第43話
ぱき、と音を立ててお守りが割れる。
それと同時に水の気配が強くなり、何事かと視線を巡らせるといくつもの水の塊が宙に浮いていた。
球体を象った水は、下水の汚れたものとは違って澄んでいて、徐々に大きくなっていく。
ぽかん、とその様を見つめている間に、がしゃんがしゃんと機動兵器が此方に向かってきていたのだが、その歩みはすぐに止まった。
水の塊が恐らくコックピットであろう場所に飛んでいき、近くに居た機動兵器は全て水の塊に呑み込まれた。
これでは、中の人は無事では済まないのではないかと背筋がぞっとした所で、今度は倒れ伏していた男性達の元にも水の塊が近寄り、呑み込んでいく。
「だめっ!!!」
慌てて男性達が囚われた水の塊に手を突っ込むが、温い水の感触が伝わってくるだけでどうにも出来ない。
出来ないのだけれど、諦める気にはならずに懸命に腕を伸ばす。
「やめて、かえして!!」
慣れない大声で呼び掛けるが、水が返事をするわけがない。
思い切って、顔まで突っ込んで初めて服の裾を掴むことが出来たのだが、引っ張り出すには力が全く足りない。
すぐに息苦しくなって、水の中から顔を出すと髪が肌に貼り付いて気持ちが悪い。
でも、そんなことを考えている暇はないと思い切り息を吸って、もう一度水の中に。
今度は上半身ごと突っ込んで、また裾を掴んだ。
目一杯の力を込めて引っ張り出そうとしたが、少しも上手くいかない。
止めていた息がこぽぽ、と泡になっていき、これ以上はまずいと離れかけた瞬間、うっかり口を開いてしまった。
溺れる、と反射的に口許を手で覆ったが、水は口の中に入ってこなかった。
それどころか、何故か水の中なのに息が出来る。
何故、と混乱しながら、他の水の塊を確認すると負傷していた男性達の傷が癒えていた。
千切れた足はくっついていたし、ひしゃげた腕も元通り。
つまり、これは水魔法の内の治癒魔法なのか。
男性達の傷がすっかり癒えると、水の塊は霧散した。
あれだけの傷をこの短時間で治せるなんて、ツヴァイはどれだけの魔力を込めていたのだろう。
おかげで全員無傷になったのは良いものの、これが治癒魔法だとすると、機動兵器の中はどうなっているのか。
都合良く、あちらだけ攻撃魔法になっているのか。
同じように治癒魔法が発動しているのか。
分からないけれど、とにかく今の内に逃げ出そう。
ずぶ濡れの男性達に声を掛けると、全員が自分の体を見て驚愕していたが、すぐに一人が私を抱えあげる。
「ナーデル、これはお前がやったのか?」
「おにいちゃんのおまもり」
「ツヴァイの……なるほど、助かった。今の内に移動するぞ」
「うん」
こっくりと頷いてから、ちらりと後ろを振り返る。
まだ水の塊は機動兵器を捕らえている。
こんな時に、追われている身でありながら思うようなことではないかもしれないが、溺死させていないと良い。
それを確認する勇気もなければ、そんな時間もない。
早速駆け足で移動し始めた男性に抱えられたまま、少しずつ機動兵器と距離が離れていく。
すぐにでも追いかけてくるかもしれない。
そうでなければ、あの水の中で人が死んでいるかもしれない。
じわりと胸を締め付けるような恐怖から、見えなくなるまで機動兵器を見ていたが、結局追いかけてくる機体は1体も無かった。
「この! このっっっ!!」
がんがん、と蓋となる部分を蹴り上げるが、足が痛くなるばかりで隙間さえ出来ない。
ついさっきまでは枯れかけの、ほんの少ししか残っていない魔力を使ってもみたが、それも無駄だった。
魔力が無ければ、ただの子供でしかない自分の弱さに苛立ちながら、ツヴァイはそれでも諦めずに動いていた。
一方で同じく捕らえられたクルクの方は手探りで自分が入っている空間の把握に努めていた。
どこか接合の甘い部分があれば、炎で溶かせるーー収納された箇所で魔法が使えればの話だがーーかもしれない。
少しの希望を求めて忙しなく手を動かし、拳で音の反響を確かめる。
しかし、何処を叩いても同じ響き。
均等で分厚い鉄の囲いから抜け出すには、魔力が足りるか微妙なところだ。
万が一に逃げ出すチャンスがあった時の為に、なけなしの魔力は取っておいた方が良いと判断して、なるべく楽な姿勢を取って体を休める。
疲れはあるし、休んでいれば微々たるものだが魔力も回復する。
問題があるとすれば、これで機動兵器とまともに渡り合える人材が居なくなったことだ。
移動速度で言えば、機動兵器の方が人の何倍も早い。
その代わり、あまりに狭い場所にまでは入れない。
何度となく襲われているコミュニティの人間は分かっているはずだが、いざという時は狭い場所に逃げ込むしかない。
その狭い場所、というのが整備されている下水には少ないのが最大の問題だ。
追われれば最後、攻撃を受けるか。
自分達と同じように捕らえられる。
いくらかの時間稼ぎは出来ただろうが、この間に全員が全員目指している場所に辿り着けたかは怪しい。
子供と老人を先に出したが、戦力になる人間は後から出発した。
例えば、魔力過敏で目が開けられないミルを抱えた組が出発したのは後半。
いざとなれば戦える者を選出し、ミル以外で荷物になるような物を持たせなかったので、そういう順番になった。
今から思えば、先発させておけば良かったが、後悔は先に立たない。
「ツヴァイも一緒に行かせるべきだったか」
一人ごちてみて、首を横に振る。
大人と足の長さが違うツヴァイがついて行って、戦力には勿論なるだろうが、同時に足を引っ張りもするだろう。
無意識に漏れた溜め息。
せめて、ツヴァイだけでも逃がさなくては。
考えを巡らせながら、額の血を適当に拭い、乱れた髪を掻き上げ、目を閉じた。
追っ手が来ない内に、と男性達は早いペースで走っている。
疲れていないのかと尋ねたら
「ちっとも疲れていやしないぞ。多分、治癒の力が強かったんだろう。疲れも吹っ飛んだ」
とのことで、元気なようで何よりだ。
それに、箱に入れられて移動するよりは幾らか重量が減っているし、私も箱の中で何度も頭を打ち付けていたので今の方が楽だ。
目的地である他のコミュニティまではそう遠くないらしいし、機動兵器は基本的にオレオルシュテルンの人々の目につかない場所にしか現れないそう。
ゲーム内では町中でも普通に出てきたのだけれど、今の段階ではそういうことになっているみたいだ。
このまま、上手くコミュニティまで辿り着ければいいけれど、少しばかり心配なこともある。
コミュニティの誰ともすれ違いすらしていないことだ。
私達は戦える者が居るからと後半の出発になり、結構な時間機動兵器に阻まれていたはずなのだが、後続と出会っていない。
それは最も力が強いと最後に出る予定になっていたツヴァイとクルクもそうだ。
もしかして、最悪の事態が起こっているのではないか。
そんな不安が脳裏を過るが、それを口に出すことは出来ない。
私と共に居てくれる男性達だって、内心では仲間を心配しているはずなのに、時折掛けてくれる言葉は私を安心させようとするものばかりで。
ただ運んでもらい、守ってもらうだけの私が出来るのは下手な心配や憶測を口に出さないことぐらいだ。
手の中に握り締めた、たった一つだけのそれを手に取る。
アインスのことも、やはり心配で仕方ない。
随分と長い期間会うことも話すことも出来ていないが、元気で過ごしているのか。
無理はしていないか、辛い目に遭っていないか。
考えてもどうもしてあげられない立場が歯がゆい。
自分で自分の身を守れるくらいの力が欲しい。
切実にそう思いながら、逞しい腕の中で守られ、ただただ黙って運ばれる。
それしか出来ないのが、悔しかった。
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