行く」



買い物に行くぞ、くらいの調子だったので、すぐにこっくりと頷き、頷いてからゆっくりと首を傾げたのは仕方がないことだろう。


何せ、あのグランツヘクセである。


どうやって行くのかなんて詳しいことをゲームでは多分、恐らく、メイビー、説明していなかったくらいの難攻不落の大魔法結界。


あれをどうする気なんだ、と聞きかけて、そういえば我が兄はゲーム内最強レベル。

力押しなり、何らかの抜け道なりを使ってどうにか出来ます、と言われれば、そうなんですね! としか言いようがない。


何せ、そういうキャラ設定でしたし……。


ついて行く以外の選択肢も手段もない私は受け入れるしかないのだが、このままだと物語の始まりがグランツヘクセルートになる。


この流れに乗ると一部のキャラクターと出会えなくなるのだが、大団円を目指すに当たって全キャラクターと会う、というのは絶対に必要というわけではない。

大団円はあくまでも出会ったキャラクターが対象であって、出会っていないキャラクターはそもそも物語に登場していない=居ないと同然として扱われるか。もしくは、名前だけの登場ないし存在の匂わせで終わる。


なので、グランツヘクセに行くのは問題ない。


この分岐で恐らく数年以上はクルクやコミュニティの人々に会えなくなるのは寂しいけれど、当面追われる危険性がなくなるし、アインスも危ない仕事をせずに済むし、黒幕となる父親とも距離を置けるので悪くはない。


それに、クルクからしてみれば子供のお守りをしなくて済むから喜ばれるのではないか。結構な時間を一緒に過ごしたから、そうなったらちょっと悲しいけど。


代わりにアインスとまた暮らせるのは嬉しい。

家族が一緒というのは何よりだし、彼を一人きりにしないで過ごせるのは良いことだ。


オレオルシュテルンは科学技術が発展していて、私が暮らしていた時代とそう変わらない便利な暮らしがーーコミュニティでは違ったけれどーー出来たが、グランツヘクセは完全自給自足が出来るが故の結界暮らし。


他国との繋がりなしに暮らせるのは豊かな土地と魔法による発展が大きいのだろうけれど、魔法が使えるアインスやツヴァイはまだしも、私はやっていけるのか。


グランツヘクセでの出来事などはゲーム内で分かるが、詳しい日々の暮らしの掘り下げは各種コンテンツやコミカライズにノベライズなどで展開されているものを読み込まないといけなかった。


ちなみに、私はほぼゲーム以外に手をつけていない。老眼で文字を読むのがしんどかったのもあるし、読んだはずなのに暫くして忘れてしまい、あれ? あれってどうだったっけ? と読み返すのは、こちらもちょっとしんどい時があったのだ。


なので、アインスが行くと言えば行けるのだろうけれど、グランツヘクセでの暮らしというのがどういうものかが想像がつかない。


分かっているのは、少なくともこの時点でーーゲームのシナリオ通りにいけばーーアインス、ツヴァイ、クルクは死なないということだけ。


まあ、最大戦力とも呼べるアインスが居て、炎の魔法使いであるクルクも居るのだから、そう心配しなくてもいい……のだろうか?


心配な点は今もぐったりとしているツヴァイの容態なのだが、今はゆっくり休ませてあげられる場所も無ければ着替えも氷嚢も薬も何もない。

持っているのはせいぜい



「あ」

「どうした?」



アインスに聞かれて、慌てて懐を探る。

ずっと渡そうと思っていたのに忘れていた、くたくたになった布製の栞を取り出して、まじまじと見て、仕舞う。



「どうした?」



もう一度聞かれて、首を横に振る。

いや、何でもありません。


この状況で取り出すものでもなければ、こんな草臥れた物は渡せるものではない。

しっかりと仕舞い、アインスの方を見れば視線が合う。

じっとお互いを見ながら足だけ動かしていると、今まで黙っていたクルクが



「それぇ、アインスにあげるやつでしょぉ」



その言葉にぎくりとする。

別にクルクにこれをアインスにあげるのだと言ったこともなければ、わざわざ見せた覚えもない。


のに、何故知っている!?


アインスからクルクに視線を移すと、クルクはふん、と鼻で息をして



「そんなしわくちゃになるまで持ってられちゃぁ、言われなくても分かるってぇ」



いや、分からんのでは?

何なのその理解力は、貴方本当に子供?

それとも、この世界では察する力が強いものなの?


オレンジの瞳に無言で尋ねたが、聞いたわけではないので返事はない。当たり前だけど。

代わりにアインスが少しだけ此方に寄ってきて、私の顔を覗き込み



「ミル」



ちょっとだけ甘い声で名前を呼ばれると、隠しきれるものではなかった。



「……はい」



これが例のブツでやんす、とばかりにくったくたの栞をアインスに差し出すと、すぐに手元から栞が無くなる。手に取った栞をしげしげと眺めたアインスは



「くれるのか?」



ちょっぴり首を傾げる様がいつもより幼くて可愛く、そんな風に言われたら何でもかんでもあげてしまうわ! と心中荒ぶりながら頷けば



「大切にする」



にこ、と微笑まれ、その眩しさに目を限界まで細める。


我が兄のとんでもない破壊力には恐れ戦くしかない。

この年齢でこれでは、あと数年も経ったらどうなってしまうんだ……いや、成長後の容姿も知っているけれども!

ゲーム画面で見るのと、実際目の当たりにするのとでは天と地ほど差が!!


そんなこんなをしながら、特に何が起こるでもなく。

アインスと合流してからの道程は、コミュニティの仲間が見つからないこと以外では順調そのもの。

クルクの道案内も的確なのだろうけれども、迷子になることも無かった。


そうして難なく下水から抜け出た所で、クルクが背負っていたツヴァイを下ろす。クルクは此処からまた下水に戻ってコミュニティの仲間を探し、新しいコミュニティに向かわなければいけない。だから、ここでお別れなのだ。



「世話をかけたな」

「だねぇ。まぁ、こっちも助けられたけどさぁ」



へら、といつも通りの笑顔を浮かべたクルクが軽くアインスの背中を叩き、アインスはされるがままで



「お前が居てくれて助かった。この恩は忘れない」

「お金の為ぇ。支払いの分働いただけだからねぇ、こっちはぁ」

「今まで、弟と妹を守り抜いてくれて、ありがとう」

「だからぁ」

「感謝する」

「ぅう~ん……まぁ、ぅん」

「また会える日を待っている」



そう言って微かに笑い、クルクから受け取ったツヴァイを揺さぶり声を掛ける。お別れの時なので、挨拶くらいはさせようとしたようだがツヴァイは目を覚まさなかったし、クルクがそれを止めた。



「寝かしときなよぉ。また会えるかもなんでしょぉ?」

「いいのか?」

「別にいいよぉ」

「ミル」



呼ばれて、クルクの側に寄る。

言いたいことはたくさんあった。元気でね、皆によろしくね、出来たら忘れないでね、また会えるよ、とか色々と頭の中で言葉が重なっていったけど、結局口に出せたのは



「いままで、ありがとう」



それだけの愛想も何もないもので。



「愛想もへったくれもないなぁ」



クルクにもそう言われたけれど、きゅっと口を閉じる。


クルクは別にすごく優しかったわけではない。

何なら、正直意地悪なところもあった。


でも、私やツヴァイを放っておいたりはしなかったし、助けてくれた。

せっかく貰った裁縫道具を無くしてしまって、それを謝るべきか悩んで、そんな「間」が空いた時に



「ナーデルのミル」



伸びてきた腕に逆らわずに抱かれる。

ぎゅっと抱き締められて、驚きながらクルクの顔を窺おうとしたが、肩口に埋められた顔は見られない。



「クルク?」

「グランツヘクセはお前達をきっと受け入れる。何も心配いらない」

「……うん」

「家族と一緒に幸せに暮らせ」

「うん」

「じゃあな」



そんなに長い時間じゃなかった。

多分、一分にも満たない抱擁は、でも温かかく、離れがたいと思う前に離された。


立ち上がって、さらりとツヴァイの髪を撫で、何事かを呟いたクルクはすぐに此方に背中を向け



「ばいばぃ」



軽く手を振って、行ってしまった。

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