第28話

飛び込んで来た訃報に、父は顔を伏して泣いた。

命を落とした社員の名を述べて、可哀想に可哀想にと嘆く。


痛ましいまでに泣き続ける父の姿を見た他の社員も涙ぐむ。

同僚を喪った痛みと、社員一人一人を想う父の器の大きさに涙を浮かべる。


俺は今回の死者が父の経営する企業の一つ。

その社員のみであることに、人知れず胸を撫で下ろしてしまい申し訳なく思う。

顔も名も朧げにしか知らない他人と身内や知り合いであれば、後者を選ぶ。

命の重さに違いはないのだとしても、どちらがより大切かといえば人によって異なるだろう。


ミルとツヴァイ、クルク。

少なくとも三人はこの件で亡くなってはいない。

調べられる範囲で調べた結果、社員達が命を落とした現場とは別の場所。

クルクやグランツヘクセの人間が寄り集まって暮らす建物。

ミルとツヴァイを預けた場所は燃えたが、死傷者は出ていないらしい。


グランツヘクセの人間と親密だったオレオルシュテルン側の人間が建物を提供していたようだが、表向きは放置していた建物にグランツヘクセの人間が勝手に住み付いていた、という体になっている。

何処に移ったのかは分からないが、クルクは上手く仲間を逃がしたのだろう。

危急を知らせる道具も一度も反応していないので、ミルやツヴァイも無事のはずだ。


怪我などしていないと良いのだが。

今はそればかりを気にしているわけにもいかない。



「アインス様、会長がお呼びです」

「分かった」



呼び出しに応じれば、目元を真っ赤に腫らした父に出迎えられた。

父は死んでしまった社員がいかに優秀で、いかに素晴らしかったか。

彼等の死にどれ程心が痛んでいるかを涙声で語った後、鼻を啜った。

泣き疲れた様子で肩を落とすので、そっとハンカチを差し出す。



「ああ、なんてことだろう。こんなにも悲しいのはいつ以来だろう」



目元を拭った父は、そのまま机に肘をつき、顔を掌で覆った。



「あの子達と分かれて行動したのが間違いだった。私が一緒に居てあげれば」



居たところで、父に何が出来たとも思えない。

頭は回るし身体能力も悪くはないが、戦闘能力は一般人の域を出ないのだ。

襲撃されたのであれば、むしろ父が居なかったからこそこの程度で済んだともいえなくはない。



「父さんに非はありません」

「アインス、お前はなんて優しいんだろう。でもね、父さんが悪いんだ」

「そんなにご自分を責めては」

「事実なんだよ、アインス。父さんがあんなことを頼んでしまったばかりに」

「あんなこと?」



顔を上げた父は哀しみに濡れた表情で



「子供を拾ったんだ」

「子供?」



まさか、という気持ちを内側に押し込める。

ただ不思議そうに。何も知らないような顔で聞き返すと、間が空いた。

まるで、俺の反応を待っているような妙な沈黙。

此方も話を促すように口を閉ざせば、父が口を開いた。



「暗がりでよくは見えなかったのだけれど、黒い髪と瞳の小さな子供だったよ」



黒。小さな子供。

思い当たるのは一人だけ。

ぐっと拳を握り締めて、感情を殺す。



「グランツヘクセの子供ですか?」

「恐らくね。迷子だったのか、一人きりで夜道に蹲っていてね・・・・・・怪我をしていたんだ。夜も遅かったから、連れ帰って治療してから親を探すなり何なりした方が良いだろうと、あの子達に保護を頼んだんだよ」



一人きり、怪我?

ツヴァイは一緒ではなかったのか。

いや、父にツヴァイを見られたらまずい。

あの髪の色は母親であるティオ譲りで、顔にも面影がある。

確実にティオとの関係性はバレる。


その点においては良かったのだが、問題はミルであっても父の目にグランツヘクセの幼児が入ったことだ。

真偽は定かではないにしても、父の周囲を探るとグランツヘクセの人間を多く集めている。


何をしているのかは分からない。

目的は不明だが、特に若い者を連れて何処かに向かうのだと聞いた。


保護をするはずだった人間が死亡しているので、連れ去られてはいないだろう。

だが、万が一にも父の手に渡れば、ミルと再会することは叶わない気がする。


子供はどうなったのか、などと尋ねるわけにもいかない。

話を聞く体勢を保っていると、父は此方を伺いながら



「私は仕事があったから、その場で分かれた。あの子達が不幸に遭ったのは、恐らくそれから暫くしてだろうね」

「検死は済んでいるのですか」

「ああ、連絡が来た時には既にね。死因は何だったか、分かるかい?」

「何人亡くなりましたか?」

「4人だ。子供の保護を請け負ってくれた子達全員だよ」



不幸、というからには傷病による急死ではないのだろうか。

一番ありえそうなのは事故死。

乗り物を使用していたにしろ、徒歩で移動していたにしろ。

4人という人数が一度に亡くなるとしたら、何かしらの事故に巻き込まれた可能性が高い。



「何らかの事故に巻き込まれたのでしょうか?」



推測をそのまま口にすると、父は涙を零した。



「事故? 事故だって?」

「ええ。違うのですか?」

「違うとも! 街中で! 真夜中に! 路上で! 水死するような事故が起こり得るのか!?」



水死。

まず、起こり得ない事象だ。


乗り物を使用していて、焼死したならまだ分かる。

トラブルが起きて機械が火を噴くことは、稀にある。

だが、路上で水死というのは如何にも妙だ。


妙だが、水死と聞いて思い浮かぶ。

あの日、あの夜に渦巻く水と浮かんでいた死体。

妹の傍らで殺意を撒き散らしていたツヴァイの姿。


あくまでも想像でしかないが、ミルはツヴァイとはぐれていた。

何らかの事情ですぐにミルの元に戻れなかったツヴァイが、ミルを連れて行く大人達を発見。

状況は不明だが、ミルが嫌がる素振りや意識がないようであれば、ツヴァイは攻撃に移ったかもしれない。


ならば、ミルは無事だ。

ツヴァイも無事ではあるだろうが、これはまずい。


貯水タンクの落下、水道管の破裂など。

水難はないとは言い切れないにしても、水死するようなことはまず有り得ない。

仮に下水に落ちたとしても、4人全員が水死するとは限らないし。

父は路上と言った。


路上で水死。

逃れようもない。



「魔法だ! 誰かが魔法を使った! あの子供か? それとも、近くに子供の親でも居たのか? とにかく、誰かが魔法を使った!!」



父は確信を持っていた。

否定する為の材料は一つもない。



「魔法、ですか」

「そうだとも! それもチャチなものではない、乗り物まで包み込むほどの水量だ! これは凄い、凄い事だぞ、アインス!」



魔法使いの力量はピンキリだ。

コップ一杯分の水を集めるので精一杯な者もいれば、ツヴァイのように大人を数人包み込むほどの量の水を扱える者も居る。

けれど、後者についてはティオくらいしか該当者が他に思いつかない。

これまでに出会った魔法使いで最も力が強かったのは、後にも先にも彼女か。

その息子であるツヴァイくらいのものだろう。



「水の魔法使いだ! 懐かしいなぁ、アインス。ティオはそれはもう素晴らしい使い手だった。彼女が庭園の水やりに魔法を使っていたりもしたのを知っているかね?」



覚えている。

こうした方が早いのだと、庭園にだけ雨のように水を降らせていた彼女の悪戯っぽい笑顔。

水飛沫は決してティオにはかからない。

雨降りのような庭園の中を、彼女は泳ぐように歩き回っていた。

物臭だと呆れていたのが、昨日のことのようで。



「そうでしたか」

「そうだとも! 髪も目の色も違っていたが、あの子はきっとティオの子供なのだろうね。そうであるなら、私の子供だ!」



哀しみは完全に拭い去られて、浮かんでいるのは期待と興奮。

父は子供のように、俺の妹か弟だぞとはしゃいでいる。

曖昧に頷いて、拳を更に握り固めた。


爪が肉に食い込み、血が滲んでいるようだったがそんなことはどうでもいい。

ティオの忘れ形見。守らなければいけない俺の家族。

この人にだけは、見つかってはいけなかったというのに。



「嬉しいなぁ、家族が増えるぞ! 男の子だろうか? それとも、女の子だったかな? ああ、女の子だと良いなぁ」



プレゼントを前にした幼子。

無邪気に喜んでみせる父に、何故と問うてしまった。

些細なことじゃないか、気にするほどでもない。

なのに、何故と口にしていた。


何故、どうして。

男の子供より女の子供が良いなどと言うのか。


父はにこにことしていた。

瞳はぎらぎらと輝いていた。



「私は息子には恵まれたけれど、娘には恵まれていなかったからね。楽しみじゃないか、可愛い娘に父さんと呼んでもらえるかもしれない。とても小さかったが、じきに大きくなるからね。いずれは良い婿を見つけて、結婚式で新婦の父親として参席出来るかもしれない。楽しみで仕方ないなぁ」



素直に受け取れば浮かれる父親だが、父はそうではない。

真実を事細やかに話してはくれないが、父は嘘を吐かない。


力の強い魔法使いの子供。

ティオの子であり、父の子であるだろうミル。

男の子供か女の子供かは判別がついていない。

それでも、半々の確率で女の子供であると分かれば、ミルは相手を宛がわれて子を産むことを強制される。



「お前も楽しみだろう、アインス?」



肯定を求められて、顎を引く。



「そうであるなら、楽しみですね」



二度と、この人とミルを引き合わせてはいけない。

例え、俺自身がミルやツヴァイと会えなくなったとしても。






















大人達が僕を取り囲む。

昨日のことは気にしなくていい、これから制御出来るようにすれば良い。

そんな言葉を掛けられながら、僕は不思議に思う。


制御は出来るようになりたいけれど、昨日のことって?

ミルの手を離してしまったことは、僕が悪かった。

忘れ物や危ないかもと知っていたのに逆走したのも、僕が悪い。

次はそんな失敗をしないようにしようと努力はするけど、気にしてばかりもいられない。


気にしてないよ、と答えたら変な顔をする。

気にしなくていいって言ったのはそっちなのに。



「ラクスのツヴァイ。お前は力が強い、まずは感情をコントロールしなさい」



そんなの普段からやってる。

けど、制御の仕方を教えてくれるというから、黙って頷いておいた。


大人達が言うには、出力を調整出来るようにしないと危ないらしい。

蛇口を捻って水を出すみたいに、自分の中の力をどれだけ外に出すのか。

それを自分でしっかり考えて、思ったまま自在に操れるようになって、初めて一人前の魔法使いになれる。


魔法が思うまま使えるようになりたい。

そうすれば、いつだってミルを守れる。


どれだけ魔法が使えるのかやってみろ、と言われた時は困った。

僕はまだ、自分が使いたいと思った時に魔法が使えるわけじゃないらしい。

二回しか使えたことがないんだって言ったら、また変な顔をされた。


どんな時に使えたのかを聞かれて、思い返す。

いつもミルが危ない目に遭った時に、勝手に辺りに水が集まってくる。

それだけしか出来ないのがもどかしいのだけれど、大人達は目を真ん丸くしていた。



「ナーデルのミルの身に何か起きた時、だけなのか?」

「危ない時だけだったよ。それ以外の時は使おうとしても使えないんだ」

「・・・・・・やはり、まずは感情のコントロールが重要だな。ラクスのツヴァイ、キルシェのクルクに教えを請いなさい」

「え、クルク?」



よりによってクルク?

皆が教えてくれるんじゃないの?


嫌だなって気持ちが顔に出ていたのか、大人達が僕の肩を叩く。



「申し訳ないが、私達では役不足だろう。なに、キルシェのクルクであれば、必ずお前を正しく導いてくれる」



正しく導いてくれるって、本当かな。

クルクの言う通りに移動してたら、ミルが誘拐されそうになったっていうのに。

いまいち信用出来ないけど、大人達皆が言うんだったらそうなのかもしれない。

渋々頷いて、自分一人で出来る訓練内容を教えてもらう。

その内のいくつかは、おじいちゃんが教えてくれたものと同じだった。


ピカピカはもう見ようと思えば見ることが出来る。

魔法を使ったことは、自分がやろうと思って出来たわけじゃないけど、ある。


あともうちょっとってところかな。

早く一人前になりたい。

だって、おじいちゃんは魔法を教えるのは家族の役割だって言っていた。

僕はミルのお兄ちゃんなんだから、僕がミルに魔法を教えてあげるんだ。


それを大人達に言ったら、またまた変な顔をされる。

どうしたっていうんだろう。

変だと思って首を傾げたら



「ラクスのツヴァイ。お前は暫くナーデルのミルと離れて暮らした方が良い」



許せない、馬鹿みたいなことを言われて、頭の中が真っ白になった。

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