第35話

落ちていく、落ちていく。


暗い方へと沈んでいく感覚は、どこか懐かしい。

重たさとも気怠さともつかない不快感がべっとりとした膜になって、私を覆う。


このまま沈んでいったら、どうなるんだろうか。

抗う術もなく、暫くすると考えることすら億劫になって、思考さえ放棄して「閉じて」いく。


暗い、黒い。

纏わりつく膜が全てを覆い尽くす寸前で、背中? 


多分、背中、だと思うのだけれど。

その辺りがぶわりと温かい何かに押される。押し上げられる。


ゆっくりと、じわじわと。

押し上げる熱と共に、膜が剥がれ落ちていき、声が聞こえた。


呼んでいる、呼ばれている。


ああ、そうだった。

私は、確か。


記憶を辿り、思考を再度廻らせて「開いた」。














「ミル?」

「おにいちゃん……クルク……」



重たい眠気に襲われながら、眩しすぎる愛らしい兄となんやかんやでイケメンに分類されるクルクの顔が視界に入り、顔を擦って意識を保つ。


はてさて、一体どうしたのだったか。

至極心配そうな表情で頬や髪に触れてくるツヴァイと、不機嫌なような顔をして口を閉じているクルクの様子からして、何かはあったのだろう。


けれども、どうにも記憶が曖昧である。

夢を見ていたような気もするし、何なら今にも夢の世界に旅立ちそうでもある。


妙な疲労感もあり、このまま起きているのは酷く辛いのだが、寝てしまうわけにもいかないのだけは分かる。

触れてくるツヴァイの手を捕まえて、出そうになる欠伸を堪え



「なにか、あった?」

「……なんにもないよ。ミル、眠いんでしょう?」

「ん? うん」

「じゃあ、お昼寝しようか。歩ける?」

「ん……うぅん」

「僕が運ぶよぉ。ねぇ?」



目覚めた時点で私を抱えていたらしいクルクがそう言って立ち上がる。


ぷらりと揺れた手足は脱力して、僅かも力が入らない。

体が重くてーーと言っても、体重的な意味ではない。決してーー中でも一番は瞼。


このまま眠れたら気持ちが良さそう。

いや、絶対に気持ちが良い。


とろとろと瞼を落としていくと、オレンジの瞳が覗き込んできて



「眠い以外に気持ちが悪いとかなにかぁ、あるぅ?」

「ん……うぅん」

「そぅ。ならぁ、ゆっくり休んでなぁ」

「ん」



休めと言われたなら、もういいだろう。

瞼をしっかり閉じて、眠る体勢に入る。


しかし、何だかクルクにしては優しい対応というか。


何か、こう、さっきまで、私、は。

クルクと、何か、して?


そこまで考えて、すとんと意識が落ちた。











ミルは眠った。

すごくたくさん眠った。


一日経っても、二日経っても起きなくて、目を覚ましたのは「あれから」三日経ってからのことだった。


その間お世話をしてくれたおばあさん達や、日に何度もミルの様子をみていたクルク。

そうして僕も、三日も寝ていたとミルには言わなかった。


ミルはきっと、丸々一日寝た、くらいに思っているだろう。

そういう風に、僕らが思わせたから。


コミュニティの中で、明確な日付などはあまり気にされない。

どちらかといえば、一日の内の時間配分の方が重要視される。


だから、朝昼晩を大体全員が把握している程度だし、仕事だ作業だと各自動き回っているから数日特定の誰かと会わないことも結構多い。

ミルが三日眠り続けたのを知っているのは僕を含めて数人だけ。


ミル自身は覚えていない。

三日も寝込んだことも、自分だけではなかったけれど魔法を使えたことも。


クルクの話でミルがとてもすごい才能があるのは分かった。

でも、同時に多くの人に狙われるかもしれないことも知った。


クルクやコミュニティの人を疑うのは、あまり良くないんだと思うし、疑いたくもないとも思う。

だけど、僕は誰も彼も疑わなくちゃいけない。


僕らを守ってくれるという兄さんは、側に居ない。

クルクやコミュニティの皆は色んなことを教えてくれるし、何かあれば助けてくれるけど、本当の家族ではない。


ミルを本当の意味で守れるのは、今は僕だけだ。


僕はミルを守る為に、もっと力を付けなくちゃいけない。

誰よりも強くなって、ミルが誰かに傷つけられたり、利用されたりしないように。


そっと、今日も意味のない魔法の特訓をしているミルとクルクの背中を眺める。

ミル一人では何も出来ないと、僕もクルクも教えない。


ただ、無駄なことをさせている。

大事な妹に嘘を吐くのはとても辛い。


辛いけど、これは必要なことだ。


ミルは何も知らなくていい。

ただ幸せに過ごしてくれれば、それだけでいい。



「おにいちゃん?」



僕の視線に気付いたミルが振り返る。

また少し伸びた艶々とした黒髪が揺れて、僕は微笑んだ。



「頑張ってるね、ミル。調子はどう?」

「ん……んん」



もにょもにょと口元を動かして、何だか居心地が悪そうなのは少しも魔法の特訓の成果が出ていない証拠。


良かった、と思ってしまう。

バレることなく、ミルが成長してくれることを願ってしまう。



「ゆっくりでいいんだよ。ミルはまだ小さいんだから」



慰めは誤魔化しだ。

小さなミルを騙し続けなければ、僕はミルを守ることが出来ないから。


僕の声に反応して、オレンジの瞳が此方を向く。

やけにゆっくりとした瞬きの後で



「まぁ、ねぇ。ラクスのツヴァイみたいに早熟な方が珍しいからぁ。焦る必要はないさぁ」



妙な優しい言葉を添えるので、ミルが一瞬訝るように瞳をほんの僅かに細め、僕はミルにバレないようにクルクを睨み付けた。


途端に、肩を竦めたクルクを見上げ、それからミルは問うように僕と向き合ったけど、僕は微笑みで応える。



「クルクもこう言ってるし、気にしないで。ね?」

「んん……うん」



良い子のミルは深追いはせずにいてくれる。

一つ頷くと再びクルクと魔法の特訓を再開し始めたので、その場から離れた。


いつまでもこのままではいられない、と思いながら。











なーんか、おかしい。

何かが妙であります。


何が、と聞かれたら、まずクルクがおかしい。

眠くて仕方なくて、クルクやツヴァイのお言葉に甘えてお昼寝するつもりが、がっつり一晩眠ってしまって以降、おかしい。


今までなら、コミュニティの皆が働いている時間に眠りこけていたら嫌味の一つ、二つ、三つ……まあ、いくつかは貰いそうなもの。

だというのに、小言もなければ体調を心配さえされて、鳩が豆鉄砲を喰らう心地。


それに加えて、ツヴァイもおかしい。

いつも何かと世話を焼き、あらゆる手助けをしてくれる出来すぎた兄は何かと微笑むようになった。


いや、前から微笑みや笑顔を主に向けてくれる可愛い兄ではあるのだけれど、顔を合わせては微笑まれ。

ご飯の際に微笑まれ、針仕事の際に微笑まれ、魔法の特訓の際には特に微笑まれ。


なんだろう、その微笑み、何か含むものがあるのですか?


聞くに聞けずにいるが、生暖かいというべきか。見守っている風というべきか。

その微笑みは眩しさや可愛らしさだけではないようで、引っ掛かる。


引っ掛かる、といえば、だ。


いつまで経っても魔法が使えないってどうなの?

結構な日数頑張っているのに、魔力の流れさえ見えないとくると、流石に落ち込みそうだ。


だがしかし!

マンツーマンで教えてくれているクルクや日々応援してくれるツヴァイやコミュニティの皆の手前、出来ない、で済ませるわけにはいきませんとも。


というわけで、暇さえあればクルクを始めとする魔法使用者の皆さんのアドバイスを思い返しつつ、一人でも練習。

練習、そして、練習。


これだけやって、一度も何も起こらないって、逆に才能じゃあなかろうか?

ろくな才能ではなさそうだけれども。



「んー」



眠る前の空いた時間。

最近日課になりつつある魔法の練習を、半ば惰性でやっていた時のこと。


ああでもない、こうでもない。


固い寝台、ぺたんこの布団の上で寝転がり、部屋にある唯一の灯り。

燭台の方をじぃっと見つめる。


暗闇の中にある小さな炎。

魔力を感じ取るには大変易しい条件だといわれるのだが、私には未だに何も感じ取れない。


今日も駄目か、と仰向けになったところでツヴァイが顔を出した。



「ミル、もうお布団に入って」

「ん」



言われるままに布団に潜り込む。

常なら、魔力のコントロール練習も兼ねてツヴァイが魔法で灯りを消すのだが、今晩は何故かごそごそと何かをやっている。 


なになに、なんだね?

被った布団からひょっこりと顔を出せば、葡萄の粒のようなーー大きさでいえば、爪程度の大きさのーー珠を乗せた掌が差し出されている。



「ん?」



これはなんぞ?

という意味合いを込めて首を傾げると、ツヴァイはほんのりと頬を染めて



「お守りだよ、グランツヘクセの」

「おまもり」



話を聞けば、グランツヘクセでは一般的な魔力を込めたお守りの一種、とのことで。

よくよく見なくても、それはゲーム内で見たことのあるアイテムの一つで。


グランツヘクセに属するキャラクターと一定以上の好感度になると貰えるアイテムで、装備していると一度だけ込められた魔力の属性と同じ魔法が使える。


それがこんなにも早い段階で手に入るって、どうなんだろうか。

バグ? バグなの?


早すぎるアイテムとの邂逅に戸惑う私に対し、掌を差し出したままのツヴァイはへにょりと眉尻を下げて



「こんなの、要らない……かな?」



初めて作ったから見栄えも良くないし、気に入らないだろうと湿った口調で言うので、慌ててツヴァイの手を取る。



「ほしい」

「本当?」

「うん」

「じゃあ」



掌に乗せた珠からぶわりと紐状の光が伸び、あっという間に珠が胸元に落ち着いた。


え、あの光ってた紐どこいった?

なんか宙に浮いてる風になってるけど、この珠どうなってるの??


目を丸くしたが、ツヴァイは大変満足そうであったし。

正直、いい加減眠たくなってきたので、細かいことは明日の自分にどうにかしてもらおうと決めた。

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